7月には、日野原重明、平尾昌晃、劉暁波、ジャンヌ・モローなど大きく取り上げられた訃報が相次いだ。8月はそれほど大きな訃報が少なく、9月当初は関東大震災関係の記事を書いていたから翌月回しにしようと思った。9月もあまり大きな訃報はなかったけれど、一応2カ月のまとめ。
第80代の総理大臣だった羽田孜(はた・つとむ)が8月28日に死去。82歳。この2カ月間で一面に載った訃報はこの人だけ。1993年に非自民連立の細川護熙内閣ができたが、翌年4月に辞職。それを受けて羽田内閣が成立したが、在任64日で総辞職した。(戦後2番目の短命内閣。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/5d/00f343bfefb56d5a40ce43389855624c_s.jpg)
竹下派が分裂した時に、「羽田派」と「小渕派」となった。小渕派は橋本龍太郎が総理候補。羽田派は実質的リーダーは小沢一郎だが、看板に羽田を担いだ。小沢は参謀タイプで裏が好き、表の仕事を任せられるのが羽田だったわけ。93年国会の不信任案に与党内から賛成して脱党、新生党を結成して党首となった。全部細かく振り返ると長くなっちゃうが、結局「小沢一郎」との、時に手を結び、時に争った因縁が政治生活だった。最後は小沢が民主党を去り、羽田は残って別れて終わった。
この人は「立派過ぎない政治家」と言われ、「与野党から惜しむ声」と書かれた。腰の軽い人で、裏もない感じで、政治的には賛同しがたいところも多かったが、なんだか嫌いになれない人だった。「人柄の政治家」だった。だが、病気をしたとは言え、82歳で「老衰」とは今では早すぎるのではないか。やはり中曽根元首相のような「悪人」でないと長生きできないということなのかもしれない。
政治家では沖縄の上原康助氏が8月6日に死去した。84歳。この人は60年代の沖縄で、本土復帰運動の旗手と言えた。「全軍労」(今の全駐労、つまりアメリカ軍基地で働く労働者の組合)の「輝ける委員長」で、本土のニュースにも毎日のように名前が出てきた。1970年に復帰前の「国政参加特別選挙」が行われ、全県区に社会党から出て当選し、96年まで連続当選した。沖縄政界の有力者と言えば、自民党の西銘順治なんだけど、知事に転じたため大臣になれなかった。だから、93年の細川政権で、国土庁や沖縄開発庁長官になった上原氏が「沖縄選出政治家初の大臣就任」となった。
(上原康助、長島忠美)
2004年の中越地震で大被害を出した新潟県の山古志村の村長だった長島忠美氏が8月18日に死去、66歳。全村避難を指揮し、全国的に知られたが、山古志村は2005年に長岡市に合併。折しも05年夏に郵政解散となり、小泉首相に誘われ比例区1位で当選した。その後2012年には新潟5区の小選挙区に転じて、田中真紀子を落選に追い込むという「歴史的役割」を担うことになった。
ノンフィクション作家の林えいだい氏が死去。9月1日、83歳。本名は「栄代=しげのり」。北九州市役所に勤めながら公害問題を告発、やがて退職して作家活動に専念した。筑豊の炭鉱の問題、そこに連行された朝鮮人労働者や外国人捕虜など、硬派のテーマを負い続けた。若いころに何冊か読んだと思うけど、大変なことをずっと続けたのが凄い。九州にはそういう人が何人もいる。最近記録映画にもなった。筑豊という地帯は炭鉱閉鎖後に、日本の縮図のような矛盾の集中地域だった。そこに腰を据えて発信し続けた人が何人かいるが、その最後の一人と言ってよいだろうか。
(林えいだい、中村雄二郎、阿部進)
哲学者の中村雄二郎氏が、8月26日に死去、91歳。70年代に「共通感覚論」などを続々と刊行、新しい哲学の世界を展開した。雑誌の座談会などでは何度か読んでると思うんだけど、僕は哲学系はほとんど読んだことがなく、多分一冊もちゃんと読んでないと思うから詳しく書けない。
