東京は冷たい雨が続いていたが、ようやく晴れ渡った18日、浅草に落語を聴きに行った。落語協会の秋の真打昇進披露公演が先月下旬から始まっている。今回は5代目桂三木助、柳亭こみち、2代目古今亭志ん五の三人が昇進した。今日の浅草演芸ホールは5代目桂三木助がトリを取る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/bc/29cbb56bcbba36a347ec1c852fbc8d26_s.jpg)
今日しか時間が取れなかったんだけど、もともと5代目桂三木助を聴きたかった。実は三木助を一度も聞いたことがない。今まで桂三木男として勉強会などをよく開いていていたけど、寄席でもホールでも聴いたことがなかった。そして、「昭和の名人」3代目はもちろん、立教大を出てテレビでも活躍しながら、2001年に自死した4代目も一度も聴いてない。その頃は落語にはほとんど出かけていなかったのである。5代目は3代目の孫で、4代目の甥にあたる。
今回はお勉強というわけでもないんだけど、買ったまま読んでなかった「あんつる」(安藤鶴夫)の「三木助歳時記」(上下、河出文庫)をこの機会にと思って読んでいった。作者の分身である「こんかめ」(近藤亀雄)なる人物が出てくるのは他の作品と同じだが、冒頭から相当変な本だと思う。「あんつる」の遺作で、読売に連載されもう少しのところで終わってしまった。
桂三木助はもともと上方の名跡で、3代目が東京から逃げるように関西に行って、2代目に師事したことがある。その縁で戦後になって、3代目襲名の話が来る。その時は落語芸術協会で春風亭柳橋の弟子だった。その後、晩年になって芸協を脱退して、落語協会に移った。昭和の名人として名高い「黒門町の師匠」8代目桂文楽に私淑して、文楽の弟子扱いで特例のように移籍した。
若いころは博打に熱を上げ、ヤクザっぽいところもあったとある。戦時中は落語を辞め踊りの師匠をやっていたこともある。女出入りもいろいろありながら、中年になるまで所帯を持つこともなかった。そんな三木助(当時は橘ノ圓)が踊りの若い女弟子に一世一代の恋をする。それが仲子夫人で、26も離れていながら50過ぎて3人の子が生まれた。というように小説に書かれている。その男の子が4代目となり、小説に出てくる長女の子どもが今回昇進した5代目である。
そんなウンチク話をネタに、先代は、先々代は…などと語るのが、歌舞伎などの日本の伝統芸能だ。落語はもう少し外部に開かれているけれど、それでも師匠と弟子を通じて芸がつながっていく。落語家の芸名は襲名されていくから、そんな内輪話も無視はできない。そういうことばかり通っぽく語るのも嫌味だが、全然関心がないというのも「日本社会理解」のためにはどうなんだと思う。
という風に、5代目三木助の昇進・襲名も見どころだけど、今回は他のメンバーが凄い。上野鈴本、新宿末廣と夜の披露だけど、3つ目の浅草、池袋演芸場、国立演芸場になると昼公演になる。13時から春風亭一之輔に続いて、三遊亭圓丈、ロケット団、柳家三三。その後も落語協会会長の柳亭市馬、今一番面白いかと思う柳家権太楼、林家木久扇師匠などの他にチラシになかった林家たい平まで。まあ時間が短いから、どこかで聴いたネタが多いんだけど、十分に満腹。
木久扇師匠はもと三代目に弟子入りした過去がある。すぐに亡くなり、林家正蔵に移るが、元の芸名木久蔵の「木」は三木助、「蔵」が正蔵からもらったという話だった。もう漫談だけなんだけど、選挙で談志を応援に行った時の話がおかしい。談志や田中角栄の声帯模写がうまくて笑える。笑点でおなじみのたい平も漫談で終わったけど、これがおかしい。最近、浅草演芸ホールのプログラムの表紙絵をたい平が描いている。三笑亭笑三が高齢になり、バトンタッチ。たい平はムサビ(武蔵野美大)卒の本格派である。これを見るのも今後の楽しみだろう。今回は米沢の笹野一刀彫というもの。
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ところで、三木助の落語はとても元気よく、廃園間近の遊園地に武士の幽霊が出るという噺をやった。ちょっと早口かなと思うけど、面白かった。先の「三木助歳時記」には三木助なりの「芝浜」を作りあげていく様子が興味深く描かれている。やがて何十年かたって5代目なりの「芝浜」が聴けるときが来るのか、そしてその時にもまだ僕が落語を聴きに行けるのか。しかし、まだそれは先の話。今回の昇進・襲名披露は、今後浅草で20日まで。続いて21日から30日まで、池袋演芸場。11月1日から10日まで、国立演芸場で続くので、本当は他の人も見てみたい感じ。
