部活動のあり方をどう変えたらいいのか。どこをどう変えるのか、さまざまな発想で考えてみないといけない。理想を考えることも大事だし、現実にできることを考えることも大事。地域ごとにできることを試行してみることも必要だろう。論理的に整理して考えると、①部活動の時間の方を変える ②教員の勤務時間の方を変える ③学校と部活動の関係の方を変える という三つの方向性がある。
極端に言えば、部活動そのものをなくしてしまえば「部活動による長時間労働」はなくなる。だけど、それはできない。生徒や保護者の要望もあるだろうし、部活をやりたい教員もいる。しかし、そういう問題ではない。学校の課外活動をすべて止めてしまえば、授業が終わったら生徒はすぐに下校することになる。家でおとなしく勉強する生徒ばかりじゃないだろう。コンビニで万引きしたり、たむろして喫煙するようなケースが激増しないか心配な教員が多いに違いない。今は「やんちゃなお子さん」の多くも部活に所属し、問題行動を起こすと部員全員が試合に参加できなくなる。そのような「歯止め」が無くなれば、問題行動が増えると思う教員が大多数だと思われる。
そういう風に「生活指導の手段」にすることがいいとは思えない。だが、80年代の全国的な「校内暴力」の後で、特に中学では生活指導の一環として部活が奨励されてきた。原則的には、校門を出れば生徒も社会の一員で、問題行動があれば警察に任せるべきだ。でも、そういういわば「貴乃花方式」は、多くの学校では実行が難しい。電話一本で生活指導担当が自転車で駆け付けるのが、日本の学校だ。じゃあ、生徒が外へ出られないように宿題をいっぱい出すか。そうしたら、その点検で大変だ。「部活をなくすと、かえって仕事が増える」と多くの中学教員は思うはずである。
じゃあ、部活動の時間を1時間程度に抑えだらどうか。部活を含めて全生徒が5時には下校するようにすれば、教師の勤務時間内に業務は終わることになる。だけど、これも難しい。すぐにできるスポーツはいいけど、ある程度長時間を掛けて仕上げていく団体競技はもっと多くの活動時間が欲しいだろう。音楽系やダンス、演劇なども、少なくとも大会に向けての期間は無理だ。それなら、土日の部活動は全面的にやめにして、部活は放課後だけにする。これも大会が土日に行われるわけだし、他校との練習試合、音楽・演劇等の通し練習は大会前の土日を使わないといけないはずだ。
中学生の場合、スポーツ庁でも「部活のやり過ぎ」はよくないという見解を示している。週内は3日程度、土日は半日程度の活動を目安とすることは考えられる。だが、そうなっても、それだけでは教員の負担感はあまり減らないだろう。つまり、部活動の時間を減らすという方向性はかなり難しいように思う。それなら、教員の勤務時間の方を変えるしかないのだろうか。「部活を担当する教師だけ勤務時間を10時間とする」というような明らかに違法なことはできない。じゃあ、どうするか?
一つは、「勤務時間を後ろにずらす」ということだ。担任は朝からいないといけないから、その年に学級担任ではない教員(これが最近は実働人員が少ないと思うが)で、部活に熱心な人に関して「部活動軽減」制度を作って、授業数を減らす。その分、1・2時間目の授業を外せるので、勤務時間をずらせる。他の部活も含めて、後始末や下校指導はそのような教員が中心に行う。あるいは、丸一日授業がない日を作って、土日の一日を部活のための勤務とする。実績のある教員を中心に、各校で3人ぐらい「部活軽減」を認められれば、ずいぶん楽なシステムが作れるだろう。
もう一つ、「勤務時間の縛りのない教員」を作ってしまうというやり方も考えられる。教員人生の中で、ある時期になると選択を迫られてくる。管理職になるとか、授業や生徒指導にどこまで取り組むかなどである。そんな中に「部活指導教員」制度を作って、年間総労働時間のみを決め、年俸制とする。異動も他の教員と別に、部活ごとに行う。その代り、時間管理や翌年の報酬などの交渉はそれぞれで行う。そんな仕組みである。まあ、難しいだろうな。
そうすると、やはり「部活と学校の関わり方を変える」ことを試みない限り、この問題は変わらないということになる。そもそも公務員には「職務専念義務」があるんだから、勤務時間内に「ボランティア的業務」があること自体がおかしい。それは勤務なのか、勤務外なのか、はっきりして欲しいというのは当然だ。だから、部活動を正規の教育課程と位置付けるべきだという意見もかなりある。しかし、それも相当難しい。そうすると正規の業務だけで労基法の規定を超えてしまう。
正規の業務なら、部活指導の資格はどうなるのかということも出てくる。部活が正規の課程になるなら、生徒全員の履修が必要なのか。年間指導計画もいるのか。職員会議中に部活をやっていいのだろうか。生徒の自主的な活動というものは一切認めないのか。問題が続出することになる。かえって面倒くさい。こうして考えてみると、部活動のあり方は「こちら立てれば、あちら立たず」「あちら立てれば、こちら立たず」ばかりである。そうするとどうすればいいのか。ここで話を社会教育やスポーツのあり方に移してみたい。そもそも理想的な課外活動のあり方とは、一体どんなものだろうか。校内の教員の事情ばかり考えていると、結局何も変えられないじゃないか、で終わってしまう。
