時間が経ってしまったけど、昨年12月の訃報をまとめて。作家の葉室麟(はむろ・りん)が66歳で亡くなった。12月23日没。映画化もされた「蜩ノ記」で直木賞を取ったのが2012年。九州で新聞記者をしていて、2005年になって作家デビューした。だから、作家として葉室麟という人の名を知ったのは、ここ10年ほどである。毎年のように新作を出していて、今が盛りという感じの書きぶりだったから、この訃報には驚いた。僕は「蜩ノ記」と「柚子の花咲く」しか読んでないけど、虐げられたもの、弱きものへ温かい目を注ぎながら誠実な作品世界を送り出してきた。もっと読みたい時代作家である。
歌手のはしだのりひこ(端田宜彦)が2日に72歳で没。葉室と逆に、はしだのりひこは70年代以後はほとんど知らない。訃報では「ザ・フォーク・クルセイダーズ」で語られているけど、同時代を知ってる人はむしろその後の「はしだのりひことシューベルツ」「はしだのりひことクライマックス」という彼の名前を冠したグループの方が記憶にある。前者は「風」や「さすらい人の子守唄」、後者は「花嫁」というヒット曲がある。その後は「主夫」としてエッセイを書いたりした時期もあった。
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脚本家・作家の早坂暁(あきら)が、16日に死去、88歳。「夢千代日記」が代表作と言われるけど、僕はその頃全然テレビを見てないので判らない。「天下御免」「七人の刑事」などはすごく面白かった。大竹しのぶのデビュー作である映画「青春の門」、続く「青春の門・自立篇」の脚本を監督の浦山桐郎とともに担当していた。これは訃報で知って、そうだったのかと思う。小説では「ダウンタウン・ヒーローズ」が山田洋次監督で映画化されている。僕はあまり知らなかった人。
(早坂暁)
拉致被害者の曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンズが、11日に77歳で没。この人はベトナム戦争激化の年である1965年に在韓米軍から脱走して越北した。2004年に娘と来日した後で、米軍の軍法会議で禁固刑を受けた。その後は一家で佐渡に住んだわけだが、数奇なる人生を歩んだ人だ。12日に拉致被害者増元るみ子さんの母親、増元信子(90歳)の訃報も伝えられた。一方、元慰安婦として裁判を起こした宋神道(ソン・シンド)が95歳で亡くなった。朝鮮・忠清南道から中国戦線へ連れていかれ、7年間「慰安婦」にされた。戦後は日本兵に連れられて宮城県に住んだ。(女川の自宅は東日本大震災の津波で流された。)93年に日本政府を相手に賠償請求裁判を起こしたことで知られた。「オレの心は負けてない」というドキュメント映画にもなった。
(前=ジェンキンズ、後=宋神道)
公明党元書記長の市川雄一が、14日に82歳で死去。書記長だったのは89年から94年いっぱいだとあるけれど、そこで新進党に合流したわけである。この時期はPKO法成立から細川政権成立という重大な出来事があった。「社公民」路線から「自公民」路線(この「民」は民社党である)に舵を切り、そこで培った小沢一郎との関係を生かして非自民政権で重きをなした。当時は小沢一郎と「一・一ライン」と呼ばれていた。(細川連立政権で、小沢は新政党代表幹事、市川が公明党書記長で、このコンビで政権を牛耳っていると思われていた。)2003年に政界引退。
(市川雄一)
ジャーナリストで、「北朝鮮に消えた友と私の物語」で大宅壮一ノンフィクション賞を受けた萩原遼が22日に死去、80歳。この人は赤旗のピョンヤン特派員だった人である。だから当然、日本共産党員である。(2005年に除籍。)特派員だったのは72年から73年だが、帰国した友人を探し回って追放されたらしい。その後、70年代半ばに韓国の詩人金芝河が政治的な弾圧を受けていた時に、彼の詩や文筆活動を紹介した。渋谷仙太郎、井出愚樹と言ったペンネームを使っていたから、僕も長いこと気が付かなかったけど、その名で出た詩集を僕も読んでいる。1993年に「朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀」を出版したが、これは非常に重要な研究書。米軍が朝鮮戦争時に押収した北側の文書を丹念に調べて、朝鮮戦争が北側から起こされたことを証明した。(今はソ連崩壊後の史料で裏付けられている。)晩年は反朝鮮総連活動一本だったようだが、90年代の本は貴重なものだと思う。
