goo blog サービス終了のお知らせ 

尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

荒井晴彦監督「火口のふたり」

2019年09月22日 22時38分39秒 | 映画 (新作日本映画)
 日本を代表する脚本家である荒井晴彦(1947~)の3本目の監督作品「火口のふたり」が上映中だ。直木賞作家白石一文の原作を映画化したもので、ほとんどのシーンが主演の柄本佑瀧内公美のセックスシーンである。どんな映画なんだろうかと思いながらも、荒井監督の過去作品「身も心も」(1997)も「この国の空」(2015)も好きだったから、この映画も見ておきたいと思った。映画の出来はとても良いと思ったが、それ以上に現代を鋭く批評する精神に感銘を受けた。

 賢治(柄本佑)は東京でフリーターをしている。いとこの直子(瀧内公美)が結婚すると聞き久しぶりに秋田へ帰郷する。久しぶりに再会した二人を追いながら、次第に状況が判ってくる。二人はいとこで、昔から賢治が好きだった直子は、東京の大学に進学した賢治を追って上京した。その後、二人は濃密に付き合った日々があったが、賢治は直子と別れて結婚、そして離婚した。秋田へ帰った直子は賢治を忘れられないが、そろそろ子どもが欲しいと思って、紹介された40歳の防大卒エリート自衛官の求婚に応じたのだった。結婚式は10日後に迫っている。

 荷物の中から直子が取り出した1冊のアルバムには、ふたりの青春が映し出されていた。中でも富士山の火口を真上から撮ったポスターの前で、まるで裸の二人が飛び込むかのように撮った写真。これが「火口のふたり」の題名の理由。直子はあのとき、私たちは一回死んだと言う。そして「今夜だけ、あの頃に戻ってみない?」と言う。しかし、一度火が付いた賢治は一日じゃ諦められない。じゃあ、今任務で出張中の婚約者が帰るまでの5日間限定で、復活した二人の快楽の記憶。

 まあ確かに「濡れ場」(セックスシーン)が多いんだけれども、上の写真で判るように映像が美しい。構図も決まってるし、室内の美術も見事。「限定」された時空間で繰り広げられる熱い絡みは見応えたっぷり。このように濡れ場が多い映画として、「愛のコリーダ」なんかもあるが、あれは実際の事件の再現だ。他には中上健次原作の「赫い髪の女」や赤坂真理原作の「ヴァイブレータ」などが思い浮かぶ。どっちも荒井晴彦脚本なのが興味深い。自分で演出した「火口のふたり」は先の2作に負けていないと思う。荒井晴彦は「遠雷」「Wの悲劇」「大鹿村騒動記」など多くの脚本を書いてきた。キネマ旬報脚本賞を5回受賞するなど実績ある作家だが、この映画でも力量を発揮している。

 ところで、この映画はラスト近くに驚くような変転がある。それまでにも「イージスアショア反対」の看板が映り込んだり、賢治のセリフに「集団的自衛権」などという言葉が出る。それが直子の結婚相手の自衛官を相対化しているが、それだけでなくもっと本格的に「自衛官であること」が問われてくるのだ。そして「ポスト3・11」の物語であることがはっきりしてくる。もともと原作は2012年に発表されたものだという。主人公に大きな変化ががあった後で、風力発電塔が立ち並ぶ風景を前にしたラストシーンをどうとらえるべきか。終末的なムードの中でどう理解するべきかは今はまだ判断出来ない。

 悔い多き青春を送ってきた賢治を演じる柄本佑はまさに油が乗っている。魚のハーブ焼きを作って食べさせるシーンなんかに存在感を感じた。それ以上に難役に挑んだのが直子の瀧内公美。廣木隆一監督の「彼女の人生は間違いじゃない」のヒロインが印象深いが、あのときは福島出身だった。今度は秋田出身という設定で、やはり震災以後に生きる東北の女性を演じている。セックスシーン満載ではあるが、見た後では風景の方が心に残る映画。ラストの問題はあるが、僕は荒井晴彦の映画的感性をじっくりと味わうことが出来たので満足。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする