goo blog サービス終了のお知らせ 

尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「ボストン市庁舎」(フレデリック・ワイズマン監督)を見る

2022年02月09日 22時39分25秒 |  〃  (新作外国映画)
 2021年のキネマ旬報ベストテンが発表されたが、外国映画のベストワンはもちろん「ノマドランド」の圧勝である。これは誰が見てもはっきりしているが、ジェーン・カンピオン監督の「パワー・オブ・ザ・ドッグ」が8位というのは特別上映なので見てない評論家が多いのではないか。それにしてもフレデリック・ワイズマン監督「ボストン市庁舎」が2位に入っているのには驚いた。最近日本でも評価が高いドキュメンタリー映画の巨匠だが、あまりにも長い映画だからロードショーではうっかり見逃してしまった。

 今キネカ大森でやっているので見に行ったが、上映時間は272分である。「ドライブ・マイ・カー」は179分、「水俣曼荼羅」は372分である。どれも時間を感じずに見ることが出来たが、中でも「ボストン市庁舎」が一番面白いかもしれない。比較には意味がないが、実は恥ずかしながらフレデリック・ワイズマンの映画を初めて見たので発見が多かったのである。そう言っても世の中の大部分の人はフレデリック・ワイズマンの名を知らないだろう。でも僕はこれだけ映画について書いているのに、今まで見てなかったのである。ではフレデリック・ワイズマン監督とはどういう人か。
(フレデリック・ワイズマン)
 フレデリック・ワイズマン(Frederick Wiseman)は何と1930年1月1日生まれだから、92歳になったわけである。アメリカを代表するドキュメンタリー映画作家だが、日本での紹介は遅かった。精神病院を描く「チチカット・フォーリーズ」(1967)以来、学校や病院、さらには警察や軍隊、裁判所、障害者、DVなどアメリカ社会の諸相に密着する社会派として知られた。その後、20世紀終わり頃からアート映画を手掛けて「アメリカン・バレエ・シアターの世界」(1995)や「コメディ・フランセーズ 演じられた愛」(1996)などは日本でも公開されたと思う。21世紀になっても活躍を続け「パリ・オペラ座のすべて」(2009)、「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」(2014)など評判になったが、どれも時間が3時間を越えるような長い映画なのである。

 その後も衰えを見せず、再び社会派に戻ったかのような「ニューヨーク、ジャクソン・ハイツへようこそ」(2015、189分)、「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」 (2017、205分)は日本でも高く評価された。ホントはここら辺でそろそろ見ておかないといけなかったのだが、やはりどれも長時間なので時間が取れないまま終わってしまった。今度の「ボストン市庁舎」はさらに長い272分なんだから、実に困った監督である。しかも、日本の記録映画を見慣れていると、例えば原一男の映画でもそうだが、大体は監督本人が映画に登場して対象と一緒になって闘うような映画が多い。

 それに対して、ワイズマンの映画は完全に「ノー・ナレーション」で、作家の影はどこにも感じられない。ただ「観察」して映像を提示する。その編集リズムが心地よい。演説などは固定カメラ、誰かの家では手持ちカメラで見つめる。日本の想田和弘監督の「観察映画」はワイズマン監督の影響である。しかし想田監督の映画は題材が私的な世界が多いが、ワイズマンの映画は驚くほど広い対象に密着している。まあ、日本では警察や学校を自由に密着撮影させてくれるところは見つからないだろう。この映画のように「市庁舎」を自由に撮りまくるというのも恐らく無理。ワイズマンの信用というかキャリアにして許されることかもしれない。もはや映画祭やアカデミー賞などの対象にはならないのだが、アメリカ映画の至宝である。
(演説する市長)
 マサチューセッツ州ボストンは監督の出身地である。そこで映画を撮ったのは明確に反トランプの意思表示だという。マサチューセッツ州はケネディが出た民主党の牙城だが、2013年から務めるマーティ・ウォルシュ市長ももちろん民主党である。(ウォルシュはバイデン政権の労働長官になり、後任にはアジア系女性のミシェル・リーが当選した。)2018年から2019年に掛けてワイズマン監督は市長と市政に密着した。レッドソックスのワールドシリーズ優勝に始まり、市政の様々な断面を描き出す。警察、保健、高齢者、障害者、ホームレス支援などに加えて、同性婚の承認、民族的多様性支援など実に多岐にわたる行政サービスが出て来て驚く。特に興味深かったのはヴェテラン(退役軍人)の日の集会で人々が話す人生の深み。

 市長は多くの会合に出席し、演説を続ける。自らのアイルランド系、カトリック、貧困地区出身、アルコール中毒からのサバイバーなどを明かしながら、人々に語りかける。これほど言葉で表現し、人々もまたちゃんと聞いて質問する。日本の会議と全く違う。日本だと「お手元の資料をご覧ください」などと説明抜きで済ますこともある。そして「原案通りで御異議ありませんか」なんて、討議もなく決められてしまう。そんなことはアメリカではあり得ないことが判る。そこがアメリカの底力だと思う。市長以外でも多くの人がきちんと話をする。小さい頃から一般の人もスピーチのトレーニングを積み重ねてきたということだろう。これが「アクティブラーニング」の目指すものかと感慨深い。
(障害者の集会)
 そしてアメリカでは人種、性別の差別をなくすことに尽力している。地球温暖化についても、「今の大統領は関心がないようだが、市がリードして政策を進める」と言う。そういう試みをずっと見つめる。多くの人が出てきて話す。映画の取材に答えるのではない。集会をただ撮影すると、人々が皆質問するのである。特にラスト近くの「大麻の店を開く」問題は実に興味深かった。事情がよく判らないが(説明ナレーションも字幕もない)、恐らくマリファナが自由化された州なんだろうが、店を開くには自治体の許可と地元住民の了解がいる。人々は集会に集まり、口々に不安を訴える。コミュニティのリーダーは白人が多く、アフリカ系には心配が多いんだという。開店側には中国系の人もいる。そんな様子が描かれるのである。

 「ラ・マンチャの男」で理想に向かって行動する事の大切さを感じた。この映画の人々は60年代の公民権運動を引き継いでいるが、同時に「現場の実務能力」の重要性も語られる。これも重要なところで、市庁舎には実に雑多な電話が寄せられるが、そこにこそ「現場」がある。それを一つ一つこなしていく「実務」の世界である。それが「公務」の世界で、とても面白いのである。「公務員」の仕事は、実はとても面白いということを示す映画でもある。ところで市長の演説はもちろん字幕なしでは僕は理解出来ない。これを理解して、即座に英語で質問出来るか。そういう風になりたいなと思わせる映画でもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする