平凡社新書の加藤哲郎「ゾルゲ事件」を読んだので、昨年9月に出たまま読んでなかったチャルマーズ・ジョンソン「ゾルゲ事件とは何か」(岩波現代文庫)も読んでみた。読み始めると止められない面白さがある。加藤本の副題は「覆された神話」である。でも最近の人には、そもそも「ゾルゲ事件神話」を知らない人もいるだろう。帯には「崩壊した『伊藤律スパイ説』 革命を売ったのは誰であったか?」ともある。この帯の言葉の意味が判るかどうか。また、自分にとって意味のある問題かどうか。
ゾルゲ事件も、今は知らない人がいるだろう。戦時中に「ソ連のスパイ」として、リヒアルト・ゾルゲ(1895~1944)と尾崎秀実(おざき・ほつみ 1901~1944)らが逮捕された。この両名は有罪となり死刑となった。スパイ団には他に重要人物がいるが、今は省略する。ゾルゲはバクー(ソ連、現在のアゼルバイジャン)で生まれたドイツ人で、ドイツの有力新聞の記者という資格で来日した。
(リヒアルト・ゾルゲ)
駐日ドイツ大使オットーと親しくなって完全に信頼され、独ソ戦開始時期などの超重要情報をつかんでソ連に報告していた。尾崎は朝日新聞記者として中国に赴任し、上海でゾルゲと知り合った。中国情勢専門家として日本で有名になり、近衛文麿首相側近が加わる昭和研究会に参加、政界上層部につながる重要人物だった。日本が「北進」=対ソ戦ではなく、「南進」=対米英開戦を決断したという超重要情報をゾルゲを通じてソ連に伝えたとされる。
妻子にあてた尾崎の手紙が「愛情はふる星のごとく」と題して敗戦直後に刊行され、大ベストセラーとなった。一方、占領軍のG2のウィロビーが報告書をまとめ、マッカーシズムさなかのアメリカで「赤色スパイの恐ろしさ」を示す材料として使われた。こうした事情から、一定の年齢以上の人には非常に有名な事件だといっていい。また、事件発覚の端緒はどこにあったかをめぐり、深刻な問題が存在した。特高資料などから、戦時中に逮捕された伊藤律の不用意な供述がきっかけだとされ、そもそも伊藤律は日本警察やアメリカ占領軍のスパイだったと疑われた。伊藤律は「50年代問題」で揺れていた日本共産党の有力幹部だった。共産党内に大物スパイがいたという告発である。
(尾崎秀実)
秀実の異母弟である大衆文学評論家の尾崎秀樹(ほつき)は「生きているユダ」という本を書き伊藤律スパイ説を力説した。松本清張「日本の黒い霧」も同様の主張をしている。(肝心の伊藤律は占領軍による共産党非合法化により地下に潜ったまま行方不明だった。1980年になって、突如中国で生きていることが判明し、日本中を驚かせた。帰国後、1989年に死去。)この事件は内外で多くの映画や小説になっている。黒澤明の戦後第一作「わが青春に悔いなし」も尾崎秀実にインスパイアされている。また篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」という映画も作られた。
チャルマーズ・ジョンソン(1931~2010)の「ゾルゲ事件とは何か」は新しく書かれた本ではない。1964年に原著が刊行され(66年に邦訳)、1990年に増補版が出された。その増補版の初の翻訳である。解説を加藤哲郎氏が担当し、本書刊行後の事情をよく伝えている。注が非常に充実していて、問題理解に役立つ。原著はジョンソンの学者としての出発期に書かれ、増補版はソ連でペレストロイカが進む中で書かれた。だから1991年暮れのソ連崩壊以後の状況は書かれていない。一応それまでの事件理解をまとめたものとして、ジョンソンの本は今も有効である。何より尾崎秀実が台湾で生まれ、上海でいかにして中国認識を深めていったのかが詳細に分析されているのが重要だ。
ジョンソンは中国研究者として出発し、当時はアメリカ人が中国に入れなかったから日本で文献を収集した。その中で尾崎秀実を知り、この本に結実する研究を進めた。その後ベトナム戦争中はCIAでアジア分析に参加したこともあるそうだ。1982年に出た「通産省と日本の奇跡」という本が有名となり、日本異質論者として知られたという。その後はどんどんアメリカ批判が厳しくなり、普天間基地返還(海兵隊をアメリカに移転せよという論)を主張したり、「帝国解体 - アメリカ最後の選択」(岩波書店)などの本を出した。ある種、尾崎秀実と同じような生き方をした人だった。
