尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

スマイルとチャレンジ、日本の若い世代はスゴイ?ー北京冬季五輪①

2022年02月21日 23時40分54秒 | 社会(世の中の出来事)
 北京冬季五輪が終了したので、簡単に感想を。コロナ禍にあって、感染により出場出来なかった選手が各国にいたけれど、日本や世界のおおよその選手は参加できた。防疫に関しては厳しい措置が取られたが、中国政府が力を入れただけの「成功」はもたらされただろう。「中国の人権問題」が当初は大きな問題とされたが、ちょうどウクライナ問題が大問題になった時期と重なった。ロシア選手のドーピング疑惑も持ち上がり、「ロシア」の特異性に注目が集まって中国が忘れられたかも。ロシアは今回も「ロシア・オリンピック委員会」(ROC)としての参加しか認められず、表彰式ではチャイコフスキーが流れた。僕が思うには、世界各国皆こうする方がいいのではないか。(ところで「ペキン」はもう「ベイジン」に変えたらどうか。)

 日本選手団は金3、銀6、銅9の計18個のメダルを獲得して、冬季五輪史上最多となった。というけど、昔はなかった種目もあるし、全体のメダル数もきっと増えているに違いない。メダル数にこだわる気はないし、日本としても従来から強い競技でメダルを取ったという感じ。日本に有力選手がいないから、スキーアルペンクロスカントリーバイアスロン、あるいはそり競技リュージュボブスレースケルトンなんかはほとんどテレビ放送もないし、どういう結果なのか知らない。まあ日本選手が全競技で活躍する必要もないし、どの国も有力選手がいる競技だけ注目しているんだろう。

 今回は結構ドラマが多くて、良い方でも悪い方でも印象に残った。スキージャンプ団体、高梨沙羅スーツ規定違反失格問題スノーボード・ハーフパイプ平野歩夢2回目採点問題、3回目で金メダルフィギュアスケート男子羽生結弦のフリーでのジャンプミス。スピードスケート、パシュート女子決勝の金メダル目前の高木菜那の転倒。この時高木美帆は「姉は泣きじゃくっていたので、自分がしっかりしないといけないと思って、カナダ選手団に祝福に行った」と言うのを読んで、凄いなと思った。その2日後のスピードスケート女子1000m高木美帆の金メダルは、そういうことがあっただけに魂に触れるものがあった。

