「高裁で再審開始決定が出た場合、検察側による最高裁への特別抗告を禁止するべきだ。」これが一回目に書いた「最低限の改正」だけど、では本格的に全面見直しをするとすれば、再審制度はどうあるべきか。それを2回目に書きたい。でも、これから書くことは抜本的すぎて、すぐには実現しないだろう。そういう視点もあるという意味で書いておくのである。なお、タイトルに「再審法」と書いたけど、もちろんそんな名前の法律はない。刑事訴訟法の第四編「再審」の部分のことである。再審の法的制度を示す意味で、冤罪救援運動では「再審法」と呼ぶことが多い。
まず、「再審の要件」が現行法でどのようになっているかを見てみたい。7つ挙げられているが、そのうち大部分は「証拠が偽造だったことが確定判決で証明されたとき」などで、普通は使えない。(なお、証拠の偽造などは、相続や離婚問題などでもあるわけで、民事裁判でも再審請求できる。)
「六 有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき。」 最後の方に「明らかな」と「あらたに」とある。これを新証拠の「明白性」と「新規性」と呼んでいる。新規性の方は問題ない。元の裁判で使用したのと同じ証拠で再審請求してもダメ。これは「再審」なんだから当然だろう。それを認めたら延々といつまでも決着しない。
一方、「明白性」の方はどうだろうか。これを厳密に考えすぎると、刑事事件では真犯人が現れでもしない限り、再審が認められなくなってしまう。真犯人がいないケース、つまり「犯罪」じゃなくて「事故」だったようなケース(東住吉事件など、そういうことはかなり多い)などでは、事故だったらからこそ苦労することになってしまう。再審事件でもめるのは、要するに「新証拠」の「明白性」の評価をめぐってであることが多い。検察側は再審公判でも有罪主張をすることができるんだから、この「明白性」の条件は緩めてもいいのではないか。
逆に再審公判での検察側立証を禁止してもいいが、「裁判」である以上、それも難しい。それに明らかに証拠が破たんした場合は、今でも有罪立証を放棄しているんだから、それでいい。とにかく頭の固い裁判官が、捜査段階の「自白」に頼り過ぎて、新証拠の「明白性」をタテにして「明らかとまでは言えない」とか言って再審を却下することが多いのだ。そっちを何とかした方がいい。「明らかに」を「原判決に疑いを容れる可能性の高い」程度に緩和して、再審裁判を開きやすくしてはどうか。
もう一つ、先に引用した法文の中に、「原判決において認めた罪より軽い罪」とある部分である。その前にある、有罪判決に対して、無罪や免訴になるべき場合というのは、再審の場合当然だ。だけど、その後にある「より軽い罪」とは何だろうか。これが案外理解されていない。再審というのは、まったくの青天白日、無実の人のためばかりの制度ではない。「強盗殺人罪」や「放火殺人罪」に問われた場合(法文上は強盗殺人や放火殺人という言い方ではないが)、強盗や放火だけを否定しているケースが案外多い。そういうケースも再審請求の対象になるわけだ。
一方、「より軽い刑」では再審にならない。心神耗弱など責任能力に問題がある場合に量刑を軽減するわけだが、新しい精神鑑定が出ても再審開始にはならない。殺人罪は殺人罪で、「より軽い罪」ではないから。つまり、再審とはあくまでも「事実認定をやり直す」ものなのである。しかし、死刑と無期懲役の差は大きい。死刑判決を受けた人には、事実認定だけでなく、量刑判断で自分が不当な裁判を受けたと思っているケースが多い。原審では見つからなかった新しい情状証人が見つかり、裁判をやり直せば刑が軽くなった可能性が高い場合、それでも再審を開いてはいけないのだろうか。
そんなことをしていたら、いつまでも決着しないからダメという人が多いだろう。死刑囚が執行を逃れるために再審請求を繰り返すのではないかという人もいるだろう。(どんな凶悪犯であっても死刑判決を受け入れられる人は少ないので、なんとか死刑を逃れたいと思うのはやむを得ない。)それに刑の執行は行政権に属しているから、重すぎる事情が見つかった人には恩赦や仮釈放で対応すればいいとも言える。でも現実には恩赦はほとんど機能していない。裁判に納得できない人には、いろいろな救済方法がある方が社会にとっていいのではないか。
最後にもう一つ重大な問題。「第四百四十五条 再審の請求を受けた裁判所は、必要があるときは、合議体の構成員に再審の請求の理由について、事実の取調をさせ、又は地方裁判所、家庭裁判所若しくは簡易裁判所の裁判官にこれを嘱託することができる。」という項目がある。新しい証拠をもとに再審請求をした場合、裁判所は「事実の取り調べ」が「できる」。当たり前である。新証拠の事実を調べない限り、「明白性」が判断できない。
だけど、これを反対に読めば、「必要がないとき」は「事実調べ」を「しなくてよい」という規定に読める。新証拠を提出しても、明らかに明白性がないなどと決めつけられて、事実調べもせずに請求を却下されたケースが山のようにある。「けんもほろろ」の裁判所に何度も門前払いされながら、請求人・弁護団や救援運動の力でなんとか事実調べを勝ち取るというのが、今までの再審だった。でも、本当はおかしい。新しい鑑定を提出したのに、その鑑定人を呼んできて証言を聞いたりしないで、書類調べだけで「明らかとまでは言えない」などと請求を却下する。そんなことが許されていいのか。
ここは明らかに「新証拠に関して、事実調べを行わなければならない」と変えないといけない。いつまでも冤罪が絶えないのは、再審に臆病な裁判所、検察官、そして法制度にあり方にも大きな責任がある。冤罪で長い時間を苦しんだ人を救済すること、これは国家、社会にとっても最重要な問題ではないか。かつて足利事件で、最初の再審請求は却下された。DNA鑑定をやり直してほしいと主張したのに裁判官に無視された。「事実調べ」をしなくてもいいという先の規定による。即時抗告審で高裁が新しいDNA鑑定もやったところ、犯人のDNAとは違うという結果が出たのだった。
