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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ディリリとパリの時間旅行」、自由と美のアニメ映画

2019年09月02日 22時26分47秒 |  〃  (新作外国映画)
 見ている映画を全部書いてるわけじゃなくて、最近じゃレバノン映画「存在のない子供たち」やヴィム・ヴェンダースの新作「世界の果ての鼓動」を書いてない。前者は子どものネグレクトやレバノンの外国人問題など、重い問題を描いた問題作で、子役の存在感がすごい。後者は映像が素晴らしいが、どうも内容に疑問もあった。フランスのアニメ映画「ディリリとパリの時間旅行」は、近くの映画館でやってる市川雷蔵主演の「鯉名の銀平」を見ようと思って、時間の都合で見た。そうしたら、雷蔵の映画は前に見ていたのを忘れていた。でも、「ディリリ」が素晴らしかったのである。世の中そういうことがある。

 ウッディ・アレンに「ミッドナイト・イン・パリ」という映画があった。アメリカ人がなぜかタイムスリップして、20年代のパリに迷い込むという話である。まあアメリカ人としては、ヘミングウェイなんかがいる時代じゃないと受けない。この「ディリリとパリの時間旅行」はそのアニメ版かと思ったら、時代はもっと前の「ベル・エポック」だった。別にタイムスリップするわけじゃなく、20世紀初頭のパリで「ロケ」したような映画。アニメだから出来る。とにかくものすごく映像が美しい。うっとりするぐらい美しい。

 何というロマンティックノスタルジックな映画だろう。だが、この映画は決してそれだけではない。冒頭で「未開人の村」のような様子が描かれるが、カメラが引いていくとそこはパリの一角。見世物に連れてこられていたカナック人(ニューカレドニア)だったのである。ディリリはその中の一人の女児だが、現地で教育を受けフランス語もペラペラの「淑女」である。両親のどちらかがフランス人で、そのためニューカレドニアでは「顔が白い」と差別される。だがパリでは「黒い」と差別されると訴える。
 
 そんなディリリを町に連れ出して友だちになったのが配達人の青年オレル。二人でパリを回るうちに、謎の少女誘拐事件の噂を聞く。追跡するうちに、「男性支配団」なる怪組織に狙われる。ムーラン・ルージュやオペラ座を駆けめぐり、謎を追う「少年少女探偵団」。ついにディリリも敵の手に落ちるが…。当時のパリに生きる多くの有名人がいっぱい出てくるのも楽しい。パスツールキュリー夫人、画家のロートレックルノワールドガ、作曲家のドビュッシーエリック・サティ、作家のプルースト、女優のサラ・ベルナールなどなど綺羅星のごとき名前が続々と登場する。
(左がキュリー夫人、中がサラ・ベルナール)
 最後は飛行船を使った大救出作戦となり、エッフェル塔に住むエッフェルが協力する。えっ、エッフェルはエッフェル塔に住んでたの? ウィキペディアを見たら、エッフェルは1832年に生まれ、1923年に亡くなった。エッフェル塔は革命百年の1889年に建てられた。その後、パナマ運河をめぐる疑獄事件に巻き込まれたが最高裁で無罪となった。20世紀になると、エッフェル塔4階にサロンを設け、気象や天文、通信技術などの研究を送ったと出ていた。20世紀初頭に、実際にエッフェルはエッフェル塔にいた!

 監督はミッシェル・オスロ。1998年に「キリクと魔女」を作った人。「文明と未開」や「フェミニズム」といったテーマが大きく扱われているのは、今では子ども向けアニメでも必要なんだろうが、オスロ監督には一貫したものがある。それでも、フランスとパリへの愛に満ちている。こんな美しくて懐かしい、そして大冒険が語られることにうらやましい思いを感じる。とにかくすごく美しいので一見の価値がある。
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