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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

西東三鬼の超面白本「神戸・続神戸」

2019年09月01日 22時53分18秒 | 本 (日本文学)
 社会的なテーマや映画などを置いて、どうしても紹介しておきたい面白本。西東三鬼(さいとう・さんき)の「神戸・続神戸」が6月末に新潮文庫で刊行された。僕は前に読んでたけど、もう一回読みたいから買った。本文だけなら180頁程度、430円という値段だから、買うかどうか悩むほどじゃない。日本文学史上、屈指の面白本だが、一種の「奇書」でもある。再読して、多少今では問題を感じた描写もあったけれど、自由な風が吹き抜ける読後感は今でも素晴らしい。

 西東三鬼(1900~1962)は、昭和期の著名な俳人。訳あって戦時中を神戸に過ごした時の回想が「神戸」で1954~56年に「俳句」誌に掲載された。好評で「続神戸」が書かれ、「神戸・続神戸・俳愚伝」として没後の1975年に刊行された。1977年に早坂暁脚本、小林桂樹主演でNHKのドラマになり、その時に「冬の桃」(1977)として再刊された。僕が読んだのはその本。その後、書名を元に戻して2000年に講談社文芸文庫に入り、今度は「俳愚伝」をカットして改めて刊行された。今回は作家の森見登美彦氏が「発見」したようで、長い解説が付いている。

 西東三鬼、本名斎藤敬直は岡山県津山の生まれで、元々は歯医者である。兄のいた東京で資格を取り、卒業後は兄がいたシンガポールに渡った。もともと歯医者は生きる糧で、自由・放浪の気質なのである。帰国して、歯科医のかたわら、患者の勧めで33歳で初めて俳句を始めた。無季の新興俳句運動に共鳴し、あちこちの句誌に投稿をし、やがて「京大俳句」を中心に戦争をテーマにした句を多く作った。1938年には結核で危篤になるが奇跡的に回復し、それをきっかけに歯医者をやめて商社に務めた。そして1940年に「京大俳句事件」と呼ばれる新興俳句弾圧に巻き込まれ起訴猶予となった。
(西東三鬼)
 そんな人生上の屈託を抱えて、1942年に商社を辞め妻子も置いて、単身神戸に移り住んだ。本人の書くところでは、「東京の何もかもから脱走」である。住むところもないけれど、東京の経験ではバーに行けばバーの女の住むアパートが見つかる。これはと思う女を見つけて三宮のバーに行き着き、「奇妙なホテル」が見つかった。そしてそこは奇天烈な人々が住み着いた不思議な空間だった。森見氏の解説から引用すると、「エジプトのホラ男爵ことマジット・エルバ氏」「純情にして奔放な娼婦・波子」「比類なき掃除好きの台湾人、基隆」「お大師様を信仰する広東人・王」「風来坊の冒険家・白井氏」等々で、国籍性別を超越した奇人変人の巣窟である。

 淡々と語られるが、一人一人のエピソードが長編小説になりそうな濃密さ。「死と隣り合わせの祝祭」だった日々。神戸にはドイツの潜水艦の水兵がいて、ホテルの女性目当てに男たちが訪れてくる。もう米海軍が制海権を持っていて、日本に寄港したまま帰れないのである。そんなことがあったんだ。戦時下に貴重な黒パンや缶詰を持ってドイツ人がやってくる。しかし、やがて神戸も空襲されるであろう。予感した三鬼は神戸の外れに洋館を見つけ、そこに移り住んだ。思い出のホテルはやはり焼けてしまう。そして戦後の話が「続神戸」で語られる。米軍占領下の神戸も興味深いけど、やはり「滅びの予感」とともに奇人たちが助け合った「神戸」の方が面白い。

 「神戸・続神戸」では、港町神戸の最底辺に生きる内外人が分け隔てなく描かれている。「自由こそ最高の生甲斐」(「続神戸」前説)と考える著者の真骨頂である。まさに「自由を我等に」(ルネ・クレール監督の1931年作品)である。いろいろとあったにせよ、著者が戦時下の東京にはいられずに、神戸へ「脱走」したのは「運命」だっただろう。そして、この美しき奇書が生まれた。もうすぐ運命が彼らを飲み込んでしまう前に、愛すべき哀しき奇人たちと宴をともにせん。無類の面白本で、知らない人もいるだろうから書いておきたくなったわけ。
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