まだ「海の日」だけど、そろそろ再開したい。もともと「喪に服する」と言いつつも、要するに猛暑の中の葬儀で疲れるだろうということだった。葬儀は14日で、翌日は葬儀社への支払いなどがあって休めなかった。だけど、まあ日曜は休んでいたから大分回復してきた。自分は「作文」に苦労したことがなく、書いてる方が気楽なのである。
このブログは自分の備忘記でもあるので、母の葬儀のことも簡単に書いておきたい。命日は忘れないと思うけど、葬式をいつやったかは忘れるかもしれない。ところで、前回の訂正がある。実は初めて知ったのだが、「享年95歳」と書いたが「享年」(きょうねん)は「数え年」なんだって。満年齢で数える場合は「行年」(ぎょうねん)と言うんだそうだ。知ってました?
一般的には両親がいて、結婚していれば配偶者の両親がいる。若くして亡くなったとか、生みの親と育ての親が違うなど様々なケースがあるだろうが、大体の場合実の親と義理の親で4回の葬式がある。僕はこれで4つの葬式が終わった。「悲しい」というよりは、「ホッとした」というのが正直な気持ちである。
コロナ禍以後は、ほぼ「家族葬」になってると思う。著名人の場合は、家族葬の後に「お別れの会」などと名付けた会が開かれることもある。もちろん母親の場合は家族葬で終わり。後は「四十九日法要」をやって「納骨」である。その間に年金や保険などの手続きをしなければならない。そして相続の手続き。そこまで終わるまで、まだかなりあるなあ。
家族葬だから、まだ隣近所の人には知らせていない。ここには書いたけど、「ネットで読んだんですけど、お母様がお亡くなりになったのですか」などという問い合わせは一件もない。もちろんそうだと思ったから、書いたのである。僕のブログを読む人はごく少数だろうが、それより近所の人々、母の知人、親戚一同も同じく高齢者で、パソコンもスマホも使ってないだろう。母親の同級生も95歳なんだから、ほとんどは先に亡くなっている。
結局、葬儀は「葬儀社」である。死亡届の提出に始まって、祭壇の設営、式次第一切は基本的には葬儀社が手配する。母の場合、そこは最初から決まっていた。父の葬儀を担当した地元の会社である。町内会と提携して、自治会名簿に広告が載っている。昔から自分の時もここでと言われていた。電話番号をメモして常時持ち歩いていたから、すぐに病院から電話したのである。
一番気がかりなのが、お寺との対応。結局は母親が望んでいた通り、父(本人からすれば夫)の墓所に納骨することになる。だから菩提寺に連絡して、その都合を確認して葬儀の日程を決めることになる。そして、「御布施」の額をどうするか。これは葬儀社の人から、ざっくばらんにお寺に聞くしかないとアドヴァイスされた。だから、僕もそうしたのだが、やはり直接聞くしかないようである。答えてくれるだろう。ただ「二人目」の場合、「夫婦で格をそろえる」必要を言われると断れない。
一番大変だったのは、タクシーの手配だったかもしれない。車は手放したので、猛暑が続く中斎場まではタクシーで行くしかない。(黒い略礼装で、駅から歩くことは不可能。)ところが、予約が取れないのである。普段はタクシーを使わないから、スマホにタクシーを呼べるアプリも入れてない。近くの会社に軒並み電話することになった。(まあ妻がやったんだけど。)
やっと取れたタクシーの運転手に聞くと、タクシー運転手が減っているんだという。テレビのニュースを見たら、観光地でタクシーが不足していると言っていた。コロナ禍で、密室で客と相対するタクシーを怖がって、利用者も減ったから辞めた人が多いと言っていた。そのまま復活してなくて、タクシーが減っているらしい。
葬儀費用(あるいは入院費)は母親が貯めていた銀行預金から充ててきた。父親の給与が高かったので、遺族年金もかなりある。数年前から「暗証番号」を聞いていて、足が弱くなった母親に代わってカードで下ろしてくることがあった。カード、通帳そのものは預かれない。親の側も、預金を勝手に使われるのではないかと疑心暗鬼になる。だけど、暗証番号を聞いているだけでも大きい。下ろさなくても、通帳記入が出来れば、何が引き落とされているかを把握出来るから。
保険証に関しては、今まで何度も無くしてきた。というか、どこにしまったのか失念したということだが。今回は2022年秋に新しい保険証が送られてきたときに、母親に渡さず僕が管理していた。これが僕がマイナ保険証を批判する理由(のひとつ)である。高齢者は無くすのである。同居していたら預かる方がよい。だが聞くと大丈夫だからという。だから何も言わず預かるしかない。
そして、そこまで言うと言い過ぎだが、「ゴミ屋敷」が残された。片付けられないのである。性格の問題もあるだろうが、世代的にもそういう人が多いらしい。戦時中のモノのない時代に育って、モノがあふれる時代を迎えた。なかなか不要なモノを捨てられない。というか、不要なモノも、またいつか必要になるかもという気持ちなのである。
そういう問題はあったものの、悪い人、意地悪な人ではなかった。だから、30年以上、僕の妻ともやってこられたのである。両者ともに感謝。今後はもうしばらくすれば、久方ぶりの旅行にも行けそうだ。まあ私的な話はこれぐらいで。
このブログは自分の備忘記でもあるので、母の葬儀のことも簡単に書いておきたい。命日は忘れないと思うけど、葬式をいつやったかは忘れるかもしれない。ところで、前回の訂正がある。実は初めて知ったのだが、「享年95歳」と書いたが「享年」(きょうねん)は「数え年」なんだって。満年齢で数える場合は「行年」(ぎょうねん)と言うんだそうだ。知ってました?
