尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

韓国の新感覚ゾンビ映画、ヨン・サンホ監督2本立て

2018年01月10日 21時08分34秒 |  〃  (新作外国映画)
 早稲田松竹でヨン・サンホ監督の「新感染 ファイナル・エクスプレス」と「ソウル・ステーション/パンデミック」の2本立て。(12日まで。)去年後半にヨン・サンホ監督の作品が3本連続して公開されて注目を集めた。ロードショーではうっかり見逃してしまったけれど、ゾンビ映画のアニメ、実写映画を2本。こういう番組をすぐやってくれるのが名画座のありがたいところ。どっちも威勢のいいこと、この上ない。「B級」と「社会派」のテイストを併せ持つ異能の誕生だ。

 「新感染」が評判を呼んでスマッシュヒットになったとき、僕はまだヨン・サンホを知らなくて、韓国の新しい娯楽映画の一本だろうと思ってしまった。続いて「前日譚」の触れ込みでアニメの「ソウル・ステーション」が公開され、さらに「我は神なり」というちょっと変わってるらしいアニメも公開された。ここに至って、ヨン・サンホ(1978~)はもともとはアニメ監督で、初めての実写映画が「新感染」なんだと知ったわけ。最初の長編が「豚の王」(2011)で一部で上映され注目を集めた。
 (ヨン・サンホ監督)
 「新感染」は原題「プサン行き」に付けも付けたりのB級テイストの邦題を付けたものだ。ソウルからプサン行きの高速新幹線(KTX)に「ゾンビ感染女性」が乗り合わせ、人から人へとどんどん増殖していく恐怖を描く。それに対抗して、いろいろな人がいろいろな行動を起こす。「密室」のホラーとして、上出来の映画。一度も退屈せずに一気見できることは確実だ。ゾンビというのは、それそのものが不可思議なものだから、映画ごとにいろんなローカル・ルールを作って楽しめる。この映画ではトンネルに入ると襲ってこれないことになってる。光に反応せずに、音に反応する。

 仕事人間の父親と女児がプサンの母に会いに行く。その親子を中心に、妊娠中の女性とその夫、高校の野球部員と応援の女生徒などなど、さまざまな人間が乗り合わせて、それぞれが人間の醜さと人間の気高さを示す。とにかく一度噛みつかれたらゾンビ化してしまうのがお約束だから、あっという間に車内がゾンビだらけになってしまう。もう逃げるのに必死で、家族・友人もばらけていく。「津波てんでんこ」という言葉を大津波の時に知ったけど、「ゾンビてんでんこ」とも言えるようだ。

 僕は韓国には20世紀を超えてから行ってない。だからフランスのTGVを導入したという韓国高速鉄道(KTX)は一度も乗ってない。前の「セマウル号」しか知らない。(もう「セマウル」という響きも古い感じだなあ。新しい村という意味だけど、パク・チョンヒ時代の言葉だからなあ。)それでも韓国の地理を知ってれば、チョナン(天安)、テジョン(大田)、トンテグ(東大邱)と映画に出てくる駅名を聞くと、プサンに行き着くのかとそれぞれの町を思い出しながら、見ている方も緊迫してくる。

 映画の最後になって、どうもウェルメイドなエンタメ映画ではないなと判ってくる。ゾンビも怖いけど、ゾンビじゃない人間の「排外主義」がゾンビと同じぐらい恐ろしい。そうすると、社会批判や風刺が映画の目的か。この面白さと疾走感は社会批判だけではできないだろうが、前作の「ソウル・ステーション/パンデミック」を見ると、社会風刺の鋭さは深いものがある。アニメでソウルの夜の恐怖を描いたこの映画は、僕はむしろ「新感染」より好きだ。ソウルの下層社会に生きるホームレスや風俗女性がゾンビから逃げ回る。ソウル駅や地下鉄線路などの描写も興味深い。

 ここでは鎮圧にやってくる警察や軍隊が恐ろしい。当初はホームレスの暴動を報じられ、ゾンビじゃない人間も容赦なく敵とみなされる。その怖さは、これが光州事件かと思わせるものがある。自衛隊の協力を得てゴジラと戦う国とは、もう感覚が違うんだと判る。そしてラスト近くの苦い現実、ここまでビターなアニメも珍しい。しかし、実写の「新感染」もアニメ的、アニメの「ソウル・ステーション」も実写的な映像でもある。CGが当たり前の現代では、どちらも似たような映像感覚で処理されていくということだろう。日本のアニメやコミックの影響も強いというヨン監督。注目の才能がまた現れたけど、社会への見方に日韓の差があるのも間違いない。それも興味深い点だと思う。
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