アメリカを代表する小説家の一人、コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy、1933~2023)の作品をまとめて読み始めた。前から持っていたが、読まないうちにマッカーシーは2023年6月に亡くなった。現時点で8作品が翻訳され、そのうち7冊を持っている。すべて早川書房から出ていて、主な作品はハヤカワepi文庫に収録されている。マッカーシー文学は「ジャンル小説」の枠組で書かれた純文学とでも言うべき作品が多い。その意味では読みやすいはずだが、やはり「純文学」だから難解なのである。一番最初は、2006年に刊行されピューリッツァー賞を受賞した『ザ・ロード』(The Road)に取り組んだ。
これは傑作である。最初は設定が判らないから戸惑うけど、次第に詩的な文体に捕われていく。ジャンルとしては「SF」と言ってよく、文明崩壊を迎えた世界に生きる父と子の逃避行をひたすら描いている。何で文明世界が崩壊したのかは、何も書かれていない。核戦争なのか、パンデミックなのか、何だか判らない。何にしても全人類文明が滅びるというのは不可解だが、そういうことを言っても仕方ない。もはや文明はそこにはなく、恐らくアメリカと思われる国に住んでいた2人はただ歩いている。
(コーマック・マッカーシー)
2009年に映画化されていて、2010年に日本でも公開された。しかし、あまり評判にならず賞レースにもほぼ無縁だった。僕も見逃しているが、画像を検索すると以下のようなものが見つかった。親子で旅している様子が想像出来るだろう。人類だけでなく、動植物も無くなりつつあるから、核戦争に伴う気候変動、急激な寒冷化と言った事態かもしれない。とにかく寒いので、2人は「南」を目指している。母親がいたわけだが、生きることに絶望して自ら命を絶ったらしい。父は最期まで諦めず、ひたすら歩く。ところどころに町の廃墟があるが、探し回っても食料や衣料品などはすでに略奪されていることが多い。
(映画『ザ・ロード』)
それじゃすぐに死んでしまうはずだが、時々は襲撃を免れた屋敷、シェルターなどを発見して、食品を入手出来るのである。それでもずっと居付くことはなく、また出発する。それは「恐怖」があるからだ。少数の生き残った人々は、この父子のような「善き人々」ばかりではなかった。むしろ子どもを見れば捕まえて、食料にしてしまう集団が発生したのである。だから人を見れば、生き残ったという連帯ではなく、襲われないかという恐怖が先立つ。特に文明社会を知らず、その世界しか知らずに育った子どもからすれば、世界はただ恐ろしいものである。
(映画『ザ・ロード』)
そんな小説が面白いのか。確かに最初の頃は、ただ歩いて食料などを探すことの繰り返しで、少し退屈かもしれない。次第に過去の想い出などが断片的に出て来て、滅びた世界で生きることの日常が読む側の身体にも染み込んでくる。マッカーシー文学は「暴力」の考察である。『ザ・ロード』では、「文明」に覆われて見えなかった人間の本質としての暴力が描かれている。それが本当に衝撃的で、滅びた世界で争い合う人間存在が恐ろしい。それを解釈せずにただ歩く父子を通して提示する。読む側にも疲労感が伝染してくるころに、突然終わる。そこに「神」はあるのか。父は、つまり作者はそのことを何度も自問する。
それが真のテーマなのかと思うが、われわれにはちょっと遠いかもしれない。それでも読んでいるうちに、これは凄い傑作だと思った。アメリカではベストセラーになり、広く読まれた。日本でももっと広く取り上げられるべき、終末小説、ディストピア小説の傑作だ。コーマック・マッカーシーは生前ノーベル賞候補と呼ばれ続けた。その人の代表作と言って良い小説だ。
これは傑作である。最初は設定が判らないから戸惑うけど、次第に詩的な文体に捕われていく。ジャンルとしては「SF」と言ってよく、文明崩壊を迎えた世界に生きる父と子の逃避行をひたすら描いている。何で文明世界が崩壊したのかは、何も書かれていない。核戦争なのか、パンデミックなのか、何だか判らない。何にしても全人類文明が滅びるというのは不可解だが、そういうことを言っても仕方ない。もはや文明はそこにはなく、恐らくアメリカと思われる国に住んでいた2人はただ歩いている。
(コーマック・マッカーシー)
2009年に映画化されていて、2010年に日本でも公開された。しかし、あまり評判にならず賞レースにもほぼ無縁だった。僕も見逃しているが、画像を検索すると以下のようなものが見つかった。親子で旅している様子が想像出来るだろう。人類だけでなく、動植物も無くなりつつあるから、核戦争に伴う気候変動、急激な寒冷化と言った事態かもしれない。とにかく寒いので、2人は「南」を目指している。母親がいたわけだが、生きることに絶望して自ら命を絶ったらしい。父は最期まで諦めず、ひたすら歩く。ところどころに町の廃墟があるが、探し回っても食料や衣料品などはすでに略奪されていることが多い。
(映画『ザ・ロード』)
それじゃすぐに死んでしまうはずだが、時々は襲撃を免れた屋敷、シェルターなどを発見して、食品を入手出来るのである。それでもずっと居付くことはなく、また出発する。それは「恐怖」があるからだ。少数の生き残った人々は、この父子のような「善き人々」ばかりではなかった。むしろ子どもを見れば捕まえて、食料にしてしまう集団が発生したのである。だから人を見れば、生き残ったという連帯ではなく、襲われないかという恐怖が先立つ。特に文明社会を知らず、その世界しか知らずに育った子どもからすれば、世界はただ恐ろしいものである。
(映画『ザ・ロード』)
そんな小説が面白いのか。確かに最初の頃は、ただ歩いて食料などを探すことの繰り返しで、少し退屈かもしれない。次第に過去の想い出などが断片的に出て来て、滅びた世界で生きることの日常が読む側の身体にも染み込んでくる。マッカーシー文学は「暴力」の考察である。『ザ・ロード』では、「文明」に覆われて見えなかった人間の本質としての暴力が描かれている。それが本当に衝撃的で、滅びた世界で争い合う人間存在が恐ろしい。それを解釈せずにただ歩く父子を通して提示する。読む側にも疲労感が伝染してくるころに、突然終わる。そこに「神」はあるのか。父は、つまり作者はそのことを何度も自問する。
それが真のテーマなのかと思うが、われわれにはちょっと遠いかもしれない。それでも読んでいるうちに、これは凄い傑作だと思った。アメリカではベストセラーになり、広く読まれた。日本でももっと広く取り上げられるべき、終末小説、ディストピア小説の傑作だ。コーマック・マッカーシーは生前ノーベル賞候補と呼ばれ続けた。その人の代表作と言って良い小説だ。