「独ソ戦」について本を読んだので、一回「独ソ戦を描いた映画」のスピンオフ。僕はおおよそ若い頃に見たソ連映画で独ソ戦の印象が作られた。それらは「大祖国戦争」のプロパガンダでありつつ、「大祖国戦争を戦った人々を描く」と言えば検閲が通りやすかったので才気ある映画が多い。1956年の「スターリン批判」後の「雪どけ」時代に作られた映画には世界的に評価された作品も多い。
その前に、独ソ戦映画史上最高の問題作、エレム・クリモフ監督の「炎628」(1985)に触れないといけない。ドイツ占領下のベラルーシで起きた残虐な戦争犯罪の数々を少年の目で描いた映画である。あまりにも強烈な描写が続き、ラストの少年の変容に衝撃を受けない人はいないだろう。単なる「通常の戦争犯罪」(戦犯裁判でのB級犯罪)ではなく、「世界観戦争」としてのナチスの「絶滅政策」が基にある。ナチス「第三の男」と言われたハイドリヒが創設した「特別行動部隊」(アインザッツグルッペン)による凶行だったという。この映画は戦争犯罪を直視した映画として必見だ。
(「炎628」)
50年代に作られた映画の中で、僕が好きなのはグレゴリー・チュフライ監督の「誓いの休暇」(1959)。日本でも評価され、1960年のキネ旬ベストテン10位になっている。戦功をあげた若い兵隊が6日間の休暇を貰い、故郷の母親に会いに戻る。しかし、道中で頼まれ事を引き受けたりしているうちに時間がどんどん立ってゆく。軍用貨車に乗って少女と知り合って、心を通わせたりする。故郷が近づくと空襲で列車がストップ。ようやく故郷に帰ったら、すぐに帰らないといけない。それだけの映画なんだけど、若くて素朴で純粋な主人公は、もう二度と母には会えないのだ。そうなるんだろうと判っていながら、ラストでそれが示されると涙なしには見られない。何度か見てるけど、何度見ても感動する。
(「誓いの休暇」)
同時期の映画としては、有名な俳優だったセルゲイ・ボンダルチュク監督の初監督作品「人間の運命」(1959、60年キネ旬7位)。ショーロホフの短編の映画化で、戦争で家族を失った孤独な老人と子どもが共に生きてゆく姿を見つめる。ミハイル・カラトーゾフ監督「戦争と貞操」(1957、カンヌ映画祭グランプリ)は戦争で別れ別れになった恋人たちの運命を描く。再公開時に「鶴は翔んでゆく」と題名が変更された。(結婚してわけではない恋人たちに「貞操」は大げさ。)僕は大昔に見たけど、再見してないのでよく覚えてない。タルコフスキー監督の長編第1作「僕の村は戦場だった」(1962、ヴェネツィア映画祭金獅子賞)は、12歳の少年が家族をドイツ軍に奪われ、軍に加わって偵察任務を繰り返す。題名も印象的で、過酷な戦場を詩的に描き若き才能の登場を知らしめた。
(「僕の村は戦場だった」)
これらは当時も非常に高く評価された映画。ソ連軍や「銃後」の否定的な側面が出てこないわけではないが、それは背景事情である。主人公の運命は(悲劇的であっても)肯定的に描かれるから、公開されたのだろう。もう一つのタイプとして、公開禁止になったソ連映画がある。有名なのはアレクセイ・ゲルマンの「道中の点検」(1971)で、ソ連軍の官僚主義を批判して、ペレストロイカ最中の1986年まで公開できなかった。「誓いの休暇」のチュフライが作った「君たちのことは忘れない」(1978)も、母親が負傷した次男を軍に送らず匿い続けるという「脱走兵」もので、上映禁止になった。今は時々日本でも上映されているが、そんな映画もあるのである。また、ソ連政府、映画界が総力を挙げた国策映画としては、「ヨーロッパの解放」(1970)三部作がある。日本でも当時公開されたけど、僕は見る気がしなかった。「独ソ戦」片手に見直してみると面白いかもしれない。
有名なスターリングラードの激戦については、ジャン=ジャック・アノー監督「スターリングラード」(2001)がすさまじかった。米独英アイルランドの合作映画である。またサム・ペキンパーの「戦争のはらわた」(1977)は、アメリカ映画でありながらドイツ軍の視点で独ソ戦を描く。例によってヴァイオレンス描写がすごく、皆英語を話すのも変だから僕には違和感があった。狭義の独ソ戦じゃないけど、独ソにはさまれたポーランドの悲劇を描く映画も多い。アンジェイ・ワイダ監督の「地下水道」(1957)や「カティンの森」(2007)などで、特にこの2作は必見だろう。その必見理由を解説し始めると長くなるから、やめておく。もっといろいろあるけど、有名な作品にしぼった。
(「カティンの森」)
その前に、独ソ戦映画史上最高の問題作、エレム・クリモフ監督の「炎628」(1985)に触れないといけない。ドイツ占領下のベラルーシで起きた残虐な戦争犯罪の数々を少年の目で描いた映画である。あまりにも強烈な描写が続き、ラストの少年の変容に衝撃を受けない人はいないだろう。単なる「通常の戦争犯罪」(戦犯裁判でのB級犯罪)ではなく、「世界観戦争」としてのナチスの「絶滅政策」が基にある。ナチス「第三の男」と言われたハイドリヒが創設した「特別行動部隊」(アインザッツグルッペン)による凶行だったという。この映画は戦争犯罪を直視した映画として必見だ。

50年代に作られた映画の中で、僕が好きなのはグレゴリー・チュフライ監督の「誓いの休暇」(1959)。日本でも評価され、1960年のキネ旬ベストテン10位になっている。戦功をあげた若い兵隊が6日間の休暇を貰い、故郷の母親に会いに戻る。しかし、道中で頼まれ事を引き受けたりしているうちに時間がどんどん立ってゆく。軍用貨車に乗って少女と知り合って、心を通わせたりする。故郷が近づくと空襲で列車がストップ。ようやく故郷に帰ったら、すぐに帰らないといけない。それだけの映画なんだけど、若くて素朴で純粋な主人公は、もう二度と母には会えないのだ。そうなるんだろうと判っていながら、ラストでそれが示されると涙なしには見られない。何度か見てるけど、何度見ても感動する。

同時期の映画としては、有名な俳優だったセルゲイ・ボンダルチュク監督の初監督作品「人間の運命」(1959、60年キネ旬7位)。ショーロホフの短編の映画化で、戦争で家族を失った孤独な老人と子どもが共に生きてゆく姿を見つめる。ミハイル・カラトーゾフ監督「戦争と貞操」(1957、カンヌ映画祭グランプリ)は戦争で別れ別れになった恋人たちの運命を描く。再公開時に「鶴は翔んでゆく」と題名が変更された。(結婚してわけではない恋人たちに「貞操」は大げさ。)僕は大昔に見たけど、再見してないのでよく覚えてない。タルコフスキー監督の長編第1作「僕の村は戦場だった」(1962、ヴェネツィア映画祭金獅子賞)は、12歳の少年が家族をドイツ軍に奪われ、軍に加わって偵察任務を繰り返す。題名も印象的で、過酷な戦場を詩的に描き若き才能の登場を知らしめた。

これらは当時も非常に高く評価された映画。ソ連軍や「銃後」の否定的な側面が出てこないわけではないが、それは背景事情である。主人公の運命は(悲劇的であっても)肯定的に描かれるから、公開されたのだろう。もう一つのタイプとして、公開禁止になったソ連映画がある。有名なのはアレクセイ・ゲルマンの「道中の点検」(1971)で、ソ連軍の官僚主義を批判して、ペレストロイカ最中の1986年まで公開できなかった。「誓いの休暇」のチュフライが作った「君たちのことは忘れない」(1978)も、母親が負傷した次男を軍に送らず匿い続けるという「脱走兵」もので、上映禁止になった。今は時々日本でも上映されているが、そんな映画もあるのである。また、ソ連政府、映画界が総力を挙げた国策映画としては、「ヨーロッパの解放」(1970)三部作がある。日本でも当時公開されたけど、僕は見る気がしなかった。「独ソ戦」片手に見直してみると面白いかもしれない。
有名なスターリングラードの激戦については、ジャン=ジャック・アノー監督「スターリングラード」(2001)がすさまじかった。米独英アイルランドの合作映画である。またサム・ペキンパーの「戦争のはらわた」(1977)は、アメリカ映画でありながらドイツ軍の視点で独ソ戦を描く。例によってヴァイオレンス描写がすごく、皆英語を話すのも変だから僕には違和感があった。狭義の独ソ戦じゃないけど、独ソにはさまれたポーランドの悲劇を描く映画も多い。アンジェイ・ワイダ監督の「地下水道」(1957)や「カティンの森」(2007)などで、特にこの2作は必見だろう。その必見理由を解説し始めると長くなるから、やめておく。もっといろいろあるけど、有名な作品にしぼった。
