「9月入学」論について、今まで3回書いた。「「9月入学」論への4つの疑問」(2020.4.28)、「「9月入学」は「コロナ・レガシー」なのか?-「9月入学論」への疑問②」(2020.4.29)、「消費税15%が必要な「9月入学」」(2020.5.25)である。2回目の記事で「議論していけばポシャるに決まってる」と書いたけれど、案の定6月4日に安倍首相が事実上の「見送り」を決め、5日に萩生田文科相が正式に表明した。何でも自民党議員には反対意見が殺到したらしく、党内の意見を首相も無視できなかったらしい。
(自民党議員が首相に見送りを要望)
書いた通りになったんだから、それでもういいようなものだが、最後に「まとめ」を書いておくことにした。僕が何回も書いたのは、議論をきちんと理解せずに論じている人が多いのにビックリしたからだ。この間、「9月入学」論議で1ヶ月以上をムダに費やしてしまった。その結果、「大学入試をどうするか」の全体像が未だに見えてこない。もともとセンター試験に代わって「大学入学共通テスト」になるはずだった。しかし、英語民間テストや記述式問題の導入見送りで、その共通テストのあり方が見えないままになっている。「9月入学」ではなく、そっちを先に議論するべきだったのである。
僕が一番強調したいことは、これは「義務教育の問題」だということである。それなのに、「9月入学」が「大学教育の問題」だと思っている人が多い。見送りのニュース当日の「報道ステーション」のコメンテーターをしている朝日新聞の女性記者が「9月入学賛成」を主張していた。大学の入学時期を変えないと、国際化に遅れを取る、外国の優れた人材が日本の大学に来てくれないなどと言っていた。僕には全く理解出来ない主張だ。何故なら、大学には今でも「秋入学」制度があるから。大学だけ秋入学一本にも出来るし、「春入学」「秋入学」を選べる制度にも出来る。解決済みのテーマなのである。
しかし、小中高を含めて「すべてを9月入学にする」ならば、何度も書いたように巨額の費用がかかる。また他の(財政など)制度と整合性がなくなり多くの不都合が生じる。(例えば、会計年度ごとの契約になっている非常勤講師の雇用など。)また、入試が2年続きにならないように子どもを作ったはずが、突然連続になって「学資」に苦労する人が出る。開始学年だけ、子どもの数が膨らんで学校整備や教員採用の計画も大きく狂う。そんなことが判らないで論じる教育関係者がいたのには驚いた。
ところで、せっかく今回の議論があったので、この際「次の議論」をしておきたいと思う。まず、「4月入学は世界で少数派」という言説の問題。これ自体は正しい。しかし、「9月入学」に変えても「世界の少数派」なのである。下の画像を見れば判るけれど、どの月にしても「少数派」になるのである。アメリカなどは、小学校の開始月も州ごとに違うらしい。英語の勉強で留学するんだって、行ってすぐに大学の授業に付いていける人は少ないだろう。半年のズレがある方がいい人も多いはず。また何も米英に留学するだけでなく、オーストラリア、ニュージーランドもあるし、シンガポールやフィリピンで学ぶ手もある。何なら公用語が英語のインドなら、4月入学で日本と同じである。
(各国の入学月)
「9月入学」と言われたときに、すぐに気付かないといけない問題があった。それは「9月入学」という以上、それは「3学期制を前提にしている」のである。「学年」を後ろにずらすだけで、「一斉授業」「一斉卒業」により、同じ年に同年齢集団が「一斉就職」するという「日本的システム」の延命なのである。しかし、個性化といっても、すべてバラバラに入学、卒業というわけにもいかない。効率の問題もあるから、まあ大学は3回、4回あってもいいけど、小中高は「前期」「後期」の2学期制なら可能かもしれない。
9月といえば関東以西ではまだ残暑が厳しい時期だ。初めて学校へ通う小学1年生にとって、ふさわしい入学時期とは思えない。学校運営上だけなら、会計年度と同じ4月が一番いいと思うけど、まあ何月開始でも出来ないことはない。でも「小学1年生問題」を考慮するならば、日本では4月か10月が適当なんじゃないだろうか。ちょうど半年ずれるから、2学期制にすればいい。前期入学、後期入学を親が選ぶことも可能だ。変えるのなら、全員が一斉に入学して卒業するというシステムを変えるべきだ。
(東大で検討した4学期案)
数年前に東大が秋入学への変更を検討したことがある。結局取りやめになった経過は細かく承知していないが、その場合も「全員を秋にする」ということだったと思う。そうじゃなくて、「春でも秋でも」にすればいいと思う。しかし、そのために「大学共通テスト」を何度も行うのも負担が大きい。そこで「大学入学資格試験」を行う必要があるかも知れない。フランスのバカロレアのようなものである。それを導入したならば、高校以下の教育をガラッと変えることになるだろう。本当に「思考力」が問われることになる。後は好きな時に好きな大学に入ればいい。