教育評論家の阿部進氏が8月10日に死去。今ではほとんど忘れられているだろうが、今の尾木直樹や水谷修氏よりもいっぱいテレビやラジオに出て、「カバゴン」と呼ばれた超有名人だった。「現代っ子」というのは、高度成長期のベビーブーマーを指して阿部氏が造語した歴史的用語である。
長崎原爆の被爆者で「赤い背中の少年」と呼ばれた写真の被写体だった被団協代表委員の谷口稜曄(すみてる)氏が死去。8月30日、88歳。海外にも何度も出掛け、反核運動を続けてきた。9月2日には、元長崎大学長で長崎の核廃絶運動のリーダーだった土山秀夫氏も死去。兄を原爆で亡くし、映画「母と暮らせば」のモデルという。反核、被爆者運動を担ってきた人々が続々と亡くなりつつある。
(谷口氏)
映画演劇関係。8月1日に映画監督の西村昭五郎氏が死去、87歳。ロマンポルノの「団地妻」シリーズの監督で、営々とロマンポルノの娯楽作を作り続けた。でも会社に不評のデビュー作、小沢昭一主演「競輪上人行状記」(1963)の面白さが残るんだろう。
女優の真理明美が8月8日に死去、76歳。テレビの「プレイガール」が割と有名だけど、映画監督の須川栄三監督夫人であまり活動期間は長くない。デビューが「モンローのような女」(渋谷実監督)という珍品で、松竹で「お色気路線」で売ってもという感じだが、変な映画ではあった。
8月20日、アメリカの喜劇俳優、ジェリー・ルイスが死去、91歳。ディーン・マーティンとの「底抜けシリーズ」で知られる。名前は有名だけど、僕の世代になるとほとんど語ることがない感じだ。
(ジェリー・ルイス、ミレーユ・ダルク)
それより、8月26日に74歳で亡くなったトビー・フーパ―。「悪魔のいけにえ」(1974)の監督だけど、あれは怖かった。チェーンソーで追いかけてくるだけのような映画だけど、ホラーの古典と言える。
8月28日にはフランスの女優、ミレーユ・ダルクが死去、79歳。アラン・ドロンの愛人として知られた人で、訃報にももうそれしか出ていない。僕も何本か見たと思うけど、名前も出てこない。今調べてみると、「狼どもの報酬」かな。「エヴァの匂い」やゴダールの「ウィークエンド」にも出てた。
9月1日に、演出家の青井陽治氏が死去、69歳。「真夜中のパーティ」や「ラヴ・レターズ」など多くの海外演劇を翻訳、演出した。非常に大事な仕事したと思うんだけど、訃報は小さかった。
ところで、黒澤映画の脇役などで知られた土屋嘉男氏が、2月8日に亡くなっていたと9月になって報じられた。89歳。黒澤映画もいいけど、やはり「ガス人間第一号」のガス人間なんじゃないかあ。
(土屋嘉男)
その他の訃報をまとめて。気象キャスターの先駆けで、うつ病体験を公にして「やまない雨はない」を刊行した倉嶋厚氏(8.4没、93歳)、初代ゴジラの着ぐるみに入っていた中島春雄氏(8.7没、88歳)、成田空港反対運動の中で、三里塚芝山空港反対同盟北原派事務局長の北原鉱治氏(8.9没、95歳)は熱田派と分裂後も、一貫して反対を続けていた。両角良彦(もろずみ。よしひこ、8.11没、97歳)は元通産省事務次官で、城山三郎「官僚たちの夏」のモデルだが、ナポレオン研究家としても知られ、「一八一二年の雪 モスクワからの敗走」は名著だった。詩人の藤冨保男(9.1没、89歳)は、昔角川文庫にあった現代詩選集で読んで、その言葉の使い方にぶっ飛んだ思いがある。
アメリカのカントリー歌手グレン・キャンベル(8.3没、81歳)、俳優のハリー・ディーン・スタントン(9.15没、91歳)はなんといっても「パリ、テキサス」の主役として永遠に記憶に残るだろう。アメリかで雑誌「PLAYBOY」を創刊したヒュー・ヘフナー(9.27没、91歳)は多くの女性と浮名を流したことでも知られるが、ヌードグラビアの雑誌で知られ全世界で有名になった。一種の文化革新者というか「反文化人」というか、大衆文化史に残る人ではある。他にも色々いますが、この辺で。