 そして次に女子フィギュアスケートがあったわけだが、それは別に書きたい。そして最後の最後に、予選敗退と思ったカーリング女子が決勝トーナメントに進出して、スイスに勝ってまさかの決勝というご褒美のような展開があった。ところで、僕は高木美帆でも坂本花織でも平野歩夢でもなく、ノルディック複合団体の銅メダルが一番心に響いた。渡部暁斗は個人で銅メダルを獲得していたが、団体ではメダルが難しいと思われていた。かつては日本の得意種目で、荻原健司河野孝典らを中心に92年、94年の五輪で金メダルを獲得した。だからメダル獲得は28年ぶり。しかし、メダルがどうのというより、クロスカントリーでラスト山本涼太選手の「魂の走り」でメダル圏内に飛び込んだのが凄かった。高木美帆金メダルと女子フィギュアの間の時間だったから、ナマでは見逃した人が多いんじゃないだろうか。
(ノルディック複合団体のゴールの瞬間)
 失敗した選手も多いわけだが、日本チームは勝っても負けても笑顔で迎えていた。ノルディック複合団体も先に終わった3人が一緒に祝福した。カーリングの「ロコ・ソラーレ」も4年前と同じように、コミュニケーションをよく取って笑顔で競技していた。笑っている場合じゃないとか、国を背負っているんだぞなどとハッパを掛ける人は皆無じゃないだろうが、ずいぶん減ったと思う。皆がその競技が好きなんだなあ、だから全力でやってるんだなあという気持ちが伝わった。あれ、日本人はこんなに笑顔で頑張れるんだったか。昔は強いものにへつらってヘラヘラ笑うと言われたものだが、今の選手たちはもっと素直で、辛いことがあっても笑顔で頑張るんだという「成熟」したスポーツ文化になってる。
(ロコ・ソラーレ)
 そもそも開会式前に最初に始まったアイスホッケー女子は、愛称が「スマイルジャパン」だった。アイスホッケーも日本じゃなかなか見る機会がないけれど、凄く面白いじゃないか。そして、フィギュアスケート・ペアの「りくりゅう」(三浦璃来/木原龍一)ペア。ジャンプなどが次々と決まって、途中から自分たちも笑顔でニコニコしながら演じきった。フリーの8位を一つあげて7位。その後のペアを見ると、まだまだレベルが違うなと思ったが、これほど見ている人に幸せな気持ちを与える演技も珍しいんじゃないか。入賞したわけだが、順位を越えた価値があると思った。
(りくりゅう」ペア)
 これらの選手たちは大体が20代の若者である。10代もいっぱいいて、30代になった選手もいるけれど、一番多いのは1990年代生まれだろう。だから大きな批判にさらされた「新カリ」(2002年から実施の学習指導要領)で育った世代だろう。「総合学習」を新設し、「生きる力」を育むとした。上の世代からは悪意を込めて「ゆとり世代」などと言われた時代である。学力低下をもたらすなどと猛烈な批判を受けて、その後教育政策は変わるがベースにあるものは変わっていない。教育に関しては、いつの時代もそうだが誰からも批判されやすい。右からは「道徳教育強化」を求められ、左からは「国家による統制強化批判」と言われる。マスコミでは学校は「同調圧力」が強く、いじめが発生すると非難されやすい。
(女子アイスホッケー「スマイルジャパン」)
 一般論でも、「今どきの若者」は「チャレンジ精神がない」とよく言われる。少子化で兄弟も少なく、多様な体験が出来ない。祖父母世代が元気で、若者は萎縮して内向きになっている。海外留学も減っているとか、コロナ禍前は散々言われたものだ。だけど、どうなんだろう。例えば平野歩夢選手は3度目の演技でも大技に挑んで成功させた。彼は去年はスケートボードで夏の五輪にも出ていた。二刀流と言われたが、昨年は大リーグの大谷翔平選手が「二刀流」で大成功して、本場アメリカの野球文化に大きな刺激を与えた。これはスポーツに限られたことではない。ちょうど同じ時期に将棋の藤井聡太が10代で五冠を達成した。2021年1月には現役大学生の宇佐美りんが芥川賞を獲得した。これらは偶然なのだろうか。

 教育とは短期的に結果が出るようなものではない。それに夏季五輪の種目ならともかく、冬季五輪の種目は学校教育で触れる事は少ない。北海道ではスキーやスケートを体育でやるところがあるかもしれないが、それでもスノーボードはやらないだろう。夏のスケボーなども同様で、部活にあるスポーツじゃない。10代から活躍している選手が多いけれど、それは家庭で支えるしかない。子ども時代から知られる選手は大体親が熱心で、一生懸命になっている。だから、80年代から90年代に掛けて、日本が一番経済的に豊だった時代が今になって実っているのかもしれない。また中曽根内閣の「臨時教育審議会」で開かれた教育の複線化、エリート教育化が影響したのかもしれない。

 だけど、それだけではないと僕は思う。ちょっと前まではまなじりを決して、全力でぶつかって笑ったりするもんじゃないというスポーツが多かった。学校の名誉を賭けて部活動に取り組む教師がいて、ミスをしたり負けたりすると怒鳴りつけたりしていた。それが珍しいことでもなかったと思うが、ずいぶん変わったと思う。笑顔で語る選手たちを皆が温かく歓迎している。スポーツや芸能、芸術の分野では、他分野より早く才能が開花する。研究者を目指す若者はまだ大学院で学んでいる年齢だろう。政治や経済に90年代世代が出て来るのは、もっと先になる。でも僕は思うんだけど、もっと早く彼らに道を開いてはどうだろう。東京五輪組織委の森喜朗元会長みたいな人はどんどん引退してもらって、若い世代が活躍できるようになれば、変わらないと思った日本社会もあっという間にガラッと変われるんじゃないだろうか。五輪を見ていて、若者たちの素晴らしい笑顔がいっぱい見られたと喜んでいる。
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