板橋区立美術館で開かれている「東京⇆沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展を見に行った。(15日まで。)板橋区立美術館は興味深い展覧会をよくやってるんだけど、なかなか遠くて今まで行ったことがなかった。何しろ自分で「永遠の穴場」と称しているぐらい、駅からも遠い。東京区部の西北端あたりで、駅で言えば都営地下鉄三田線の終点、西高島平から13分とある。高島平というのは巨大団地があるところだけど、そこ自体初めて行った。
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池袋モンパルナスは、昭和の初めごろに若い画家たちが東京の池袋周辺に集まっていたのをそう呼んだものだ。それは知っているけれど、「ニシムイ美術村」って何だ? 沖縄戦の後で首里に画家たちが集まって活動したのが「ニシムイ美術村」である。そして、そこには戦前の東京で池袋周辺に集まっていた画家たちもいた。その両者の絵、さらに関連の絵を広く集めて展示するという画期的な試みである。大体、僕は米軍統治下の沖縄で描かれた美術のことなど何も知らない。多くの人も今回の展覧会で初めて知ったんじゃないだろうか。
池袋だけじゃなく、目白通りの南側にあたる落合に住んだ画家たちも展示されている。チラシの裏側にある佐伯祐三や松本竣介などである。前に落合散歩を書いたことがあるが、そこには佐伯祐三や中村彝(つね)のアトリエが再建されている。そしてそこにニシムイ美術村の中心となった名渡山愛順(などやま・あいじゅん 1906~1970)もいた。1928年、東京美術学校(現・東京芸大)在学中に帝展に入選したという人である。1944年10月10日の那覇大空襲でそれまでの作品を失い、その後大分県に疎開していた。そして戦後に沖縄に戻りニシムイ美術村を作った。
また日中戦争下、多くの画家たちが沖縄を訪れ絵を描いていた。野見山暁治が1940年に描いた「首里城の高台から望む赤田町」、鳥海青児の「沖縄風景」(1940)など実に興味深い。さらに藤田嗣治も1938年に描いた「孫」という絵が出ている。アメリカ、メキシコで活動し、壁画運動に影響を受けた北川民次も、1936年に帰国後に沖縄を訪れた。1939年に描かれた「海王丸にて」と「沖縄風景」の2点が展示されている。どっちも沖縄県立博物館・美術館の所蔵である。
(藤田「孫」と北川「沖縄風景」)
そして、最後に沖縄の画家たちの作品が展示されている。先の名渡山愛順、南風原朝光(はえばる・ちょうこう 1904~1961)、安次嶺金正(あじみね・きんせい)、山元恵一(1913~1977)等の絵が展示されている。と言っても誰も名前を知らない。ウィキペディアにも出てない人がある。南風原を検索すると、2月まで沖縄で展覧会が開かれていた。「彷徨の海―旅する画家・南風原朝光と台湾、沖縄」と題されている。すごく興味深いと思うけど、今まで全然知らなかった。
(南風原「窓」と安次嶺「群像」)
ニシムイ美術村は、1948年に首里の「西森」(ニシムイ)に作られた。戦前に東京の美校で学んだ画家たちが中心だったが、生きていくために米軍人から家族などの肖像画をまとめて受注する意味もあったんじゃないかと思う。台風で一年もたたずになくなったとも言われるが、関係者が戦後沖縄の文化行政や文化運動にも関わっていく。チラシ表面の下にある、山元恵一《貴方を愛する時と憎む時》(1950)のように、明らかにシュールレアリスムの絵もある。20世紀の様々な潮流の影響を受けつつ、「沖縄」の風土を感じさせる絵が多い。
米軍統治下の沖縄文化と言えば、大城立裕の芥川賞受賞小説「カクテルパーティ」ぐらいしか思いつかない。認識に大きな穴があったなあと思った。戦後の沖縄と言えば、島ぐるみ闘争や瀬長亀次郎のことは知っていても、どんな芸術運動があったかは知らない。戦後沖縄の大衆文化もほとんど知らないが、知らないことは多いもんだと改めて知ることになった。周辺には史跡などが集まっているが、その歴史散歩は改めて別に書きたい。
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池袋モンパルナスは、昭和の初めごろに若い画家たちが東京の池袋周辺に集まっていたのをそう呼んだものだ。それは知っているけれど、「ニシムイ美術村」って何だ? 沖縄戦の後で首里に画家たちが集まって活動したのが「ニシムイ美術村」である。そして、そこには戦前の東京で池袋周辺に集まっていた画家たちもいた。その両者の絵、さらに関連の絵を広く集めて展示するという画期的な試みである。大体、僕は米軍統治下の沖縄で描かれた美術のことなど何も知らない。多くの人も今回の展覧会で初めて知ったんじゃないだろうか。
池袋だけじゃなく、目白通りの南側にあたる落合に住んだ画家たちも展示されている。チラシの裏側にある佐伯祐三や松本竣介などである。前に落合散歩を書いたことがあるが、そこには佐伯祐三や中村彝(つね)のアトリエが再建されている。そしてそこにニシムイ美術村の中心となった名渡山愛順(などやま・あいじゅん 1906~1970)もいた。1928年、東京美術学校(現・東京芸大)在学中に帝展に入選したという人である。1944年10月10日の那覇大空襲でそれまでの作品を失い、その後大分県に疎開していた。そして戦後に沖縄に戻りニシムイ美術村を作った。
また日中戦争下、多くの画家たちが沖縄を訪れ絵を描いていた。野見山暁治が1940年に描いた「首里城の高台から望む赤田町」、鳥海青児の「沖縄風景」(1940)など実に興味深い。さらに藤田嗣治も1938年に描いた「孫」という絵が出ている。アメリカ、メキシコで活動し、壁画運動に影響を受けた北川民次も、1936年に帰国後に沖縄を訪れた。1939年に描かれた「海王丸にて」と「沖縄風景」の2点が展示されている。どっちも沖縄県立博物館・美術館の所蔵である。
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そして、最後に沖縄の画家たちの作品が展示されている。先の名渡山愛順、南風原朝光(はえばる・ちょうこう 1904~1961)、安次嶺金正(あじみね・きんせい)、山元恵一(1913~1977)等の絵が展示されている。と言っても誰も名前を知らない。ウィキペディアにも出てない人がある。南風原を検索すると、2月まで沖縄で展覧会が開かれていた。「彷徨の海―旅する画家・南風原朝光と台湾、沖縄」と題されている。すごく興味深いと思うけど、今まで全然知らなかった。
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ニシムイ美術村は、1948年に首里の「西森」(ニシムイ)に作られた。戦前に東京の美校で学んだ画家たちが中心だったが、生きていくために米軍人から家族などの肖像画をまとめて受注する意味もあったんじゃないかと思う。台風で一年もたたずになくなったとも言われるが、関係者が戦後沖縄の文化行政や文化運動にも関わっていく。チラシ表面の下にある、山元恵一《貴方を愛する時と憎む時》(1950)のように、明らかにシュールレアリスムの絵もある。20世紀の様々な潮流の影響を受けつつ、「沖縄」の風土を感じさせる絵が多い。
米軍統治下の沖縄文化と言えば、大城立裕の芥川賞受賞小説「カクテルパーティ」ぐらいしか思いつかない。認識に大きな穴があったなあと思った。戦後の沖縄と言えば、島ぐるみ闘争や瀬長亀次郎のことは知っていても、どんな芸術運動があったかは知らない。戦後沖縄の大衆文化もほとんど知らないが、知らないことは多いもんだと改めて知ることになった。周辺には史跡などが集まっているが、その歴史散歩は改めて別に書きたい。
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