まず、「再審の要件」が現行法でどのようになっているかを見てみたい。7つ挙げられているが、そのうち大部分は「証拠が偽造だったことが確定判決で証明されたとき」などで、普通は使えない。(なお、証拠の偽造などは、相続や離婚問題などでもあるわけで、民事裁判でも再審請求できる。)
「六 有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき。」 最後の方に「明らかな」と「あらたに」とある。これを新証拠の「明白性」と「新規性」と呼んでいる。新規性の方は問題ない。元の裁判で使用したのと同じ証拠で再審請求してもダメ。これは「再審」なんだから当然だろう。それを認めたら延々といつまでも決着しない。
一方、「明白性」の方はどうだろうか。これを厳密に考えすぎると、刑事事件では真犯人が現れでもしない限り、再審が認められなくなってしまう。真犯人がいないケース、つまり「犯罪」じゃなくて「事故」だったようなケース(東住吉事件など、そういうことはかなり多い)などでは、事故だったらからこそ苦労することになってしまう。再審事件でもめるのは、要するに「新証拠」の「明白性」の評価をめぐってであることが多い。検察側は再審公判でも有罪主張をすることができるんだから、この「明白性」の条件は緩めてもいいのではないか。
逆に再審公判での検察側立証を禁止してもいいが、「裁判」である以上、それも難しい。それに明らかに証拠が破たんした場合は、今でも有罪立証を放棄しているんだから、それでいい。とにかく頭の固い裁判官が、捜査段階の「自白」に頼り過ぎて、新証拠の「明白性」をタテにして「明らかとまでは言えない」とか言って再審を却下することが多いのだ。そっちを何とかした方がいい。「明らかに」を「原判決に疑いを容れる可能性の高い」程度に緩和して、再審裁判を開きやすくしてはどうか。
もう一つ、先に引用した法文の中に、「原判決において認めた罪より軽い罪」とある部分である。その前にある、有罪判決に対して、無罪や免訴になるべき場合というのは、再審の場合当然だ。だけど、その後にある「より軽い罪」とは何だろうか。これが案外理解されていない。再審というのは、まったくの青天白日、無実の人のためばかりの制度ではない。「強盗殺人罪」や「放火殺人罪」に問われた場合(法文上は強盗殺人や放火殺人という言い方ではないが)、強盗や放火だけを否定しているケースが案外多い。そういうケースも再審請求の対象になるわけだ。
一方、「より軽い刑」では再審にならない。心神耗弱など責任能力に問題がある場合に量刑を軽減するわけだが、新しい精神鑑定が出ても再審開始にはならない。殺人罪は殺人罪で、「より軽い罪」ではないから。つまり、再審とはあくまでも「事実認定をやり直す」ものなのである。しかし、死刑と無期懲役の差は大きい。死刑判決を受けた人には、事実認定だけでなく、量刑判断で自分が不当な裁判を受けたと思っているケースが多い。原審では見つからなかった新しい情状証人が見つかり、裁判をやり直せば刑が軽くなった可能性が高い場合、それでも再審を開いてはいけないのだろうか。
そんなことをしていたら、いつまでも決着しないからダメという人が多いだろう。死刑囚が執行を逃れるために再審請求を繰り返すのではないかという人もいるだろう。(どんな凶悪犯であっても死刑判決を受け入れられる人は少ないので、なんとか死刑を逃れたいと思うのはやむを得ない。)それに刑の執行は行政権に属しているから、重すぎる事情が見つかった人には恩赦や仮釈放で対応すればいいとも言える。でも現実には恩赦はほとんど機能していない。裁判に納得できない人には、いろいろな救済方法がある方が社会にとっていいのではないか。
最後にもう一つ重大な問題。「第四百四十五条 再審の請求を受けた裁判所は、必要があるときは、合議体の構成員に再審の請求の理由について、事実の取調をさせ、又は地方裁判所、家庭裁判所若しくは簡易裁判所の裁判官にこれを嘱託することができる。」という項目がある。新しい証拠をもとに再審請求をした場合、裁判所は「事実の取り調べ」が「できる」。当たり前である。新証拠の事実を調べない限り、「明白性」が判断できない。
だけど、これを反対に読めば、「必要がないとき」は「事実調べ」を「しなくてよい」という規定に読める。新証拠を提出しても、明らかに明白性がないなどと決めつけられて、事実調べもせずに請求を却下されたケースが山のようにある。「けんもほろろ」の裁判所に何度も門前払いされながら、請求人・弁護団や救援運動の力でなんとか事実調べを勝ち取るというのが、今までの再審だった。でも、本当はおかしい。新しい鑑定を提出したのに、その鑑定人を呼んできて証言を聞いたりしないで、書類調べだけで「明らかとまでは言えない」などと請求を却下する。そんなことが許されていいのか。
ここは明らかに「新証拠に関して、事実調べを行わなければならない」と変えないといけない。いつまでも冤罪が絶えないのは、再審に臆病な裁判所、検察官、そして法制度にあり方にも大きな責任がある。冤罪で長い時間を苦しんだ人を救済すること、これは国家、社会にとっても最重要な問題ではないか。かつて足利事件で、最初の再審請求は却下された。DNA鑑定をやり直してほしいと主張したのに裁判官に無視された。「事実調べ」をしなくてもいいという先の規定による。即時抗告審で高裁が新しいDNA鑑定もやったところ、犯人のDNAとは違うという結果が出たのだった。