2023年9月の訃報特集。9月も8月に続き、比較的大きな訃報が少なかった。誰でも知っているような「有名人」は、2代目市川猿翁だけかもしれない。13日没、83歳。4代目市川猿之助の「不祥事」直後に、この訃報を聞くのは意外ではない。やはりショックだったんだと思う。マスコミの訃報は「猿翁」とだけ言ってたが、この人の活躍は「猿之助」時代のものである。1962年に慶大を卒業し、翌年3代目猿之助を襲名した。しかし、その直後に祖父初代猿翁、父3代目段四郎を相次いで亡くし、梨園の孤児となった。その中で、猿之助は68年に『義経千本桜』で「宙乗り」を披露、歌舞伎界では批判もあったが、以後も大衆受けするエンタテインメントとして歌舞伎人気を支えるまでに成長させた。「宙乗り」5000回達成時にはギネス記録になっている。
1986年には梅原猛の台本『ヤマトタケル』で、現代風演出の「スーパー歌舞伎」を始めた。これは大評判となり、『オグリ』『八犬伝』『新・三国志』などと続いていった。2010年に文化功労者に選ばれたのも、スーパー歌舞伎の成功が大きいだろう。しかし、僕は一度も見てない。僕が演劇に求める方向と少し違うのである。一方、1965年に女優浜木綿子(はま・ゆうこ)と結婚、子どもの香川照之(市川中車)が生まれたが、1968年に離婚。その前から日本舞踊家で女優の藤間紫と同棲していたが、16歳年上の藤間紫には夫も子もあった。藤間の離婚成立(1985年)後も同棲を続けたが、2000年に結婚した。有名なスキャンダルだが、今では藤間紫(2009年死去)も浜木綿子も忘れられたか。スマホを見たら「香川照之の母がコメント」などと出ていた。
(スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』1998年10月大阪松竹座)
社会学者の加藤秀俊が20日死去、93歳。ものすごくたくさんの一般書を書いて多くの人に知られていた。54年にハーバード大学に留学してリースマンに師事した。リースマン『孤独な群衆』の訳者である。1957年の『中間文化』は戦後日本で高級でも低俗でもない「中間文化」が広がっていると分析した。63年の『整理学』は現代社会を生きるには整理能力が決め手になると説き、先駆的な指摘となった。70年大阪万博では小松左京、梅竿忠夫らと理念の検討を行い、「未来学」を提唱した。『空間の社会学』(1976)以後、○○の社会学という一般書を何冊も書いた。『隠居学』(2005)は母親の部屋を整理してたら出て来たので驚いた。
(加藤秀俊)
科学史家の伊東俊太郎が20日死去、93歳。東大、麗澤大、国際日本文化研究センターなどの教授を務めた。近代科学と社会の関係を比較文明学的に研究した。『近代科学の源流』(1978)、『比較文明』(1985)など多くの著書がある。文化功労者。
(伊東俊太郎)
現代音楽の作曲家、西村朗が7日死去、69歳。東京音大教授。NHKの「N響アワー」(09~12)の司会者としても知られた。現代音楽の賞として知られる尾高賞を6度受賞(三善晃、一柳慧とともに最多)。サントリー音楽賞、毎日芸術賞など受賞多数。管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲の他、オペラ『紫苑物語』(2019)や数多くの合唱曲など様々なジャンルで多数の作曲を行った。
(西村朗)
4人組男声コーラスグループ「ダークダックス」の最後のメンバーだった「ぞうさん」こと遠山一が22日死去、93歳。幅広いジャンルの歌を歌ったが、「ともしび」「カチューシャ」「雪山賛歌」「北上夜曲」「山男の歌」などロシア民謡、各地で発掘した名曲などで知られる。60年代には本当に誰でも知っている存在だった。
(遠山一)
コロンビアの画家、フェルナンド・ボテロが15日死去、91歳。ふくよかな体格の肖像画で知られ、「南米のピカソ」と呼ばれた。コロンビア内戦やイラクのアブグレイブ収容所での米兵による拷問事件などを題材にした作品もある。日本では2022年に大規模な作品展が開催され、同時にドキュメンタリー映画も公開されたが、どっちも見なかった。