(萩原遼)
ジャーナリストで元共同通信編集主幹、原寿雄(としお)が11月30日、92歳で死去。小和田次郎名の「デスク日記」など。「乙女の密告」で2010年に芥川賞を受けた赤染晶子が、9月18日に亡くなっていたことが12月に報じられた。42歳という若さだった。翻訳家の上田真而子(まにこ)が17日に死去、87歳。エンデの「はてしない物語」やH・P・リヒター「あのころはフリードリヒがいた」などの翻訳者だった人。アメリカの女性ミステリー作家のスー・グラフトンが28日に死去、77歳。「アリバイのA」から始まって、アルファベット順に書き続けたけど、Yで終わりになった。
俳優の真屋順子が12月28日に亡くなっていたことが新年に報道された。75歳。多くのドラマに出たけれど、やっぱり「欽ちゃんのどこまでやるの?」の印象が圧倒的。「欽どこ」の写真を見ると、欽ちゃんが若いのにビックリする。俳優の深水三章(しんすい・さんしょう)が30日に死去、70歳。映画やドラマで活躍と出てるけど、もとは70年代初めの東京キッドブラザーズである。そこを脱退して、75年にミスタースリムカンパニーを立ち上げた。これが面白いとラジオの深夜放送で何度も聞いて、僕も何回か見に行った。太神楽芸人の海老一染之助が6日に死去、83歳。兄の染太郎とコンビで活躍した。
(真屋順子)
東芝元社長でウェスチングハウスを買収した時の社長、西田厚聡(あつとし)が8日に死去、73歳。ロータリーエンジン開発で知られるマツダの元社長、会長の山本健一が20日死去、95歳。ロータリーエンジンなんて、もうずいぶん昔という感じだ。人生山あり、谷あり。それは野村沙知代に言えるか。8日死去、82歳。野村監督夫人という以外にどういう活動をしたというべきかよく判らないけど、まあ名前と顔は誰もが知っていた。
朝日新聞で野村沙知代の訃報の下に、丸浜江里子さんの訃報が載っていた。7日死去、66歳。「元公立中学教諭」ということになるけど、杉並をベースに歴史教育運動に尽力した。杉並で始まった原水爆禁止運動を研究して「原水禁署名運動の誕生」という大著を著した。
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歌手のはしだのりひこ(端田宜彦)が2日に72歳で没。葉室と逆に、はしだのりひこは70年代以後はほとんど知らない。訃報では「ザ・フォーク・クルセイダーズ」で語られているけど、同時代を知ってる人はむしろその後の「はしだのりひことシューベルツ」「はしだのりひことクライマックス」という彼の名前を冠したグループの方が記憶にある。前者は「風」や「さすらい人の子守唄」、後者は「花嫁」というヒット曲がある。その後は「主夫」としてエッセイを書いたりした時期もあった。
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脚本家・作家の早坂暁(あきら)が、16日に死去、88歳。「夢千代日記」が代表作と言われるけど、僕はその頃全然テレビを見てないので判らない。「天下御免」「七人の刑事」などはすごく面白かった。大竹しのぶのデビュー作である映画「青春の門」、続く「青春の門・自立篇」の脚本を監督の浦山桐郎とともに担当していた。これは訃報で知って、そうだったのかと思う。小説では「ダウンタウン・ヒーローズ」が山田洋次監督で映画化されている。僕はあまり知らなかった人。
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拉致被害者の曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンズが、11日に77歳で没。この人はベトナム戦争激化の年である1965年に在韓米軍から脱走して越北した。2004年に娘と来日した後で、米軍の軍法会議で禁固刑を受けた。その後は一家で佐渡に住んだわけだが、数奇なる人生を歩んだ人だ。12日に拉致被害者増元るみ子さんの母親、増元信子(90歳)の訃報も伝えられた。一方、元慰安婦として裁判を起こした宋神道(ソン・シンド)が95歳で亡くなった。朝鮮・忠清南道から中国戦線へ連れていかれ、7年間「慰安婦」にされた。戦後は日本兵に連れられて宮城県に住んだ。(女川の自宅は東日本大震災の津波で流された。)93年に日本政府を相手に賠償請求裁判を起こしたことで知られた。「オレの心は負けてない」というドキュメント映画にもなった。
