文化庁映画賞の文化記録映画部門受賞作品の記念上映が行われた。大賞が「五島のトラさん」で、五島列島に生きた一人の男とその家族を22年も追いかけた記録。製麺業を営み、朝早くから7人の子どもたちを手伝わせて五島名産の手延べうどんを作っている。この子どもたちの育て方が強烈で、この子たちがどうなるか、目が離せない。優秀賞が「人生フルーツ」と「まなぶ」という映画。
ここでは「まなぶ 通信制中学 60年の空白を超えて」について書いておきたい。サブタイトルを見れば判るように、これは「通信制中学」を取り上げてカメラで追い続けた記録である。東京では新宿のケイズ・シネマという映画館でモーニングショーで上映されたけど、僕は見過ごしていた。その時に映画のチラシを見るまで、僕は通信制中学というものがあることを知らなかった。
中学や定時制高校の教員をしていた僕でさえ、一度もその存在を聞いたことがない。昔は80校もあったというけど、今は東京の神田一橋中学校と大阪の天王寺中学校しかないという。映画を見てると生徒数が少ない。監督によれば、教員も兼務でやってるんだという。夜間中学や定時制高校、通信制高校は、もちろん「専任教員」がいる。(授業時数が少ない教科は、非常勤講師だけど。)だから、教員にとっては「異動先」になるかもしれないから、存在を知っている。
2010年に公開された「月あかりの下で」という夜間定時制高校(埼玉の浦和商業高校)の描いた映画があった。その映画を作った太田直子監督の最新作。2009年の映像から始まっているので、まだ前作製作中から取り始めていたわけだ。そして、途中で2011年の「3・11」直後の卒業式をはさみ、2016年に二人の卒業生が卒業していくところまでを扱っている。
夜間中学を描いた森康行監督「こんばんは」という記録映画があった。あるいは山田洋次監督の劇映画「学校」でもいいし、僕も定時制高校の経験から言えることだけど、夜間中学の生徒には高齢生徒以外にも、10代の不登校経験者や外国人生徒も多い。でも、この映画に出てくる通信制中学の生徒は何らかの事情でかつて中学に通えなかった経験を持つ高齢生徒ばかり。
東京には夜間中学が8校ある。それで十分とは思わないけど、中学に行けなかった人には夜間中学という道があるということは知っている。でも、夜間中学というのは毎日行くべきものである。昼間と同じで、基本的には平日はずっと授業がある。でも、それでは行けない人がいる。例えば家で介護の必要な家族を抱えているような人。言われてみれば当たり前なんだけど、そこまではなかなか気づかない、気づけない。そうか、中学にも通信制が必要なんだと改めて気づかされた。
高齢生徒ばかりである分、日本社会の貧困や差別がより伝わってくる。1947年の学制改革で、中学は義務教育となった。今年で70年という中学が各地にいっぱいあるだろう。だけど、その時に「義務」となりながらも、実際には行けなかった生徒がいっぱいいた。貧困のため、子守りなどの奉公に出されたといった女性が多い。今も80代以上の人にはそういう人がかなりいるのだ。
あるいは、障害のために行けなかった人もいる。そういう人たちが何とか通信制中学という学び舎にたどり着いた。月に2回のスクーリング。それが楽しみで、実際の授業に通ってくる。そんな中で「まなび」に関する思いを交わしあう。勉強は役立つのか。勉強は面白いのか。何のために学ぶのか。学校での学びについての本質的な問題を、ここに通っている人たちが教えてくれる。
それにしても、中学に行けなかったというそのことが、いかに戦後社会を生き抜くときにハンディとなって来たか。差別されてきたか。そんなことも考えさせられた。まったく存在も知らなかった学校が、大都会の一角で存在し続けている。テレビなどでも放送されて欲しいし、DVDなどで若い中学生にも見せたい。夜間中学についての映画(「こんばんは」や「学校」)はずいぶん授業でも取り上げたんだけど、通信制中学を知らなかったということに自分でもビックリである。