(フェルナンド・ボテロ)(ボテロ展のチラシ)
元イタリア大統領のジョルジョ・ナポリターノが22日死去、98歳。1945年にイタリア共産党に入党、1953年に下院議員に当選した。やがて、党内で頭角を現し、ユーロコミュニズムの有力な推進者となった。イギリスの歴史学者エリック・ホブズボームとの対談『イタリア共産党との対話』の翻訳が76年に岩波新書から刊行され、僕も読んで刺激を受けた。イタリア共産党はやがて「左翼民主党」と改称し、ナポリターノも92年から94年に下院議長、94年にはプロディ政権で内相を務めた。2006年には大統領に選出、イタリアでは大統領は議会が選出し実権を持たないが、旧共産党出身で初めてだった。通常1期で終わるが、後継がもめて87歳のナポリターノが初の2期目に当選した。(3年間で辞任。)
(ジョルジョ・ナポリターノ)
・アメリカの有力政治家が二人亡くなった。一人はダイアン・ファインスタインで、29日没、90歳。現職の連邦上院議員だった。1972年から88年まで、女性初のサンフランシスコ市長となり、1992年から亡くなるまで上院議員を務めた。これはユダヤ系女性として初めてだった。議会では「女性初」の役職を多く務めている。なお、市長になったのはゲイの市政委員として知られたハーヴェイ・ミルクが市長とともに銃撃された後である。市政委員長として市長代理となり、その後正式な市長に就任した。
・もう一人はビル・リチャードソンで、1日死去、75歳。民主党の連邦下院議員、クリントン政権の国連大使、エネルギー長官を務めた後、2003年から11年に掛けてニューメキシコ州知事を務めた。ヒスパニック系有力政治家として大統領候補とみなされ、2008年大統領選に出馬したが、オバマ、ヒラリー・クリントンの争いに埋没して撤退した。北朝鮮との独自のパイプを持つことで知られ、2013年には拘束されていた韓国系米国人の解放のため平壌を訪れた。他にもイラクなどで拘束された米国人解放のため交渉に当たったことで知られてきた。
・小池邦夫、8月31日死去、82歳。絵手紙の創始者として知られる。「下手でいい、下手がいい」を合言葉に絵手紙の普及に務めた。
・蔡焜霖(さい・こんりん)、3日死去、92歳。50年に国民党政権下の台湾で政治弾圧を受け懲役10年となる。60年まで服役し、66年に児童雑誌「王子」を創刊し、日本の漫画の翻訳を掲載した。自身の経験を基にしたコミック『台湾の少年』は岩波書店から刊行されている。
・門田守人(もんでん・もりと)、7日死去、78歳。医学者。阪大名誉教授。日本医学会会長の他、日本癌学会、日本外科学会などで会長を務めた。また日本臓器ネットワーク理事長も務めた。
・寺沢武一、8日死去、68歳。漫画家。代表作『コブラ』(78~85)は、全世界で5千万部発行されている。
・江沢洋、10日没、91歳。物理学者。量子力学の研究で知られ、一般向けの本も数多く書いた。
・藤崎陸安(みちやす)、14日没、80歳。全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長。52年に青森の松丘保養園に入所した。
・土田よしこ、15日死去、75歳。漫画家。赤塚不二夫のアシスタントを経てデビュー。代表作は『つる姫じゃ〜っ!』(73~79)。
・又市征治、18日死去、79歳。元社民党党首。富山県出身で、01年から19年まで参議院議員。
・棚橋静雄、19日死去、85歳。ロス・インディオスの元リーダー。79年に「別れても好きな人」が大ヒットした。
・ヨネヤマママコ、20日没、88歳。パントマイマー。舞踏家大野一雄らに師事、54年に初のパントマイム「雪の夜に猫を捨てる」で評価された。60年に渡米し、72年に帰国するまでに独自のメソッドを身に付けた。帰国後は日本を代表するパントマイマーとして活躍した。92年に蘆原英了賞。
・伊藤礼、22日没、90歳。英文学者、エッセイスト。『狸ビール』(91)で講談社エッセイ賞。作家伊藤整の子で、父の訳した『チャタレー夫人の恋人』の補役を行った他、父の関する著作も多い。60代になって自転車ファンとなり、自転車に関するエッセイを数多く書いた。