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公明党元書記長の市川雄一が、14日に82歳で死去。書記長だったのは89年から94年いっぱいだとあるけれど、そこで新進党に合流したわけである。この時期はPKO法成立から細川政権成立という重大な出来事があった。「社公民」路線から「自公民」路線(この「民」は民社党である)に舵を切り、そこで培った小沢一郎との関係を生かして非自民政権で重きをなした。当時は小沢一郎と「一・一ライン」と呼ばれていた。(細川連立政権で、小沢は新政党代表幹事、市川が公明党書記長で、このコンビで政権を牛耳っていると思われていた。)2003年に政界引退。
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ジャーナリストで、「北朝鮮に消えた友と私の物語」で大宅壮一ノンフィクション賞を受けた萩原遼が22日に死去、80歳。この人は赤旗のピョンヤン特派員だった人である。だから当然、日本共産党員である。(2005年に除籍。)特派員だったのは72年から73年だが、帰国した友人を探し回って追放されたらしい。その後、70年代半ばに韓国の詩人金芝河が政治的な弾圧を受けていた時に、彼の詩や文筆活動を紹介した。渋谷仙太郎、井出愚樹と言ったペンネームを使っていたから、僕も長いこと気が付かなかったけど、その名で出た詩集を僕も読んでいる。1993年に「朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀」を出版したが、これは非常に重要な研究書。米軍が朝鮮戦争時に押収した北側の文書を丹念に調べて、朝鮮戦争が北側から起こされたことを証明した。(今はソ連崩壊後の史料で裏付けられている。)晩年は反朝鮮総連活動一本だったようだが、90年代の本は貴重なものだと思う。
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ジャーナリストで元共同通信編集主幹、原寿雄(としお)が11月30日、92歳で死去。小和田次郎名の「デスク日記」など。「乙女の密告」で2010年に芥川賞を受けた赤染晶子が、9月18日に亡くなっていたことが12月に報じられた。42歳という若さだった。翻訳家の上田真而子(まにこ)が17日に死去、87歳。エンデの「はてしない物語」やH・P・リヒター「あのころはフリードリヒがいた」などの翻訳者だった人。アメリカの女性ミステリー作家のスー・グラフトンが28日に死去、77歳。「アリバイのA」から始まって、アルファベット順に書き続けたけど、Yで終わりになった。
俳優の真屋順子が12月28日に亡くなっていたことが新年に報道された。75歳。多くのドラマに出たけれど、やっぱり「欽ちゃんのどこまでやるの?」の印象が圧倒的。「欽どこ」の写真を見ると、欽ちゃんが若いのにビックリする。俳優の深水三章(しんすい・さんしょう)が30日に死去、70歳。映画やドラマで活躍と出てるけど、もとは70年代初めの東京キッドブラザーズである。そこを脱退して、75年にミスタースリムカンパニーを立ち上げた。これが面白いとラジオの深夜放送で何度も聞いて、僕も何回か見に行った。太神楽芸人の海老一染之助が6日に死去、83歳。兄の染太郎とコンビで活躍した。
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東芝元社長でウェスチングハウスを買収した時の社長、西田厚聡(あつとし)が8日に死去、73歳。ロータリーエンジン開発で知られるマツダの元社長、会長の山本健一が20日死去、95歳。ロータリーエンジンなんて、もうずいぶん昔という感じだ。人生山あり、谷あり。それは野村沙知代に言えるか。8日死去、82歳。野村監督夫人という以外にどういう活動をしたというべきかよく判らないけど、まあ名前と顔は誰もが知っていた。
朝日新聞で野村沙知代の訃報の下に、丸浜江里子さんの訃報が載っていた。7日死去、66歳。「元公立中学教諭」ということになるけど、杉並をベースに歴史教育運動に尽力した。杉並で始まった原水爆禁止運動を研究して「原水禁署名運動の誕生」という大著を著した。