第80代の総理大臣だった羽田孜(はた・つとむ)が8月28日に死去。82歳。この2カ月間で一面に載った訃報はこの人だけ。1993年に非自民連立の細川護熙内閣ができたが、翌年4月に辞職。それを受けて羽田内閣が成立したが、在任64日で総辞職した。(戦後2番目の短命内閣。)
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竹下派が分裂した時に、「羽田派」と「小渕派」となった。小渕派は橋本龍太郎が総理候補。羽田派は実質的リーダーは小沢一郎だが、看板に羽田を担いだ。小沢は参謀タイプで裏が好き、表の仕事を任せられるのが羽田だったわけ。93年国会の不信任案に与党内から賛成して脱党、新生党を結成して党首となった。全部細かく振り返ると長くなっちゃうが、結局「小沢一郎」との、時に手を結び、時に争った因縁が政治生活だった。最後は小沢が民主党を去り、羽田は残って別れて終わった。
この人は「立派過ぎない政治家」と言われ、「与野党から惜しむ声」と書かれた。腰の軽い人で、裏もない感じで、政治的には賛同しがたいところも多かったが、なんだか嫌いになれない人だった。「人柄の政治家」だった。だが、病気をしたとは言え、82歳で「老衰」とは今では早すぎるのではないか。やはり中曽根元首相のような「悪人」でないと長生きできないということなのかもしれない。
政治家では沖縄の上原康助氏が8月6日に死去した。84歳。この人は60年代の沖縄で、本土復帰運動の旗手と言えた。「全軍労」(今の全駐労、つまりアメリカ軍基地で働く労働者の組合)の「輝ける委員長」で、本土のニュースにも毎日のように名前が出てきた。1970年に復帰前の「国政参加特別選挙」が行われ、全県区に社会党から出て当選し、96年まで連続当選した。沖縄政界の有力者と言えば、自民党の西銘順治なんだけど、知事に転じたため大臣になれなかった。だから、93年の細川政権で、国土庁や沖縄開発庁長官になった上原氏が「沖縄選出政治家初の大臣就任」となった。
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2004年の中越地震で大被害を出した新潟県の山古志村の村長だった長島忠美氏が8月18日に死去、66歳。全村避難を指揮し、全国的に知られたが、山古志村は2005年に長岡市に合併。折しも05年夏に郵政解散となり、小泉首相に誘われ比例区1位で当選した。その後2012年には新潟5区の小選挙区に転じて、田中真紀子を落選に追い込むという「歴史的役割」を担うことになった。
ノンフィクション作家の林えいだい氏が死去。9月1日、83歳。本名は「栄代=しげのり」。北九州市役所に勤めながら公害問題を告発、やがて退職して作家活動に専念した。筑豊の炭鉱の問題、そこに連行された朝鮮人労働者や外国人捕虜など、硬派のテーマを負い続けた。若いころに何冊か読んだと思うけど、大変なことをずっと続けたのが凄い。九州にはそういう人が何人もいる。最近記録映画にもなった。筑豊という地帯は炭鉱閉鎖後に、日本の縮図のような矛盾の集中地域だった。そこに腰を据えて発信し続けた人が何人かいるが、その最後の一人と言ってよいだろうか。
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哲学者の中村雄二郎氏が、8月26日に死去、91歳。70年代に「共通感覚論」などを続々と刊行、新しい哲学の世界を展開した。雑誌の座談会などでは何度か読んでると思うんだけど、僕は哲学系はほとんど読んだことがなく、多分一冊もちゃんと読んでないと思うから詳しく書けない。
教育評論家の阿部進氏が8月10日に死去。今ではほとんど忘れられているだろうが、今の尾木直樹や水谷修氏よりもいっぱいテレビやラジオに出て、「カバゴン」と呼ばれた超有名人だった。「現代っ子」というのは、高度成長期のベビーブーマーを指して阿部氏が造語した歴史的用語である。