・デヴィッド・マッカラム、25日死去、90歳。イギリスの俳優。テレビドラマ「0011ナポレオン・ソロ」のソ連スパイ、イリヤ・クリアキンで人気を得た。
・宮田節子、27日死去、87歳。歴史学者、朝鮮史が専門で、日本の植民地時代の創氏改名などについて研究し、社会的発言も行った。
1986年には梅原猛の台本『ヤマトタケル』で、現代風演出の「スーパー歌舞伎」を始めた。これは大評判となり、『オグリ』『八犬伝』『新・三国志』などと続いていった。2010年に文化功労者に選ばれたのも、スーパー歌舞伎の成功が大きいだろう。しかし、僕は一度も見てない。僕が演劇に求める方向と少し違うのである。一方、1965年に女優浜木綿子(はま・ゆうこ)と結婚、子どもの香川照之(市川中車)が生まれたが、1968年に離婚。その前から日本舞踊家で女優の藤間紫と同棲していたが、16歳年上の藤間紫には夫も子もあった。藤間の離婚成立(1985年)後も同棲を続けたが、2000年に結婚した。有名なスキャンダルだが、今では藤間紫(2009年死去)も浜木綿子も忘れられたか。スマホを見たら「香川照之の母がコメント」などと出ていた。
(スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』1998年10月大阪松竹座)
社会学者の加藤秀俊が20日死去、93歳。ものすごくたくさんの一般書を書いて多くの人に知られていた。54年にハーバード大学に留学してリースマンに師事した。リースマン『孤独な群衆』の訳者である。1957年の『中間文化』は戦後日本で高級でも低俗でもない「中間文化」が広がっていると分析した。63年の『整理学』は現代社会を生きるには整理能力が決め手になると説き、先駆的な指摘となった。70年大阪万博では小松左京、梅竿忠夫らと理念の検討を行い、「未来学」を提唱した。『空間の社会学』(1976)以後、○○の社会学という一般書を何冊も書いた。『隠居学』(2005)は母親の部屋を整理してたら出て来たので驚いた。
(加藤秀俊)
科学史家の伊東俊太郎が20日死去、93歳。東大、麗澤大、国際日本文化研究センターなどの教授を務めた。近代科学と社会の関係を比較文明学的に研究した。『近代科学の源流』(1978)、『比較文明』(1985)など多くの著書がある。文化功労者。
(伊東俊太郎)
現代音楽の作曲家、西村朗が7日死去、69歳。東京音大教授。NHKの「N響アワー」(09~12)の司会者としても知られた。現代音楽の賞として知られる尾高賞を6度受賞(三善晃、一柳慧とともに最多)。サントリー音楽賞、毎日芸術賞など受賞多数。管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲の他、オペラ『紫苑物語』(2019)や数多くの合唱曲など様々なジャンルで多数の作曲を行った。
(西村朗)
4人組男声コーラスグループ「ダークダックス」の最後のメンバーだった「ぞうさん」こと遠山一が22日死去、93歳。幅広いジャンルの歌を歌ったが、「ともしび」「カチューシャ」「雪山賛歌」「北上夜曲」「山男の歌」などロシア民謡、各地で発掘した名曲などで知られる。60年代には本当に誰でも知っている存在だった。
(遠山一)
コロンビアの画家、フェルナンド・ボテロが15日死去、91歳。ふくよかな体格の肖像画で知られ、「南米のピカソ」と呼ばれた。コロンビア内戦やイラクのアブグレイブ収容所での米兵による拷問事件などを題材にした作品もある。日本では2022年に大規模な作品展が開催され、同時にドキュメンタリー映画も公開されたが、どっちも見なかった。
(フェルナンド・ボテロ)(ボテロ展のチラシ)
