尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

5代目桂三木助真打昇進・襲名披露公演を聴く

2017年10月18日 22時25分12秒 | 落語(講談・浪曲)
 東京は冷たい雨が続いていたが、ようやく晴れ渡った18日、浅草に落語を聴きに行った。落語協会の秋の真打昇進披露公演が先月下旬から始まっている。今回は5代目桂三木助柳亭こみち2代目古今亭志ん五の三人が昇進した。今日の浅草演芸ホール5代目桂三木助がトリを取る。
  
 今日しか時間が取れなかったんだけど、もともと5代目桂三木助を聴きたかった。実は三木助を一度も聞いたことがない。今まで桂三木男として勉強会などをよく開いていていたけど、寄席でもホールでも聴いたことがなかった。そして、「昭和の名人」3代目はもちろん、立教大を出てテレビでも活躍しながら、2001年に自死した4代目も一度も聴いてない。その頃は落語にはほとんど出かけていなかったのである。5代目は3代目の孫で、4代目の甥にあたる。

 今回はお勉強というわけでもないんだけど、買ったまま読んでなかった「あんつる」(安藤鶴夫)の「三木助歳時記」(上下、河出文庫)をこの機会にと思って読んでいった。作者の分身である「こんかめ」(近藤亀雄)なる人物が出てくるのは他の作品と同じだが、冒頭から相当変な本だと思う。「あんつる」の遺作で、読売に連載されもう少しのところで終わってしまった。

 桂三木助はもともと上方の名跡で、3代目が東京から逃げるように関西に行って、2代目に師事したことがある。その縁で戦後になって、3代目襲名の話が来る。その時は落語芸術協会で春風亭柳橋の弟子だった。その後、晩年になって芸協を脱退して、落語協会に移った。昭和の名人として名高い「黒門町の師匠」8代目桂文楽に私淑して、文楽の弟子扱いで特例のように移籍した。

 若いころは博打に熱を上げ、ヤクザっぽいところもあったとある。戦時中は落語を辞め踊りの師匠をやっていたこともある。女出入りもいろいろありながら、中年になるまで所帯を持つこともなかった。そんな三木助(当時は橘ノ圓)が踊りの若い女弟子に一世一代の恋をする。それが仲子夫人で、26も離れていながら50過ぎて3人の子が生まれた。というように小説に書かれている。その男の子が4代目となり、小説に出てくる長女の子どもが今回昇進した5代目である。

 そんなウンチク話をネタに、先代は、先々代は…などと語るのが、歌舞伎などの日本の伝統芸能だ。落語はもう少し外部に開かれているけれど、それでも師匠と弟子を通じて芸がつながっていく。落語家の芸名は襲名されていくから、そんな内輪話も無視はできない。そういうことばかり通っぽく語るのも嫌味だが、全然関心がないというのも「日本社会理解」のためにはどうなんだと思う。

 という風に、5代目三木助の昇進・襲名も見どころだけど、今回は他のメンバーが凄い。上野鈴本、新宿末廣と夜の披露だけど、3つ目の浅草、池袋演芸場、国立演芸場になると昼公演になる。13時から春風亭一之輔に続いて、三遊亭圓丈ロケット団柳家三三。その後も落語協会会長の柳亭市馬、今一番面白いかと思う柳家権太楼林家木久扇師匠などの他にチラシになかった林家たい平まで。まあ時間が短いから、どこかで聴いたネタが多いんだけど、十分に満腹。

 木久扇師匠はもと三代目に弟子入りした過去がある。すぐに亡くなり、林家正蔵に移るが、元の芸名木久蔵の「木」は三木助、「蔵」が正蔵からもらったという話だった。もう漫談だけなんだけど、選挙で談志を応援に行った時の話がおかしい。談志や田中角栄の声帯模写がうまくて笑える。笑点でおなじみのたい平も漫談で終わったけど、これがおかしい。最近、浅草演芸ホールのプログラムの表紙絵をたい平が描いている。三笑亭笑三が高齢になり、バトンタッチ。たい平はムサビ(武蔵野美大)卒の本格派である。これを見るのも今後の楽しみだろう。今回は米沢の笹野一刀彫というもの。

 ところで、三木助の落語はとても元気よく、廃園間近の遊園地に武士の幽霊が出るという噺をやった。ちょっと早口かなと思うけど、面白かった。先の「三木助歳時記」には三木助なりの「芝浜」を作りあげていく様子が興味深く描かれている。やがて何十年かたって5代目なりの「芝浜」が聴けるときが来るのか、そしてその時にもまだ僕が落語を聴きに行けるのか。しかし、まだそれは先の話。今回の昇進・襲名披露は、今後浅草で20日まで。続いて21日から30日まで、池袋演芸場。11月1日から10日まで、国立演芸場で続くので、本当は他の人も見てみたい感じ。
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