金聖雄(キム・ソンウン)監督の記録映画「獄友」(ごくとも)が東京で劇場公開中。金監督は「花はんめ」などを作ったあと、最近は狭山事件や袴田事件の映画を作ってきた。今回の「獄友」はそれに続く「冤罪三部作」と言うべき作品。冤罪被害を受けて人生の長い時間を獄中にとらわれた男たち及びその家族を見つめている。「獄友」という言葉は造語だが、なるほどこれしかない。

情報的には大体知っている内容なんだけど、でも見てよかったと思ったのは「顔がいいなあ」ということだ。最初から出てくるのは、狭山事件の石川一雄さん、布川事件の桜井昌司さん、杉山卓男さん、足利事件の菅家利和さんである。(杉山さんは2015年に死去。)
足利事件の菅家さんは2010年に再審で無罪判決が出た。布川事件の再審無罪判決は2011年で、その判決公判に石川さんや菅谷さんも傍聴に出かけた。再審が開かれない狭山事件の集会などにも、桜井さんたちは出かけて行く。また再審を求めていた死刑囚の袴田巌さんが2014年の再審開始決定で釈放されてきた。その時もまた集う。こうして冤罪を訴える集会で顔を合わせる彼らを見た監督が、この独特な絆を「獄友」と名付けて映画に撮り始めた。表の顔だけでなく、カラオケや配偶者の話など「裏」も撮影している。
布川事件の二人は「ショージとタカオ」という優れた記録映画になっている。石川さんと袴田さんは金監督自身が撮ってきた。だから顔をカメラに出して冤罪問題を訴えるだけでは、もうどこかで見た感じも否めない。この映画の特徴は「獄中体験」に焦点を当てていることだ。石川さんと桜井さん、杉山さんは千葉刑務所に同時期にいた。石川さんと袴田さんは東京拘置所で知り合い。菅家さんは時代が違うけど、やはり千葉刑務所。だから、共通の思い出話がある。「獄友」はそういう彼らの絆の深さを示している。
もう顔を見れば彼らが冤罪であることは誰も疑えないだろう。それでも人はあれこれ言うものだ。そんなときに同じ苦しみを体験した者どうしの言うに言われぬ深い思いが顔に出るんだと思う。お互いに自分は何者かを証明する必要のない関係。世の中には実はそんな関係は少ないんじゃないだろうか。「刑務所に入って良かった」と本心から言える言える桜井さんのひたすら前向きな生き方に学ぶことは多い。この映画の主人公格は、やはり桜井さんだろう。何しろ獄中で書いた詩に曲を付けてCDにして、コンサートまで開く。その様子は見ていて楽しい。(僕は4年間ほど六本木高校で桜井さんの話を授業でやっていたので懐かしかった。歌も聴いた。)
「冤罪」は身に降りかかる災難である。だが、裁判でも、再審請求でも、あるいはその後に至っても、検察側は自分たちに不利な証拠を隠して公開しない。(ある程度は公開して、それが再審開始の決定打になることも多い。)だから、もともとは単に「怪しい奴」で「不良少年」だったりした人が、「権力犯罪」の目撃者になってしまう。自分だけははっきり知っている自分の無罪を証明するために、権力と戦わざるを得なくなる。そんな宿命を逃げずに引き受けたから、これらの人々の顔には深い明るさがある。だから多くの人に見て欲しいと思う。
映画には出てないことをちょっとだけ。布川事件の支援運動は共産党系の日本国民救援会が中心になってきた。一方、狭山事件の場合、解放運動で解放同盟と共産党の対立が激しくなった段階で、共産党系は手を引いて、以後は解放同盟系の主導で支援が進められてきた。だから桜井さんが石川さん支援集会に行くとなると、布川事件支援者の中から「狭山に行くのは…」と言われるし、狭山事件の集会では「共産党帰れ」とヤジを飛ばす人もいる。(どっちも桜井さんが自分のブログで書いていたことである。)
だけど、桜井さんは狭山支援を止めない。石川さんは冤罪だと、自分の体験から判っているからだ。それどころか、渋谷暴動事件の中核派・星野文昭さんの再審支援にも行く。政治的な考えの違いはシャバに出て議論すればいい。権力犯罪の犠牲者として、冤罪被害者の訴えを支援していく。そんな姿勢が背後にあって、桜井さんたちの活動が続いている。非常に大切なことだと僕は思っている。(東京ではポレポレ東中野で、13日まで12:30、15:10~の2回、14日から朝10時のみ上映。)