ジョンソンの原著刊行時にはソ連はゾルゲその人の存在も認めていなかった。しかし、増補版刊行時には「ソ連邦英雄」として切手にもなっていた。もしかしたら自分の研究がソ連が認めたきっかけかもと、著者は思ったらしい。(それは間違いだったと証明されているようだが。)そのソ連も崩壊し、秘密文書がたくさん公開された。またアメリカの情報公開も進み、このゾルゲ事件にはまだ隠されていた部分があったことが、加藤哲郎著によってわかる。この事件には川合貞吉という人物が関わっていた。戦後になって「伊藤律がアメリカのスパイだった」と主張していた川合本人が、逆に米軍のスパイでカネで雇われていたことが証明されているのは一例である。
日本の官憲史料、米軍調査、ソ連の秘密資料など、すべて一定の情報操作されたものなのである。伊藤律スパイ説は、まさに日本警察と米軍の共犯による情報操作だった。今から思うと尾崎秀樹も松本清張も史料批判が足りず、警察情報の上に作られた説だった。伊藤律スパイ説は完全に崩れ去り、「日本の黒い霧」(文春文庫)も伊藤律遺族の要求に基づき、断り書きが付けられている。
一番驚いたのが「アメリカ共産党の役割」である。ゾルゲに尾崎を紹介したのは、調書ではアメリカ人作家アグネス・スメドレー(中国共産党を取材した左翼作家)だとされた。しかし、実は鬼頭銀一というアメリカ共産党の秘密党員が引き合わせたのだという。鬼頭は逮捕当時すでに死亡していたので、スメドレーではなく鬼頭に話を合わせた方が都合が良かっただろうに、ゾルゲはスメドレーの引き合わせだと供述したという。この鬼頭という人物は今まで全く無名で、加藤氏が三重県の家族を探り当て詳細に叙述している。どうしてゾルゲがこの人物を厳重に秘匿したかというと、おそらくアメリカ共産党の秘密の役割を知られてはいけないということなのではなかったか。
アメリカ共産党は、アメリカに合法的に存在し続ける小党である。大恐慌時にある程度党勢を拡大した以外は、ほぼ存在するだけの政党だった。しかし、実は「人種のるつぼ」であるアメリカは、世界革命に向けた国際的スパイの養成、送りだしの基地となっていたらしい。表の党員は被弾圧要員であって、ソ連直属の秘密党員の役割を隠す存在だったという。今まで明るみに出ていない驚くべき事実がこれからも発掘される余地があると思う。(特に最晩年に除名された野坂参三の役割など。)
ところで、最初の方でゾルゲ、尾崎を「ソ連のスパイ」と簡単に書いた。知ってる人も多いだろうが、この書き方は全く不十分である。「ソ連のスパイ」と言っても、尾崎らはゾルゲを「コミンテルン」(第三インター)のスパイだと思っていたとされる。しかし、ゾルゲは「コミンテルン」ではなく、赤軍第四部に所属するスパイだった。コミンテルンは当時、事実上ソ連の下部機関だったけど、タテマエ上は「国際共産主義」の組織である。だからコミンテルン所属だったら「ソ連のスパイ」とは簡単には言えない。ソ連とは日ソ中立条約を結んでいて交戦関係にはないから、「敵国に情報を流した」とは言い難い。だが治安維持法では共産主義組織に対する援助を罰することができるから、日本の当局も「コミンテルンのスパイ」の方が都合が良かった。そこで事実が曲げられていったのである。
この本、あるいは「スターリンの対日情報工作」(平凡社新書)という本を読むと、日本には尾崎ではない、もっとスパイらしいほんもののソ連スパイがいたことが出てくる。「スパイらしいほんもの」とは変な言い方だが、カネや女がらみで情報を売るのが「ほんとうのスパイ」である。また知られざるスパイ、名もなく情報だけ売り渡して終るのが「優れたスパイ」である。「20世紀最大のスパイ事件」とゾルゲ事件を評する人もいるけど、元々有名な人物で、単なる情報ではなく「分析結果」を伝えていたゾルゲ・尾崎スパイ団は、結局明るみに出てしまったことでも判るように、けっして完全なスパイではないという。
尾崎秀実は本質は思想家、中国研究者と言うべき存在だった。中国の民族主義が抗日の本質であることを(だから抗日戦争を通して、「民族主義」のよりどころとしての共産革命が起こるべきことを)を主張した。「予言」は的中したと言っていい。だから、マルクス主義者として自らの信念に従ってソ連に情報を伝えたのである。ソ連のスターリン体制は尾崎が考えたものとは全く違っていた。それは悲劇だが、尾崎本人は「売国」ではなく「愛国」「憂国」の至情で行動したとみなしていい。「何が祖国のためになるのか」は、本人の座標軸上の位置の違いで、プラスになったりマイナスになったりする。日本が戦争により「亡国」寸前に追いつめられたという歴史を見ると、戦争を推進した者が「売国」で、戦争を防ごうとした者が「愛国」になる。今もなお、ゾルゲ事件の持つ意味は現代人にとって大きい。
