尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

実態遊離、子ども無視の根底にあるものー埼玉自民党「留守番禁止」条例問題

2023年10月19日 22時36分41秒 | 政治
 先に書いた埼玉県の「虐待禁止条例改正案」問題の続報。世の中ではすっかり「留守番禁止条例」などと言われるようになった。10月の「スポーツの日」を含む3連休に大問題になってしまい、あっという間に取り下げになった。まあ、多分僕もそうなるだろうと思っていた。誰か党の上の方から指図されたのかもしれない。しかし、取り下げの会見で自民党の田村琢実県議団長は「瑕疵(かし)はなかった」「説明が不十分だった」などと言っている。この会見がよろしくなく、「自民党に子ども政策を任せられない」と思った人も多いのではないか。
(取り下げ記者会見)
 ところで、埼玉県では議会による条例制定が非常に多いのだという。それは本来なら地方議員の仕事をしっかり果たしているということだ。普通は知事提案の議案を審議するだけで精一杯だろう。そうなんだけど、埼玉県議会では自民党が過半数を占めているから、自民党県議団が決めてしまえば、自分たちだけで突っ走ってしまうことが起こる。有名な「エスカレーター歩行禁止条例」というのもある。僕は埼玉県に詳しくないが、ちょっと見た感じでは変化ないと思う。僕は東武線沿線しか知らないので、県庁所在地では違うかもしれない。まあ、少しは減ったという話もある。でも大変化とは言えないようだ。
 
 今年、自転車乗車時のヘルメットが「努力義務」とされたが、町をゆく自転車はほぼノーヘル状態。それを思えば、埼玉だけで「子どもだけの留守番は虐待」「子どもだけの外遊びは虐待」などと言われても、誰も守らないだろう。そんな「廊下を走ってはいけない」レベルの校則みたいな決まりを作っても、順守されるはずがない。ただ遵法意識が薄れるだけだろう。それにしても、何で実態無視のこの条例改正案が出て来たのだろうか。ひとつは「女性議員が少ない」ことで、58名の自民党議員団の中に3人しかいない。(写真が県議会のホームページに載っていて、明らかに男性名の議員は調べてないが3人女性がいることは確認した。)

 「働く女性の実態を知らない」という批判ももっともだろう。しかし、「女性は家で育児を担当するべきだ」という考えだけでは、この改正案は出て来ない。子どもだけの登校は不可と言われても、子ども一人だけなら母親が付き添うという考えが成り立つが、子どもが複数の場合(子どもが複数でなければ少子化は止まらない)、どうすれば良いのか。今、全国で「熊被害」が相次いでいて、富山県では小学校に熊が現れたとかで、親が車で送り迎えをすることになったという。

 だから、そういうことが出来る地域もあるのである。埼玉には山の方もあり、ほぼ各家庭に自家用車がある地域もあると思う。だけど、東京に近い地域は全然違う。小さい家やアパートが立ち並び、自動車などない家も多いはず。そこでは熊は出ないだろうが、同時に家庭で送り迎えしろと言われても無理だ。父親が行けば良いというかもしれないが、埼玉県は東京への通勤圏として発展してきた。東京へ長い時間をかけて通勤しているのに、父も(母も)子どものために帰れるはずがない。

 それで良いか悪いかの問題以前に、とにかく無理に決まってる。住民の生活実態から遊離した発想が何故出て来るのか。日本では子どもだけで登下校させて構わないのである。(もちろん、災害や今回の熊問題など緊急の例外ケースはある。)子どもだけで留守番させておくと、家にある拳銃の暴発事故が心配なんてアメリカみたいな国とは違う。日本でも子どもをねらう犯罪はあるが、重大犯罪の発生率は極めて低い。だから放置して良いとは言わないが、子どもたちは大体友だち同士で登下校していて、特に問題は起こらない。(時々起こると全国的大ニュースになるが、それは稀少だからだ。)
(条例反対運動)
 「働く女性」という問題意識は多くの議論がされているが、僕はもう一つ「子どもの側の権利」を問うべきだと思っている。子どもと言っても、今は18歳で選挙権がある。選挙権がある成人なのに、高校生の子どもがいても小学生の留守番はダメみたいな解釈があった。子どもの声を聞く努力はしたのだろうか。もちろん、してないだろう。自分たちだけで遊んでいたら虐待だなんて、そんな決まりをどう考えるか。学校で子どもたちにこの問題を考えさせてはどうだろう。多分「バカにしてる」と怒り出すんじゃないだろうか。子どもだけで外遊びするのを虐待視するなど、論外というしかない。

 「子どもの権利」「子どもの主体性」という発想が全くないんだと思う。子どもと言えど、もう何年かすれば選挙に行くのである。子どもの意見を正式に聞くシステムが是非欲しい。これじゃ逆に虐待が増える案である。親子だけでいれば虐待じゃないというのは全く逆。濃密な親子関係は、子どもに対する圧力を大きくする。具体的な暴力ではないかもしれないが、「勉強しなさい」的な圧力の増大で、子どもが壊れてしまう。子どもだけで遊べる場所の確保こそ、政治がやるべきことではないか。

 このような改正案が何故自民党から出て来たのか。じっくり自省して欲しい。それは僕が何度も書いている「マイナ保険証」問題にも言える。福祉施設、病院、あるいは高齢者、障害者の声に向き合っていれば、紙の保険証廃止は無理だと判るはずだ。野党に転落後、選挙に強い世襲議員が生き残り、その後安倍政権下で「風」で当選した議員が多数に上る。国民の声をきちんと聞ける体質が今まで以上に失われているのではないか。自分たちだけで決められるという驕りが表れていないか。国政でも「常識」という感覚が働いていない政策があるように思う。
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