情報的には大体知っている内容なんだけど、でも見てよかったと思ったのは「顔がいいなあ」ということだ。最初から出てくるのは、狭山事件の石川一雄さん、布川事件の桜井昌司さん、杉山卓男さん、足利事件の菅家利和さんである。(杉山さんは2015年に死去。)
足利事件の菅家さんは2010年に再審で無罪判決が出た。布川事件の再審無罪判決は2011年で、その判決公判に石川さんや菅谷さんも傍聴に出かけた。再審が開かれない狭山事件の集会などにも、桜井さんたちは出かけて行く。また再審を求めていた死刑囚の袴田巌さんが2014年の再審開始決定で釈放されてきた。その時もまた集う。こうして冤罪を訴える集会で顔を合わせる彼らを見た監督が、この独特な絆を「獄友」と名付けて映画に撮り始めた。表の顔だけでなく、カラオケや配偶者の話など「裏」も撮影している。
布川事件の二人は「ショージとタカオ」という優れた記録映画になっている。石川さんと袴田さんは金監督自身が撮ってきた。だから顔をカメラに出して冤罪問題を訴えるだけでは、もうどこかで見た感じも否めない。この映画の特徴は「獄中体験」に焦点を当てていることだ。石川さんと桜井さん、杉山さんは千葉刑務所に同時期にいた。石川さんと袴田さんは東京拘置所で知り合い。菅家さんは時代が違うけど、やはり千葉刑務所。だから、共通の思い出話がある。「獄友」はそういう彼らの絆の深さを示している。
もう顔を見れば彼らが冤罪であることは誰も疑えないだろう。それでも人はあれこれ言うものだ。そんなときに同じ苦しみを体験した者どうしの言うに言われぬ深い思いが顔に出るんだと思う。お互いに自分は何者かを証明する必要のない関係。世の中には実はそんな関係は少ないんじゃないだろうか。「刑務所に入って良かった」と本心から言える言える桜井さんのひたすら前向きな生き方に学ぶことは多い。この映画の主人公格は、やはり桜井さんだろう。何しろ獄中で書いた詩に曲を付けてCDにして、コンサートまで開く。その様子は見ていて楽しい。(僕は4年間ほど六本木高校で桜井さんの話を授業でやっていたので懐かしかった。歌も聴いた。)
「冤罪」は身に降りかかる災難である。だが、裁判でも、再審請求でも、あるいはその後に至っても、検察側は自分たちに不利な証拠を隠して公開しない。(ある程度は公開して、それが再審開始の決定打になることも多い。)だから、もともとは単に「怪しい奴」で「不良少年」だったりした人が、「権力犯罪」の目撃者になってしまう。自分だけははっきり知っている自分の無罪を証明するために、権力と戦わざるを得なくなる。そんな宿命を逃げずに引き受けたから、これらの人々の顔には深い明るさがある。だから多くの人に見て欲しいと思う。
映画には出てないことをちょっとだけ。布川事件の支援運動は共産党系の日本国民救援会が中心になってきた。一方、狭山事件の場合、解放運動で解放同盟と共産党の対立が激しくなった段階で、共産党系は手を引いて、以後は解放同盟系の主導で支援が進められてきた。だから桜井さんが石川さん支援集会に行くとなると、布川事件支援者の中から「狭山に行くのは…」と言われるし、狭山事件の集会では「共産党帰れ」とヤジを飛ばす人もいる。(どっちも桜井さんが自分のブログで書いていたことである。)
だけど、桜井さんは狭山支援を止めない。石川さんは冤罪だと、自分の体験から判っているからだ。それどころか、渋谷暴動事件の中核派・星野文昭さんの再審支援にも行く。政治的な考えの違いはシャバに出て議論すればいい。権力犯罪の犠牲者として、冤罪被害者の訴えを支援していく。そんな姿勢が背後にあって、桜井さんたちの活動が続いている。非常に大切なことだと僕は思っている。(東京ではポレポレ東中野で、13日まで12:30、15:10~の2回、14日から朝10時のみ上映。)