ゾルゲ事件も、今は知らない人がいるだろう。戦時中に「ソ連のスパイ」として、リヒアルト・ゾルゲ(1895~1944)と尾崎秀実(おざき・ほつみ 1901~1944)らが逮捕された。この両名は有罪となり死刑となった。スパイ団には他に重要人物がいるが、今は省略する。ゾルゲはバクー(ソ連、現在のアゼルバイジャン)で生まれたドイツ人で、ドイツの有力新聞の記者という資格で来日した。
(リヒアルト・ゾルゲ)
駐日ドイツ大使オットーと親しくなって完全に信頼され、独ソ戦開始時期などの超重要情報をつかんでソ連に報告していた。尾崎は朝日新聞記者として中国に赴任し、上海でゾルゲと知り合った。中国情勢専門家として日本で有名になり、近衛文麿首相側近が加わる昭和研究会に参加、政界上層部につながる重要人物だった。日本が「北進」=対ソ戦ではなく、「南進」=対米英開戦を決断したという超重要情報をゾルゲを通じてソ連に伝えたとされる。
妻子にあてた尾崎の手紙が「愛情はふる星のごとく」と題して敗戦直後に刊行され、大ベストセラーとなった。一方、占領軍のG2のウィロビーが報告書をまとめ、マッカーシズムさなかのアメリカで「赤色スパイの恐ろしさ」を示す材料として使われた。こうした事情から、一定の年齢以上の人には非常に有名な事件だといっていい。また、事件発覚の端緒はどこにあったかをめぐり、深刻な問題が存在した。特高資料などから、戦時中に逮捕された伊藤律の不用意な供述がきっかけだとされ、そもそも伊藤律は日本警察やアメリカ占領軍のスパイだったと疑われた。伊藤律は「50年代問題」で揺れていた日本共産党の有力幹部だった。共産党内に大物スパイがいたという告発である。
(尾崎秀実)
秀実の異母弟である大衆文学評論家の尾崎秀樹(ほつき)は「生きているユダ」という本を書き伊藤律スパイ説を力説した。松本清張「日本の黒い霧」も同様の主張をしている。(肝心の伊藤律は占領軍による共産党非合法化により地下に潜ったまま行方不明だった。1980年になって、突如中国で生きていることが判明し、日本中を驚かせた。帰国後、1989年に死去。)この事件は内外で多くの映画や小説になっている。黒澤明の戦後第一作「わが青春に悔いなし」も尾崎秀実にインスパイアされている。また篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」という映画も作られた。
チャルマーズ・ジョンソン(1931~2010)の「ゾルゲ事件とは何か」は新しく書かれた本ではない。1964年に原著が刊行され(66年に邦訳)、1990年に増補版が出された。その増補版の初の翻訳である。解説を加藤哲郎氏が担当し、本書刊行後の事情をよく伝えている。注が非常に充実していて、問題理解に役立つ。原著はジョンソンの学者としての出発期に書かれ、増補版はソ連でペレストロイカが進む中で書かれた。だから1991年暮れのソ連崩壊以後の状況は書かれていない。一応それまでの事件理解をまとめたものとして、ジョンソンの本は今も有効である。何より尾崎秀実が台湾で生まれ、上海でいかにして中国認識を深めていったのかが詳細に分析されているのが重要だ。
ジョンソンは中国研究者として出発し、当時はアメリカ人が中国に入れなかったから日本で文献を収集した。その中で尾崎秀実を知り、この本に結実する研究を進めた。その後ベトナム戦争中はCIAでアジア分析に参加したこともあるそうだ。1982年に出た「通産省と日本の奇跡」という本が有名となり、日本異質論者として知られたという。その後はどんどんアメリカ批判が厳しくなり、普天間基地返還(海兵隊をアメリカに移転せよという論)を主張したり、「帝国解体 - アメリカ最後の選択」(岩波書店)などの本を出した。ある種、尾崎秀実と同じような生き方をした人だった。
ジョンソンの原著刊行時にはソ連はゾルゲその人の存在も認めていなかった。しかし、増補版刊行時には「ソ連邦英雄」として切手にもなっていた。もしかしたら自分の研究がソ連が認めたきっかけかもと、著者は思ったらしい。(それは間違いだったと証明されているようだが。)そのソ連も崩壊し、秘密文書がたくさん公開された。またアメリカの情報公開も進み、このゾルゲ事件にはまだ隠されていた部分があったことが、加藤哲郎著によってわかる。この事件には川合貞吉という人物が関わっていた。戦後になって「伊藤律がアメリカのスパイだった」と主張していた川合本人が、逆に米軍のスパイでカネで雇われていたことが証明されているのは一例である。