*2017年11月19日(日)に、東京都中野区の「なかのZERO視聴覚ホール」で上映会がある。10時、12時、14時半の3回上映。前売800円、当日1000円。問い合わせ グループ現代)東京以外の上映情報は映画のホームページで。

ここでは「まなぶ 通信制中学 60年の空白を超えて」について書いておきたい。サブタイトルを見れば判るように、これは「通信制中学」を取り上げてカメラで追い続けた記録である。東京では新宿のケイズ・シネマという映画館でモーニングショーで上映されたけど、僕は見過ごしていた。その時に映画のチラシを見るまで、僕は通信制中学というものがあることを知らなかった。
中学や定時制高校の教員をしていた僕でさえ、一度もその存在を聞いたことがない。昔は80校もあったというけど、今は東京の神田一橋中学校と大阪の天王寺中学校しかないという。映画を見てると生徒数が少ない。監督によれば、教員も兼務でやってるんだという。夜間中学や定時制高校、通信制高校は、もちろん「専任教員」がいる。(授業時数が少ない教科は、非常勤講師だけど。)だから、教員にとっては「異動先」になるかもしれないから、存在を知っている。
2010年に公開された「月あかりの下で」という夜間定時制高校(埼玉の浦和商業高校)の描いた映画があった。その映画を作った太田直子監督の最新作。2009年の映像から始まっているので、まだ前作製作中から取り始めていたわけだ。そして、途中で2011年の「3・11」直後の卒業式をはさみ、2016年に二人の卒業生が卒業していくところまでを扱っている。
夜間中学を描いた森康行監督「こんばんは」という記録映画があった。あるいは山田洋次監督の劇映画「学校」でもいいし、僕も定時制高校の経験から言えることだけど、夜間中学の生徒には高齢生徒以外にも、10代の不登校経験者や外国人生徒も多い。でも、この映画に出てくる通信制中学の生徒は何らかの事情でかつて中学に通えなかった経験を持つ高齢生徒ばかり。
東京には夜間中学が8校ある。それで十分とは思わないけど、中学に行けなかった人には夜間中学という道があるということは知っている。でも、夜間中学というのは毎日行くべきものである。昼間と同じで、基本的には平日はずっと授業がある。でも、それでは行けない人がいる。例えば家で介護の必要な家族を抱えているような人。言われてみれば当たり前なんだけど、そこまではなかなか気づかない、気づけない。そうか、中学にも通信制が必要なんだと改めて気づかされた。
高齢生徒ばかりである分、日本社会の貧困や差別がより伝わってくる。1947年の学制改革で、中学は義務教育となった。今年で70年という中学が各地にいっぱいあるだろう。だけど、その時に「義務」となりながらも、実際には行けなかった生徒がいっぱいいた。貧困のため、子守りなどの奉公に出されたといった女性が多い。今も80代以上の人にはそういう人がかなりいるのだ。
あるいは、障害のために行けなかった人もいる。そういう人たちが何とか通信制中学という学び舎にたどり着いた。月に2回のスクーリング。それが楽しみで、実際の授業に通ってくる。そんな中で「まなび」に関する思いを交わしあう。勉強は役立つのか。勉強は面白いのか。何のために学ぶのか。学校での学びについての本質的な問題を、ここに通っている人たちが教えてくれる。
それにしても、中学に行けなかったというそのことが、いかに戦後社会を生き抜くときにハンディとなって来たか。差別されてきたか。そんなことも考えさせられた。まったく存在も知らなかった学校が、大都会の一角で存在し続けている。テレビなどでも放送されて欲しいし、DVDなどで若い中学生にも見せたい。夜間中学についての映画(「こんばんは」や「学校」)はずいぶん授業でも取り上げたんだけど、通信制中学を知らなかったということに自分でもビックリである。
*2017年11月19日(日)に、東京都中野区の「なかのZERO視聴覚ホール」で上映会がある。10時、12時、14時半の3回上映。前売800円、当日1000円。問い合わせ グループ現代)東京以外の上映情報は映画のホームページで。