2023年のベルリン映画祭で金熊賞(最高賞)を受けたニコラ・フィリベール(Nicolas Philibert、1951~)監督の新作『アダマン号に乗って』(Sur l'Adamant)が公開された。日本の映画配給会社ロングライドが出資していて、そのことは大きく報道された。そのため公開が早まって、ゴールデンウィーク公開になった。僕はテーマ的に是非見たいと思っていたが、公開早々に見たのは、他の映画が満員で入れなかったから。この映画は面白かったけれど、同時に「観客を選ぶ映画」だなと思った。ドキュメンタリー映画でストーリーがないので、寝てる人もいるようだった。

ニコラ・フィリベールという人は、一貫して「ただ見つめる」ようなドキュメンタリー映画を作ってきた人である。日本では『音のない世界で』(1992)、『ぼくの好きな先生』(2002)などが公開されてきた。近作は看護学校の学生たちを描く『人生、ただいま修行中』(2018)で、自分が救急外来で集中治療室に入ることになり看護師の映画を作ろうと思ったという。その映画は見逃したが、『ぼくの好きな先生』は見たと思う。地方の小学校を舞台にした映画だった。
(ニコラ・フィリベール監督)
今回はパリのど真ん中である。でもエッフェル塔とかルーブル美術館などは全く出て来ない。ひたすらセーヌ川に浮かぶ船のような建物だけで進行する。毎朝鍵を開ける女性がいて、窓を開けていく。そこにいろんな人が出入りするが、映画は全く説明しない。普通のドキュメンタリーだと、ナレーションや字幕で「ここはどんな場所か」を示すものだろう。チラシ等を見て行ってるから、ある程度のことは事前に知っている。「精神科のデイケア・センター」なのである。だけど運営主体などの説明は最後になってようやく出て来るだけ。見る者もひたすら映された人々に寄り添って、彼らの言うことを聞くのである。
(アダマン号)
このように映画撮影そのものが一種のカウンセリングみたいな作品だ。通う人の中には、ギターを持って歌う人あり、絵を描く人あり。それがなかなかの出来で、つい見入ってしまう。自分の病気を語る人もいるが、何が真実かは判らない。自分たち兄弟がヴィム・ヴェンダース監督『パリ・テキサス』のモデルだと言う人もいる。その人は親が彼を画家にしようとしたという。それはヴァン・ゴッホと似ていたからだと言うのだが、まあ確かに似ている気もする。そういう現実なのか妄想なのか判別できない話も、突き詰めずにただじっくり聞いている。どうやらここでは絵や音楽などのアート活動が盛んなようだ。
(絵を描く女性)
もう一つここで重視しているのは「カフェ」らしい。コーヒーを美味しそうに入れている。ジャムを作ったりして売ってもいる。ただ外部から一般の客が来ているかというと、そこはどうもよく判らない。川の上ということもあって、フリの客が入るような場所じゃない気がする。むしろ患者同士がフラッときていろいろできる居場所という感じでやってる気がした。しかし、運営は通所者がやってるので、お金の管理などは大変だ。現金のみでやっていて、何度も数えている。出て来る人は皆病気と長く付き合っている。薬の話なども出て来る。監督は話をさえぎらずに自由に語らせているが、逆に向こうから聞いてくることもある。
(ミーティングの様子)
今彼らが取り組んでいるのは「シネクラブ」10周年を迎えて開く映画祭の企画である。この時は夕方から臨時にカフェを開き、7時から映画をやるという。上映する映画のポスターを見ると、『81/2』(フェリーニ)、『アメリカの夜』(トリュフォー)、『オリーブの林を抜けて』(キアロスタミ)などだから、相当映画に詳しいアート路線である。これを皆で見るんだから、大したものである。多分大変だろうと思うけど、その様子を映す前に映画は終わってしまう。最後になってようやく判るけど、どうやら船ではなく川に付きだして作られた船型の建物なのだった。
監督の話によると、フランスでも精神科医療の予算削減などが起こっているという。この「アダマン号」はフランス精神医療の標準ではなく、むしろ珍し場所だという。医者も来ているから相談なども出来るし、かなり恵まれている。病気の内容は説明されないから判らないけど、統合失調症が多いのではないか。薬物療法で症状はかなり押えられるようになってきたが、社会復帰はなかなか難しい難病である。精神科医療に詳しい人が見れば、やっぱりフランス人でも病態は似た感じだと思うだろう。縁のない人からすると退屈かもしれない。でも余裕を持ってじっくり聞くと、味わいが伝わってくると思う。