一般的には両親がいて、結婚していれば配偶者の両親がいる。若くして亡くなったとか、生みの親と育ての親が違うなど様々なケースがあるだろうが、大体の場合実の親と義理の親で4回の葬式がある。僕はこれで4つの葬式が終わった。「悲しい」というよりは、「ホッとした」というのが正直な気持ちである。
コロナ禍以後は、ほぼ「家族葬」になってると思う。著名人の場合は、家族葬の後に「お別れの会」などと名付けた会が開かれることもある。もちろん母親の場合は家族葬で終わり。後は「四十九日法要」をやって「納骨」である。その間に年金や保険などの手続きをしなければならない。そして相続の手続き。そこまで終わるまで、まだかなりあるなあ。
家族葬だから、まだ隣近所の人には知らせていない。ここには書いたけど、「ネットで読んだんですけど、お母様がお亡くなりになったのですか」などという問い合わせは一件もない。もちろんそうだと思ったから、書いたのである。僕のブログを読む人はごく少数だろうが、それより近所の人々、母の知人、親戚一同も同じく高齢者で、パソコンもスマホも使ってないだろう。母親の同級生も95歳なんだから、ほとんどは先に亡くなっている。
結局、葬儀は「葬儀社」である。死亡届の提出に始まって、祭壇の設営、式次第一切は基本的には葬儀社が手配する。母の場合、そこは最初から決まっていた。父の葬儀を担当した地元の会社である。町内会と提携して、自治会名簿に広告が載っている。昔から自分の時もここでと言われていた。電話番号をメモして常時持ち歩いていたから、すぐに病院から電話したのである。
一番気がかりなのが、お寺との対応。結局は母親が望んでいた通り、父(本人からすれば夫)の墓所に納骨することになる。だから菩提寺に連絡して、その都合を確認して葬儀の日程を決めることになる。そして、「御布施」の額をどうするか。これは葬儀社の人から、ざっくばらんにお寺に聞くしかないとアドヴァイスされた。だから、僕もそうしたのだが、やはり直接聞くしかないようである。答えてくれるだろう。ただ「二人目」の場合、「夫婦で格をそろえる」必要を言われると断れない。
一番大変だったのは、タクシーの手配だったかもしれない。車は手放したので、猛暑が続く中斎場まではタクシーで行くしかない。(黒い略礼装で、駅から歩くことは不可能。)ところが、予約が取れないのである。普段はタクシーを使わないから、スマホにタクシーを呼べるアプリも入れてない。近くの会社に軒並み電話することになった。(まあ妻がやったんだけど。)
やっと取れたタクシーの運転手に聞くと、タクシー運転手が減っているんだという。テレビのニュースを見たら、観光地でタクシーが不足していると言っていた。コロナ禍で、密室で客と相対するタクシーを怖がって、利用者も減ったから辞めた人が多いと言っていた。そのまま復活してなくて、タクシーが減っているらしい。
葬儀費用(あるいは入院費)は母親が貯めていた銀行預金から充ててきた。父親の給与が高かったので、遺族年金もかなりある。数年前から「暗証番号」を聞いていて、足が弱くなった母親に代わってカードで下ろしてくることがあった。カード、通帳そのものは預かれない。親の側も、預金を勝手に使われるのではないかと疑心暗鬼になる。だけど、暗証番号を聞いているだけでも大きい。下ろさなくても、通帳記入が出来れば、何が引き落とされているかを把握出来るから。
保険証に関しては、今まで何度も無くしてきた。というか、どこにしまったのか失念したということだが。今回は2022年秋に新しい保険証が送られてきたときに、母親に渡さず僕が管理していた。これが僕がマイナ保険証を批判する理由(のひとつ)である。高齢者は無くすのである。同居していたら預かる方がよい。だが聞くと大丈夫だからという。だから何も言わず預かるしかない。
そして、そこまで言うと言い過ぎだが、「ゴミ屋敷」が残された。片付けられないのである。性格の問題もあるだろうが、世代的にもそういう人が多いらしい。戦時中のモノのない時代に育って、モノがあふれる時代を迎えた。なかなか不要なモノを捨てられない。というか、不要なモノも、またいつか必要になるかもという気持ちなのである。
そういう問題はあったものの、悪い人、意地悪な人ではなかった。だから、30年以上、僕の妻ともやってこられたのである。両者ともに感謝。今後はもうしばらくすれば、久方ぶりの旅行にも行けそうだ。まあ私的な話はこれぐらいで。