東京都文京区根津にある根津神社は、「東京十社」に入っている由緒ある神社である。東京ではつつじの名所として知られ、例年ゴールデンウィーク頃は、つつじを見に来る人でいっぱいになる。今年は早くも満開になっていて、ゴールデンウィークには終わっているという話なので、24日に見に行ってみた。東京メトロ千代田線の根津駅で降りて、10分ぐらい歩く。この一帯は最近は「谷根千」(谷中・根津・千駄木)と呼ばれて、街歩きの人気スポットになっている。
社域に入ると、向こうに花がいっぱい咲き乱れているのが見える。詳しく見ると、もう早咲きは終わっていて散っている。咲いていたのは、遅咲きのつつじ。やっぱりずいぶん早いなあ。境内には小高い「つつじ苑」があって、有料なんだけど入らないと意味がない。下からも花がよく見えるので、それで満足しているような人もいるように見えたが、やっぱり上から一望する方が素晴らしい。
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根津神社は、もとは日本武尊(やまとたけるのみこと)創建と言われるけど、そういう伝説はともかく今の社殿は1706年創建である。日光東照宮に代表される「権現造」の傑作と言われ、重要文化財に指定されている。18世紀初頭にはアメリカ合衆国はまだないんだから、古いには違いない。でも、関西ならこの程度で古いとは言わない。東京では300年前で古いわけである。
根津神社の場所は、徳川綱重(家光の三男で、家綱、綱吉の弟)の屋敷だったところである。綱吉に子どもがなく、6代将軍は綱重の子・家宣に回ってきた。その家宣が産まれた場所が、ここ根津神社なのである。家宣は綱重の庶子だったが、結局綱重にも他の子ができずに、家宣に将軍位が回ってきた。新井白石を用いた「正徳の治」と呼ばれる時代である。家宣時代は1709年から1712年の3年間、子どもの家継(3歳)が後継となったが1716年に亡くなり、紀伊家の吉宗になるわけである。家宣の胞衣(えな)を埋めたという石塚があった。家宣が将軍になったということで、この屋敷地が神社に献納され大きな社殿が作られた。
根津権現とも呼ばれ、昔の小説にはよく出てくる。根津一帯は上野と本郷の間の低地で、明治初期には遊郭があった。(直木賞を取った木内昇「漂砂のうたう」に描かれている。)だけど、東大ができたため学生に悪影響を与えるということで、1888年に洲崎(江東区)に移転させられた。文学者のゆかりも多いところだけど、今回はつつじを見ただけでやめて岩波ホールに映画を見に行った。
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社域に入ると、向こうに花がいっぱい咲き乱れているのが見える。詳しく見ると、もう早咲きは終わっていて散っている。咲いていたのは、遅咲きのつつじ。やっぱりずいぶん早いなあ。境内には小高い「つつじ苑」があって、有料なんだけど入らないと意味がない。下からも花がよく見えるので、それで満足しているような人もいるように見えたが、やっぱり上から一望する方が素晴らしい。
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根津神社は、もとは日本武尊(やまとたけるのみこと)創建と言われるけど、そういう伝説はともかく今の社殿は1706年創建である。日光東照宮に代表される「権現造」の傑作と言われ、重要文化財に指定されている。18世紀初頭にはアメリカ合衆国はまだないんだから、古いには違いない。でも、関西ならこの程度で古いとは言わない。東京では300年前で古いわけである。
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根津神社の場所は、徳川綱重(家光の三男で、家綱、綱吉の弟)の屋敷だったところである。綱吉に子どもがなく、6代将軍は綱重の子・家宣に回ってきた。その家宣が産まれた場所が、ここ根津神社なのである。家宣は綱重の庶子だったが、結局綱重にも他の子ができずに、家宣に将軍位が回ってきた。新井白石を用いた「正徳の治」と呼ばれる時代である。家宣時代は1709年から1712年の3年間、子どもの家継(3歳)が後継となったが1716年に亡くなり、紀伊家の吉宗になるわけである。家宣の胞衣(えな)を埋めたという石塚があった。家宣が将軍になったということで、この屋敷地が神社に献納され大きな社殿が作られた。
根津権現とも呼ばれ、昔の小説にはよく出てくる。根津一帯は上野と本郷の間の低地で、明治初期には遊郭があった。(直木賞を取った木内昇「漂砂のうたう」に描かれている。)だけど、東大ができたため学生に悪影響を与えるということで、1888年に洲崎(江東区)に移転させられた。文学者のゆかりも多いところだけど、今回はつつじを見ただけでやめて岩波ホールに映画を見に行った。