ニコラ・フィリベールという人は、一貫して「ただ見つめる」ようなドキュメンタリー映画を作ってきた人である。日本では『音のない世界で』(1992)、『ぼくの好きな先生』(2002)などが公開されてきた。近作は看護学校の学生たちを描く『人生、ただいま修行中』(2018)で、自分が救急外来で集中治療室に入ることになり看護師の映画を作ろうと思ったという。その映画は見逃したが、『ぼくの好きな先生』は見たと思う。地方の小学校を舞台にした映画だった。

今回はパリのど真ん中である。でもエッフェル塔とかルーブル美術館などは全く出て来ない。ひたすらセーヌ川に浮かぶ船のような建物だけで進行する。毎朝鍵を開ける女性がいて、窓を開けていく。そこにいろんな人が出入りするが、映画は全く説明しない。普通のドキュメンタリーだと、ナレーションや字幕で「ここはどんな場所か」を示すものだろう。チラシ等を見て行ってるから、ある程度のことは事前に知っている。「精神科のデイケア・センター」なのである。だけど運営主体などの説明は最後になってようやく出て来るだけ。見る者もひたすら映された人々に寄り添って、彼らの言うことを聞くのである。

このように映画撮影そのものが一種のカウンセリングみたいな作品だ。通う人の中には、ギターを持って歌う人あり、絵を描く人あり。それがなかなかの出来で、つい見入ってしまう。自分の病気を語る人もいるが、何が真実かは判らない。自分たち兄弟がヴィム・ヴェンダース監督『パリ・テキサス』のモデルだと言う人もいる。その人は親が彼を画家にしようとしたという。それはヴァン・ゴッホと似ていたからだと言うのだが、まあ確かに似ている気もする。そういう現実なのか妄想なのか判別できない話も、突き詰めずにただじっくり聞いている。どうやらここでは絵や音楽などのアート活動が盛んなようだ。

もう一つここで重視しているのは「カフェ」らしい。コーヒーを美味しそうに入れている。ジャムを作ったりして売ってもいる。ただ外部から一般の客が来ているかというと、そこはどうもよく判らない。川の上ということもあって、フリの客が入るような場所じゃない気がする。むしろ患者同士がフラッときていろいろできる居場所という感じでやってる気がした。しかし、運営は通所者がやってるので、お金の管理などは大変だ。現金のみでやっていて、何度も数えている。出て来る人は皆病気と長く付き合っている。薬の話なども出て来る。監督は話をさえぎらずに自由に語らせているが、逆に向こうから聞いてくることもある。

今彼らが取り組んでいるのは「シネクラブ」10周年を迎えて開く映画祭の企画である。この時は夕方から臨時にカフェを開き、7時から映画をやるという。上映する映画のポスターを見ると、『81/2』(フェリーニ)、『アメリカの夜』(トリュフォー)、『オリーブの林を抜けて』(キアロスタミ)などだから、相当映画に詳しいアート路線である。これを皆で見るんだから、大したものである。多分大変だろうと思うけど、その様子を映す前に映画は終わってしまう。最後になってようやく判るけど、どうやら船ではなく川に付きだして作られた船型の建物なのだった。
監督の話によると、フランスでも精神科医療の予算削減などが起こっているという。この「アダマン号」はフランス精神医療の標準ではなく、むしろ珍し場所だという。医者も来ているから相談なども出来るし、かなり恵まれている。病気の内容は説明されないから判らないけど、統合失調症が多いのではないか。薬物療法で症状はかなり押えられるようになってきたが、社会復帰はなかなか難しい難病である。精神科医療に詳しい人が見れば、やっぱりフランス人でも病態は似た感じだと思うだろう。縁のない人からすると退屈かもしれない。でも余裕を持ってじっくり聞くと、味わいが伝わってくると思う。