(自民党議員が首相に見送りを要望)
書いた通りになったんだから、それでもういいようなものだが、最後に「まとめ」を書いておくことにした。僕が何回も書いたのは、議論をきちんと理解せずに論じている人が多いのにビックリしたからだ。この間、「9月入学」論議で1ヶ月以上をムダに費やしてしまった。その結果、「大学入試をどうするか」の全体像が未だに見えてこない。もともとセンター試験に代わって「大学入学共通テスト」になるはずだった。しかし、英語民間テストや記述式問題の導入見送りで、その共通テストのあり方が見えないままになっている。「9月入学」ではなく、そっちを先に議論するべきだったのである。
僕が一番強調したいことは、これは「義務教育の問題」だということである。それなのに、「9月入学」が「大学教育の問題」だと思っている人が多い。見送りのニュース当日の「報道ステーション」のコメンテーターをしている朝日新聞の女性記者が「9月入学賛成」を主張していた。大学の入学時期を変えないと、国際化に遅れを取る、外国の優れた人材が日本の大学に来てくれないなどと言っていた。僕には全く理解出来ない主張だ。何故なら、大学には今でも「秋入学」制度があるから。大学だけ秋入学一本にも出来るし、「春入学」「秋入学」を選べる制度にも出来る。解決済みのテーマなのである。
しかし、小中高を含めて「すべてを9月入学にする」ならば、何度も書いたように巨額の費用がかかる。また他の(財政など)制度と整合性がなくなり多くの不都合が生じる。(例えば、会計年度ごとの契約になっている非常勤講師の雇用など。)また、入試が2年続きにならないように子どもを作ったはずが、突然連続になって「学資」に苦労する人が出る。開始学年だけ、子どもの数が膨らんで学校整備や教員採用の計画も大きく狂う。そんなことが判らないで論じる教育関係者がいたのには驚いた。
ところで、せっかく今回の議論があったので、この際「次の議論」をしておきたいと思う。まず、「4月入学は世界で少数派」という言説の問題。これ自体は正しい。しかし、「9月入学」に変えても「世界の少数派」なのである。下の画像を見れば判るけれど、どの月にしても「少数派」になるのである。アメリカなどは、小学校の開始月も州ごとに違うらしい。英語の勉強で留学するんだって、行ってすぐに大学の授業に付いていける人は少ないだろう。半年のズレがある方がいい人も多いはず。また何も米英に留学するだけでなく、オーストラリア、ニュージーランドもあるし、シンガポールやフィリピンで学ぶ手もある。何なら公用語が英語のインドなら、4月入学で日本と同じである。
(各国の入学月)
「9月入学」と言われたときに、すぐに気付かないといけない問題があった。それは「9月入学」という以上、それは「3学期制を前提にしている」のである。「学年」を後ろにずらすだけで、「一斉授業」「一斉卒業」により、同じ年に同年齢集団が「一斉就職」するという「日本的システム」の延命なのである。しかし、個性化といっても、すべてバラバラに入学、卒業というわけにもいかない。効率の問題もあるから、まあ大学は3回、4回あってもいいけど、小中高は「前期」「後期」の2学期制なら可能かもしれない。
9月といえば関東以西ではまだ残暑が厳しい時期だ。初めて学校へ通う小学1年生にとって、ふさわしい入学時期とは思えない。学校運営上だけなら、会計年度と同じ4月が一番いいと思うけど、まあ何月開始でも出来ないことはない。でも「小学1年生問題」を考慮するならば、日本では4月か10月が適当なんじゃないだろうか。ちょうど半年ずれるから、2学期制にすればいい。前期入学、後期入学を親が選ぶことも可能だ。変えるのなら、全員が一斉に入学して卒業するというシステムを変えるべきだ。
(東大で検討した4学期案)
数年前に東大が秋入学への変更を検討したことがある。結局取りやめになった経過は細かく承知していないが、その場合も「全員を秋にする」ということだったと思う。そうじゃなくて、「春でも秋でも」にすればいいと思う。しかし、そのために「大学共通テスト」を何度も行うのも負担が大きい。そこで「大学入学資格試験」を行う必要があるかも知れない。フランスのバカロレアのようなものである。それを導入したならば、高校以下の教育をガラッと変えることになるだろう。本当に「思考力」が問われることになる。後は好きな時に好きな大学に入ればいい。
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