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今日しか時間が取れなかったんだけど、もともと5代目桂三木助を聴きたかった。実は三木助を一度も聞いたことがない。今まで桂三木男として勉強会などをよく開いていていたけど、寄席でもホールでも聴いたことがなかった。そして、「昭和の名人」3代目はもちろん、立教大を出てテレビでも活躍しながら、2001年に自死した4代目も一度も聴いてない。その頃は落語にはほとんど出かけていなかったのである。5代目は3代目の孫で、4代目の甥にあたる。
今回はお勉強というわけでもないんだけど、買ったまま読んでなかった「あんつる」(安藤鶴夫)の「三木助歳時記」(上下、河出文庫)をこの機会にと思って読んでいった。作者の分身である「こんかめ」(近藤亀雄)なる人物が出てくるのは他の作品と同じだが、冒頭から相当変な本だと思う。「あんつる」の遺作で、読売に連載されもう少しのところで終わってしまった。
桂三木助はもともと上方の名跡で、3代目が東京から逃げるように関西に行って、2代目に師事したことがある。その縁で戦後になって、3代目襲名の話が来る。その時は落語芸術協会で春風亭柳橋の弟子だった。その後、晩年になって芸協を脱退して、落語協会に移った。昭和の名人として名高い「黒門町の師匠」8代目桂文楽に私淑して、文楽の弟子扱いで特例のように移籍した。
若いころは博打に熱を上げ、ヤクザっぽいところもあったとある。戦時中は落語を辞め踊りの師匠をやっていたこともある。女出入りもいろいろありながら、中年になるまで所帯を持つこともなかった。そんな三木助(当時は橘ノ圓)が踊りの若い女弟子に一世一代の恋をする。それが仲子夫人で、26も離れていながら50過ぎて3人の子が生まれた。というように小説に書かれている。その男の子が4代目となり、小説に出てくる長女の子どもが今回昇進した5代目である。
そんなウンチク話をネタに、先代は、先々代は…などと語るのが、歌舞伎などの日本の伝統芸能だ。落語はもう少し外部に開かれているけれど、それでも師匠と弟子を通じて芸がつながっていく。落語家の芸名は襲名されていくから、そんな内輪話も無視はできない。そういうことばかり通っぽく語るのも嫌味だが、全然関心がないというのも「日本社会理解」のためにはどうなんだと思う。
という風に、5代目三木助の昇進・襲名も見どころだけど、今回は他のメンバーが凄い。上野鈴本、新宿末廣と夜の披露だけど、3つ目の浅草、池袋演芸場、国立演芸場になると昼公演になる。13時から春風亭一之輔に続いて、三遊亭圓丈、ロケット団、柳家三三。その後も落語協会会長の柳亭市馬、今一番面白いかと思う柳家権太楼、林家木久扇師匠などの他にチラシになかった林家たい平まで。まあ時間が短いから、どこかで聴いたネタが多いんだけど、十分に満腹。
木久扇師匠はもと三代目に弟子入りした過去がある。すぐに亡くなり、林家正蔵に移るが、元の芸名木久蔵の「木」は三木助、「蔵」が正蔵からもらったという話だった。もう漫談だけなんだけど、選挙で談志を応援に行った時の話がおかしい。談志や田中角栄の声帯模写がうまくて笑える。笑点でおなじみのたい平も漫談で終わったけど、これがおかしい。最近、浅草演芸ホールのプログラムの表紙絵をたい平が描いている。三笑亭笑三が高齢になり、バトンタッチ。たい平はムサビ(武蔵野美大)卒の本格派である。これを見るのも今後の楽しみだろう。今回は米沢の笹野一刀彫というもの。
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ところで、三木助の落語はとても元気よく、廃園間近の遊園地に武士の幽霊が出るという噺をやった。ちょっと早口かなと思うけど、面白かった。先の「三木助歳時記」には三木助なりの「芝浜」を作りあげていく様子が興味深く描かれている。やがて何十年かたって5代目なりの「芝浜」が聴けるときが来るのか、そしてその時にもまだ僕が落語を聴きに行けるのか。しかし、まだそれは先の話。今回の昇進・襲名披露は、今後浅草で20日まで。続いて21日から30日まで、池袋演芸場。11月1日から10日まで、国立演芸場で続くので、本当は他の人も見てみたい感じ。