極端に言えば、部活動そのものをなくしてしまえば「部活動による長時間労働」はなくなる。だけど、それはできない。生徒や保護者の要望もあるだろうし、部活をやりたい教員もいる。しかし、そういう問題ではない。学校の課外活動をすべて止めてしまえば、授業が終わったら生徒はすぐに下校することになる。家でおとなしく勉強する生徒ばかりじゃないだろう。コンビニで万引きしたり、たむろして喫煙するようなケースが激増しないか心配な教員が多いに違いない。今は「やんちゃなお子さん」の多くも部活に所属し、問題行動を起こすと部員全員が試合に参加できなくなる。そのような「歯止め」が無くなれば、問題行動が増えると思う教員が大多数だと思われる。
そういう風に「生活指導の手段」にすることがいいとは思えない。だが、80年代の全国的な「校内暴力」の後で、特に中学では生活指導の一環として部活が奨励されてきた。原則的には、校門を出れば生徒も社会の一員で、問題行動があれば警察に任せるべきだ。でも、そういういわば「貴乃花方式」は、多くの学校では実行が難しい。電話一本で生活指導担当が自転車で駆け付けるのが、日本の学校だ。じゃあ、生徒が外へ出られないように宿題をいっぱい出すか。そうしたら、その点検で大変だ。「部活をなくすと、かえって仕事が増える」と多くの中学教員は思うはずである。
じゃあ、部活動の時間を1時間程度に抑えだらどうか。部活を含めて全生徒が5時には下校するようにすれば、教師の勤務時間内に業務は終わることになる。だけど、これも難しい。すぐにできるスポーツはいいけど、ある程度長時間を掛けて仕上げていく団体競技はもっと多くの活動時間が欲しいだろう。音楽系やダンス、演劇なども、少なくとも大会に向けての期間は無理だ。それなら、土日の部活動は全面的にやめにして、部活は放課後だけにする。これも大会が土日に行われるわけだし、他校との練習試合、音楽・演劇等の通し練習は大会前の土日を使わないといけないはずだ。
中学生の場合、スポーツ庁でも「部活のやり過ぎ」はよくないという見解を示している。週内は3日程度、土日は半日程度の活動を目安とすることは考えられる。だが、そうなっても、それだけでは教員の負担感はあまり減らないだろう。つまり、部活動の時間を減らすという方向性はかなり難しいように思う。それなら、教員の勤務時間の方を変えるしかないのだろうか。「部活を担当する教師だけ勤務時間を10時間とする」というような明らかに違法なことはできない。じゃあ、どうするか?
一つは、「勤務時間を後ろにずらす」ということだ。担任は朝からいないといけないから、その年に学級担任ではない教員(これが最近は実働人員が少ないと思うが)で、部活に熱心な人に関して「部活動軽減」制度を作って、授業数を減らす。その分、1・2時間目の授業を外せるので、勤務時間をずらせる。他の部活も含めて、後始末や下校指導はそのような教員が中心に行う。あるいは、丸一日授業がない日を作って、土日の一日を部活のための勤務とする。実績のある教員を中心に、各校で3人ぐらい「部活軽減」を認められれば、ずいぶん楽なシステムが作れるだろう。
もう一つ、「勤務時間の縛りのない教員」を作ってしまうというやり方も考えられる。教員人生の中で、ある時期になると選択を迫られてくる。管理職になるとか、授業や生徒指導にどこまで取り組むかなどである。そんな中に「部活指導教員」制度を作って、年間総労働時間のみを決め、年俸制とする。異動も他の教員と別に、部活ごとに行う。その代り、時間管理や翌年の報酬などの交渉はそれぞれで行う。そんな仕組みである。まあ、難しいだろうな。
そうすると、やはり「部活と学校の関わり方を変える」ことを試みない限り、この問題は変わらないということになる。そもそも公務員には「職務専念義務」があるんだから、勤務時間内に「ボランティア的業務」があること自体がおかしい。それは勤務なのか、勤務外なのか、はっきりして欲しいというのは当然だ。だから、部活動を正規の教育課程と位置付けるべきだという意見もかなりある。しかし、それも相当難しい。そうすると正規の業務だけで労基法の規定を超えてしまう。
正規の業務なら、部活指導の資格はどうなるのかということも出てくる。部活が正規の課程になるなら、生徒全員の履修が必要なのか。年間指導計画もいるのか。職員会議中に部活をやっていいのだろうか。生徒の自主的な活動というものは一切認めないのか。問題が続出することになる。かえって面倒くさい。こうして考えてみると、部活動のあり方は「こちら立てれば、あちら立たず」「あちら立てれば、こちら立たず」ばかりである。そうするとどうすればいいのか。ここで話を社会教育やスポーツのあり方に移してみたい。そもそも理想的な課外活動のあり方とは、一体どんなものだろうか。校内の教員の事情ばかり考えていると、結局何も変えられないじゃないか、で終わってしまう。