日本の官憲史料、米軍調査、ソ連の秘密資料など、すべて一定の情報操作されたものなのである。伊藤律スパイ説は、まさに日本警察と米軍の共犯による情報操作だった。今から思うと尾崎秀樹も松本清張も史料批判が足りず、警察情報の上に作られた説だった。伊藤律スパイ説は完全に崩れ去り、「日本の黒い霧」(文春文庫)も伊藤律遺族の要求に基づき、断り書きが付けられている。
一番驚いたのが「アメリカ共産党の役割」である。ゾルゲに尾崎を紹介したのは、調書ではアメリカ人作家アグネス・スメドレー(中国共産党を取材した左翼作家)だとされた。しかし、実は鬼頭銀一というアメリカ共産党の秘密党員が引き合わせたのだという。鬼頭は逮捕当時すでに死亡していたので、スメドレーではなく鬼頭に話を合わせた方が都合が良かっただろうに、ゾルゲはスメドレーの引き合わせだと供述したという。この鬼頭という人物は今まで全く無名で、加藤氏が三重県の家族を探り当て詳細に叙述している。どうしてゾルゲがこの人物を厳重に秘匿したかというと、おそらくアメリカ共産党の秘密の役割を知られてはいけないということなのではなかったか。
アメリカ共産党は、アメリカに合法的に存在し続ける小党である。大恐慌時にある程度党勢を拡大した以外は、ほぼ存在するだけの政党だった。しかし、実は「人種のるつぼ」であるアメリカは、世界革命に向けた国際的スパイの養成、送りだしの基地となっていたらしい。表の党員は被弾圧要員であって、ソ連直属の秘密党員の役割を隠す存在だったという。今まで明るみに出ていない驚くべき事実がこれからも発掘される余地があると思う。(特に最晩年に除名された野坂参三の役割など。)
ところで、最初の方でゾルゲ、尾崎を「ソ連のスパイ」と簡単に書いた。知ってる人も多いだろうが、この書き方は全く不十分である。「ソ連のスパイ」と言っても、尾崎らはゾルゲを「コミンテルン」(第三インター)のスパイだと思っていたとされる。しかし、ゾルゲは「コミンテルン」ではなく、赤軍第四部に所属するスパイだった。コミンテルンは当時、事実上ソ連の下部機関だったけど、タテマエ上は「国際共産主義」の組織である。だからコミンテルン所属だったら「ソ連のスパイ」とは簡単には言えない。ソ連とは日ソ中立条約を結んでいて交戦関係にはないから、「敵国に情報を流した」とは言い難い。だが治安維持法では共産主義組織に対する援助を罰することができるから、日本の当局も「コミンテルンのスパイ」の方が都合が良かった。そこで事実が曲げられていったのである。
この本、あるいは「スターリンの対日情報工作」(平凡社新書)という本を読むと、日本には尾崎ではない、もっとスパイらしいほんもののソ連スパイがいたことが出てくる。「スパイらしいほんもの」とは変な言い方だが、カネや女がらみで情報を売るのが「ほんとうのスパイ」である。また知られざるスパイ、名もなく情報だけ売り渡して終るのが「優れたスパイ」である。「20世紀最大のスパイ事件」とゾルゲ事件を評する人もいるけど、元々有名な人物で、単なる情報ではなく「分析結果」を伝えていたゾルゲ・尾崎スパイ団は、結局明るみに出てしまったことでも判るように、けっして完全なスパイではないという。
尾崎秀実は本質は思想家、中国研究者と言うべき存在だった。中国の民族主義が抗日の本質であることを(だから抗日戦争を通して、「民族主義」のよりどころとしての共産革命が起こるべきことを)を主張した。「予言」は的中したと言っていい。だから、マルクス主義者として自らの信念に従ってソ連に情報を伝えたのである。ソ連のスターリン体制は尾崎が考えたものとは全く違っていた。それは悲劇だが、尾崎本人は「売国」ではなく「愛国」「憂国」の至情で行動したとみなしていい。「何が祖国のためになるのか」は、本人の座標軸上の位置の違いで、プラスになったりマイナスになったりする。日本が戦争により「亡国」寸前に追いつめられたという歴史を見ると、戦争を推進した者が「売国」で、戦争を防ごうとした者が「愛国」になる。今もなお、ゾルゲ事件の持つ意味は現代人にとって大きい。
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