元イタリア大統領のジョルジョ・ナポリターノが22日死去、98歳。1945年にイタリア共産党に入党、1953年に下院議員に当選した。やがて、党内で頭角を現し、ユーロコミュニズムの有力な推進者となった。イギリスの歴史学者エリック・ホブズボームとの対談『イタリア共産党との対話』の翻訳が76年に岩波新書から刊行され、僕も読んで刺激を受けた。イタリア共産党はやがて「左翼民主党」と改称し、ナポリターノも92年から94年に下院議長、94年にはプロディ政権で内相を務めた。2006年には大統領に選出、イタリアでは大統領は議会が選出し実権を持たないが、旧共産党出身で初めてだった。通常1期で終わるが、後継がもめて87歳のナポリターノが初の2期目に当選した。(3年間で辞任。)
(ジョルジョ・ナポリターノ)
・アメリカの有力政治家が二人亡くなった。一人はダイアン・ファインスタインで、29日没、90歳。現職の連邦上院議員だった。1972年から88年まで、女性初のサンフランシスコ市長となり、1992年から亡くなるまで上院議員を務めた。これはユダヤ系女性として初めてだった。議会では「女性初」の役職を多く務めている。なお、市長になったのはゲイの市政委員として知られたハーヴェイ・ミルクが市長とともに銃撃された後である。市政委員長として市長代理となり、その後正式な市長に就任した。
・もう一人はビル・リチャードソンで、1日死去、75歳。民主党の連邦下院議員、クリントン政権の国連大使、エネルギー長官を務めた後、2003年から11年に掛けてニューメキシコ州知事を務めた。ヒスパニック系有力政治家として大統領候補とみなされ、2008年大統領選に出馬したが、オバマ、ヒラリー・クリントンの争いに埋没して撤退した。北朝鮮との独自のパイプを持つことで知られ、2013年には拘束されていた韓国系米国人の解放のため平壌を訪れた。他にもイラクなどで拘束された米国人解放のため交渉に当たったことで知られてきた。
・小池邦夫、8月31日死去、82歳。絵手紙の創始者として知られる。「下手でいい、下手がいい」を合言葉に絵手紙の普及に務めた。
・蔡焜霖(さい・こんりん)、3日死去、92歳。50年に国民党政権下の台湾で政治弾圧を受け懲役10年となる。60年まで服役し、66年に児童雑誌「王子」を創刊し、日本の漫画の翻訳を掲載した。自身の経験を基にしたコミック『台湾の少年』は岩波書店から刊行されている。
・門田守人(もんでん・もりと)、7日死去、78歳。医学者。阪大名誉教授。日本医学会会長の他、日本癌学会、日本外科学会などで会長を務めた。また日本臓器ネットワーク理事長も務めた。
・寺沢武一、8日死去、68歳。漫画家。代表作『コブラ』(78~85)は、全世界で5千万部発行されている。
・江沢洋、10日没、91歳。物理学者。量子力学の研究で知られ、一般向けの本も数多く書いた。
・藤崎陸安(みちやす)、14日没、80歳。全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長。52年に青森の松丘保養園に入所した。
・土田よしこ、15日死去、75歳。漫画家。赤塚不二夫のアシスタントを経てデビュー。代表作は『つる姫じゃ〜っ!』(73~79)。
・又市征治、18日死去、79歳。元社民党党首。富山県出身で、01年から19年まで参議院議員。
・棚橋静雄、19日死去、85歳。ロス・インディオスの元リーダー。79年に「別れても好きな人」が大ヒットした。
・ヨネヤマママコ、20日没、88歳。パントマイマー。舞踏家大野一雄らに師事、54年に初のパントマイム「雪の夜に猫を捨てる」で評価された。60年に渡米し、72年に帰国するまでに独自のメソッドを身に付けた。帰国後は日本を代表するパントマイマーとして活躍した。92年に蘆原英了賞。
・伊藤礼、22日没、90歳。英文学者、エッセイスト。『狸ビール』(91)で講談社エッセイ賞。作家伊藤整の子で、父の訳した『チャタレー夫人の恋人』の補役を行った他、父の関する著作も多い。60代になって自転車ファンとなり、自転車に関するエッセイを数多く書いた。
・デヴィッド・マッカラム、25日死去、90歳。イギリスの俳優。テレビドラマ「0011ナポレオン・ソロ」のソ連スパイ、イリヤ・クリアキンで人気を得た。
・宮田節子、27日死去、87歳。歴史学者、朝鮮史が専門で、日本の植民地時代の創氏改名などについて研究し、社会的発言も行った。