長崎原爆の被爆者で「赤い背中の少年」と呼ばれた写真の被写体だった被団協代表委員の谷口稜曄(すみてる)氏が死去。8月30日、88歳。海外にも何度も出掛け、反核運動を続けてきた。9月2日には、元長崎大学長で長崎の核廃絶運動のリーダーだった土山秀夫氏も死去。兄を原爆で亡くし、映画「母と暮らせば」のモデルという。反核、被爆者運動を担ってきた人々が続々と亡くなりつつある。
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映画演劇関係。8月1日に映画監督の西村昭五郎氏が死去、87歳。ロマンポルノの「団地妻」シリーズの監督で、営々とロマンポルノの娯楽作を作り続けた。でも会社に不評のデビュー作、小沢昭一主演「競輪上人行状記」(1963)の面白さが残るんだろう。
女優の真理明美が8月8日に死去、76歳。テレビの「プレイガール」が割と有名だけど、映画監督の須川栄三監督夫人であまり活動期間は長くない。デビューが「モンローのような女」(渋谷実監督)という珍品で、松竹で「お色気路線」で売ってもという感じだが、変な映画ではあった。
8月20日、アメリカの喜劇俳優、ジェリー・ルイスが死去、91歳。ディーン・マーティンとの「底抜けシリーズ」で知られる。名前は有名だけど、僕の世代になるとほとんど語ることがない感じだ。
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それより、8月26日に74歳で亡くなったトビー・フーパ―。「悪魔のいけにえ」(1974)の監督だけど、あれは怖かった。チェーンソーで追いかけてくるだけのような映画だけど、ホラーの古典と言える。
8月28日にはフランスの女優、ミレーユ・ダルクが死去、79歳。アラン・ドロンの愛人として知られた人で、訃報にももうそれしか出ていない。僕も何本か見たと思うけど、名前も出てこない。今調べてみると、「狼どもの報酬」かな。「エヴァの匂い」やゴダールの「ウィークエンド」にも出てた。
9月1日に、演出家の青井陽治氏が死去、69歳。「真夜中のパーティ」や「ラヴ・レターズ」など多くの海外演劇を翻訳、演出した。非常に大事な仕事したと思うんだけど、訃報は小さかった。
ところで、黒澤映画の脇役などで知られた土屋嘉男氏が、2月8日に亡くなっていたと9月になって報じられた。89歳。黒澤映画もいいけど、やはり「ガス人間第一号」のガス人間なんじゃないかあ。
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その他の訃報をまとめて。気象キャスターの先駆けで、うつ病体験を公にして「やまない雨はない」を刊行した倉嶋厚氏(8.4没、93歳)、初代ゴジラの着ぐるみに入っていた中島春雄氏(8.7没、88歳)、成田空港反対運動の中で、三里塚芝山空港反対同盟北原派事務局長の北原鉱治氏(8.9没、95歳)は熱田派と分裂後も、一貫して反対を続けていた。両角良彦(もろずみ。よしひこ、8.11没、97歳)は元通産省事務次官で、城山三郎「官僚たちの夏」のモデルだが、ナポレオン研究家としても知られ、「一八一二年の雪 モスクワからの敗走」は名著だった。詩人の藤冨保男(9.1没、89歳)は、昔角川文庫にあった現代詩選集で読んで、その言葉の使い方にぶっ飛んだ思いがある。
アメリカのカントリー歌手グレン・キャンベル(8.3没、81歳)、俳優のハリー・ディーン・スタントン(9.15没、91歳)はなんといっても「パリ、テキサス」の主役として永遠に記憶に残るだろう。アメリかで雑誌「PLAYBOY」を創刊したヒュー・ヘフナー(9.27没、91歳)は多くの女性と浮名を流したことでも知られるが、ヌードグラビアの雑誌で知られ全世界で有名になった。一種の文化革新者というか「反文化人」というか、大衆文化史に残る人ではある。他にも色々いますが、この辺で。