2017年の暮れに、部活動に関して3つの記事を書いた。「2冊の部活本ーこれからの部活動のために」、「『好きの搾取』の部活動-部活を考える①」、「部活はそもそも残業なのだろうか-部活を考える②」である。その時に、新年になって続けて書くと書いたが、それを書きたいと思う。
先に書いたのは、部活動の時間に教員が「時間的束縛」を受けるのなら、それはまさに「勤務時間」そのものであって、「残業」というのとは違うだろうということだ。正規に定められた勤務時間を超えて拘束されているのだから、まさに違法状態というしかない。部活は教育課程外のボランティア的な業務だというのなら、部活動をしている生徒を置いて帰宅していいのか。もちろん、本当にどうしても用事で帰らざるを得ない時は、副顧問や他の部の顧問に下校指導を頼んで帰ることもある。それにしても誰かはいないといけないのであって、教師全員が帰ることはできない。
こういう現実はもう続けていけないと思う。続けてはいけないと強く思うようになった。少子化が今後も続き、さまざまの「教育改革」「授業改革」が進められている。(それが正しい方向のものとはとても思えないことが多いが。)日本全体がダウンサイジングしていく中、学校も教師も今までと同じような事を続けてはいけない。仮に続けたいと思っても、できない。変えるなら今しかない。現在は部活のあり方を変えるための、百年に一度の機会だと思う。
そう思う理由はいくつもあるが、①政府が率先して「働き方改革」を呼びかけている。②電通事件などを機に、「過労死」問題への関心がかつてなく高まっている。③中学での部活のやり過ぎに関して、スポーツ庁でもガイドラインを作って制限を設ける動きが進んでいる。④教育学者や教員などによる「教員の長時間労働見直し」ネット署名が50万名以上も集まり、文科省に提出された。⑤文科省でも「教員の働き方のガイドライン」を作ろうとしている。こんなに様々な動きがいくつも重なることは珍しい。今を逃せば部活のあり方は変わらないだろう。
主な論点になるのは、次のような観点だと思う。
①教師の長時間勤務をいかに変えていくか。「教員の働き方改革」の観点。
②教師の時間外労働はどう処遇するべきか。「給特法」と「職場のあり方」の観点。
③学校の課外活動のあり方や社会教育との連携。自主的なスポーツ、文化活動推進の観点。
④部活動の「指導」や指導者の資格はどうあるべきか。「指導者育成」の観点。
⑤特に「エリート」スポーツ選手(音楽、ダンス、将棋等を含む)の育成、高校・大学教育はどうあるべきか。
順番通りというわけでもないけど、これらの論点を考えていきたいと思っている。
僕が今思っているのは、教師の働き方が多くの子どもに対して「悪いロールモデル」となってきたのではないかということだ。教員労働運動は「教え子を再び戦場に送らない」を掲げて戦後の平和運動を支えてきた。それはそれで大事なことだと思うが、ちゃんと労働法も教えないまま卒業生を「違法残業」が横行する職場に送り込んできたのではないかということだ。それどころか、教師は自分の労働のあり方にさえ無関心だった。それでは生徒に労働法を教えることもできない。
部活動で活躍して進学していった生徒も何人もいる。だが特にスポーツ系の場合、ケガで部活を続けられなくなり、そのまま高校生活も続かなくなって、定時制高校に転校する生徒も多い。長時間の部活動が、生徒自身の人生を壊してしまうケースも多い。私立高校で活躍してプロになるような生徒もいるが、一生スポーツ選手をするわけではない。引退後のことを考えると、ちゃんとした一般常識を身に付けていないような場合もあるんじゃないか。そういうことも含めて、日本の部活動のあり方は根本的に考えなければいけない時期だと思う。
先に書いたのは、部活動の時間に教員が「時間的束縛」を受けるのなら、それはまさに「勤務時間」そのものであって、「残業」というのとは違うだろうということだ。正規に定められた勤務時間を超えて拘束されているのだから、まさに違法状態というしかない。部活は教育課程外のボランティア的な業務だというのなら、部活動をしている生徒を置いて帰宅していいのか。もちろん、本当にどうしても用事で帰らざるを得ない時は、副顧問や他の部の顧問に下校指導を頼んで帰ることもある。それにしても誰かはいないといけないのであって、教師全員が帰ることはできない。
こういう現実はもう続けていけないと思う。続けてはいけないと強く思うようになった。少子化が今後も続き、さまざまの「教育改革」「授業改革」が進められている。(それが正しい方向のものとはとても思えないことが多いが。)日本全体がダウンサイジングしていく中、学校も教師も今までと同じような事を続けてはいけない。仮に続けたいと思っても、できない。変えるなら今しかない。現在は部活のあり方を変えるための、百年に一度の機会だと思う。
そう思う理由はいくつもあるが、①政府が率先して「働き方改革」を呼びかけている。②電通事件などを機に、「過労死」問題への関心がかつてなく高まっている。③中学での部活のやり過ぎに関して、スポーツ庁でもガイドラインを作って制限を設ける動きが進んでいる。④教育学者や教員などによる「教員の長時間労働見直し」ネット署名が50万名以上も集まり、文科省に提出された。⑤文科省でも「教員の働き方のガイドライン」を作ろうとしている。こんなに様々な動きがいくつも重なることは珍しい。今を逃せば部活のあり方は変わらないだろう。
主な論点になるのは、次のような観点だと思う。
①教師の長時間勤務をいかに変えていくか。「教員の働き方改革」の観点。
②教師の時間外労働はどう処遇するべきか。「給特法」と「職場のあり方」の観点。
③学校の課外活動のあり方や社会教育との連携。自主的なスポーツ、文化活動推進の観点。
④部活動の「指導」や指導者の資格はどうあるべきか。「指導者育成」の観点。
⑤特に「エリート」スポーツ選手(音楽、ダンス、将棋等を含む)の育成、高校・大学教育はどうあるべきか。
順番通りというわけでもないけど、これらの論点を考えていきたいと思っている。
僕が今思っているのは、教師の働き方が多くの子どもに対して「悪いロールモデル」となってきたのではないかということだ。教員労働運動は「教え子を再び戦場に送らない」を掲げて戦後の平和運動を支えてきた。それはそれで大事なことだと思うが、ちゃんと労働法も教えないまま卒業生を「違法残業」が横行する職場に送り込んできたのではないかということだ。それどころか、教師は自分の労働のあり方にさえ無関心だった。それでは生徒に労働法を教えることもできない。
部活動で活躍して進学していった生徒も何人もいる。だが特にスポーツ系の場合、ケガで部活を続けられなくなり、そのまま高校生活も続かなくなって、定時制高校に転校する生徒も多い。長時間の部活動が、生徒自身の人生を壊してしまうケースも多い。私立高校で活躍してプロになるような生徒もいるが、一生スポーツ選手をするわけではない。引退後のことを考えると、ちゃんとした一般常識を身に付けていないような場合もあるんじゃないか。そういうことも含めて、日本の部活動のあり方は根本的に考えなければいけない時期だと思う。