「9月入学」について、今まで2回書いた。「9月入学への4つの疑問」(2020.4.28)と「『9月入学』は『コロナレガシー』なのか?」(2020.4.30)である。それから一ヶ月経って、文科省は検討対象を「2つの案」に絞った。また民間から様々な財政負担の推計も出てきている。大事な論点は最初の記事で示してあるが、自分では気付かなかった論点もたくさんある。ここでもう一回論じておきたい。
(文科省提示の2案)
恐らく最初に「9月入学」を言い出した人たちは、「今の学年をそのまま9月に移行する」ことを想定していたと思う。特に大学や大学受験を意識した進学高校関係者には、そのような発想が多い。しかし、義務教育じゃない大学は本来二次的な問題である。義務教育である(国家が責任を持つ)小学校、中学校の教育のあり方をどうするかという議論が一番重要だ。そして、「そのまま学年を移行する」案はなくなった。当然だろう。それでは義務教育開始年齢が7歳5ヶ月になり、他国に比べて異常に遅れてしまう。世界ではむしろ「義務教育開始を早める」国が多い。
はっきりしたのは、「9月段階で6歳を迎えた児童」(翌年8月末までに全員が7歳となる)を小学生にするということである。ただし、一度に受け入れる第1案では小学1年生が「1.4倍」ぐらいに膨らむ。教員も教室も不足するし、その学年は年齢差が大きくなる。後々受験も大変になる。だから、一年ごとに「4月生まれ」「5月生まれ」…と受け入れ対象を広げていき、5年掛けて移行するのが第2案である。その場合、一年ごとの財政負担は少ないけれど、結局同じ額を5年間に分割するだけだ。その間、待たされる子どもたちはどうなるのか。そこで小学校に「仮入学」させて「ゼロ年生」を作る案も出てきた。
(ゼロ年生案)
しかし、ゼロ年生を作ったら、教室や教員(必ずしも「教員」じゃなくてもいいだろうけど)を増やす必要があることに変わりない。要するに、どのような方策を取ろうが、「9月入学」実現には莫大な財政支出が必要になるのである。それは一体、どのぐらいだろうか。日本教育学会が22日に示した提言によると、財政・家計の新たな負担額は6・5兆円にも上るという。以下で触れるように、他にも社会の負担は大きいと思われる。今はまず、新型コロナウイルスで巨額の財政支出が必要である。来年度は法人税の落ち込みも予想される。どこからこの巨額の支出をひねり出してくるんだろうか。
6.5兆円と言っても、家計負担分が2.5兆円になるらしい。そうすると財政の新負担は4兆円になる。そのうち私立学校への補助金増が2兆円になる。私学は出願料・入学金・授業料の入金が5ヶ月遅れるが、それは国策による負担だから国が補助する必要がある。他に教員増員分、教室整備分などがあるが、他に予想以上に待機児童が増える試算がある。また後で書く税収減を埋め合わせないといけない。大まかに言って「5兆円」を何とかしないといけない。それを消費税でまかなうとすれば、消費税1%がおよそ1兆円になるので、消費税を15%に上げないと捻出できない金額だ。
もっともこの言い方は「レトリック」である。政府も消費増税はしないだろう。消費税の目的(と政府が言ってきたこと)から言ってもそれはない。そもそも義務教育段階の支出は、地方自治体の負担が大きい。それでは住民税をアップするのか。地方交付税を大幅にアップするのか。それにしても児童数が多い都市部の財政が破綻の危機に陥るのは間違いない。小泉内閣で「義務教育費国庫負担金」の2分の1から3分の1へ減額を強行されたが、それを再び2分の1に戻すとか、「ふるさと納税」を廃止するとか、抜本的な対策を取っても「焼け石に水」ではないか。
教育であれ何であれ、「ただのもの」はない。しかし、「4月入学」なら教育費の財政負担は例年と同じである。ここで言っている膨大な負担というのは、いつもの年に上乗せして必要になる金額なのである。各マスコミの世論調査でも、9月入学の是非を聞いているが、この巨額の財政負担に触れずに、ただ一般国民の意見を聞いても仕方ない。「4月入学なら新しい負担は生じない」「9月入学にすると、消費税5%分程度の増税が必要になる」と説明をしてから、「どちらに賛成ですか?」と聞かないと正しい世論を測ることが出来ない。
2018年には全国で高校生が322万人いた。一年間に生まれる子どもの数はだんだん減っているが、まあこの何十年の間、100万人前後になっている。定時制、通信制など高校もいろいろあるが、全部で300万超、一学年は100万前後と考えればいい。そのうち、2019年の大学進学率は55%ほどだった。「留学に便利」と言っても、45%の高校生には関係ない。むしろ、4月から就職していれば得られた給料分が、家計から失われる。大学生でも同様のことがある。その間の家計負担が2兆円に上る。それだけでなく、その給料から所得税や社会保険料が支払われているわけで、その減収分が相当額に上ることが予想される。それは僕は当初は気付かなかった。
9月入学に伴い、第1案の場合、教員は2万8千人不足するという。(刈谷剛彦氏推計、朝日新聞5月17日)この不足人員を一挙に採用しようとすると、多くの地方で小学校の教員採用試験が1倍を割るという。教員の定年を延長するなどしても、充足は無理だろう。新規採用教員には研修も必要だし、現場が大混乱になるのは必至。では第2案で、一ヶ月ごと受け入れ児童を増やせばいいのか。確かにその場合、一度に教員を採用増する必要はなくなるが、結局5年間かけて、同じように増やすので財政負担総額は変わらない。
さらに、この案の最大の問題は幼稚園などで形成されていた人間関係をバラバラにすることだ。4月生まれだけをピックアップして上級学年に繰り入れてしまうわけである。翌年は5月生まれだけ分断される。第2案は財政面、教員採用面では第1案よりいいけれど、肝心の児童にとっては残酷な案になってしまう。こういう風に、最初に「4つの疑問」と書いた他にも、家計への影響、待機児童増、教員採用の問題、国の税収減など多くの問題があることが判った。もう「9月入学」議論は打ち切った方がいい。今の財政状況で出来るはずがない。それが「大人の責任」だろう。
最後に一応書いておくが、最初から言っているように、大学が「秋入学」を実施するのは、大賛成である。というか、もうそういう仕組みはある。その分を増やしていけば良い。学生も「春入学」「秋入学」「春卒業」「秋卒業」を自分で選べばいい。企業も「通年採用」もしくは、「春秋採用」にすればいい。小中高は、会計年度に合っている方が便利だと思うが、絶対に4月入学じゃないとダメということでもないと思う。しかし、財政上出来ないことは、「今は無理」とはっきり決着を付けることが大事だ。
(文科省提示の2案)
恐らく最初に「9月入学」を言い出した人たちは、「今の学年をそのまま9月に移行する」ことを想定していたと思う。特に大学や大学受験を意識した進学高校関係者には、そのような発想が多い。しかし、義務教育じゃない大学は本来二次的な問題である。義務教育である(国家が責任を持つ)小学校、中学校の教育のあり方をどうするかという議論が一番重要だ。そして、「そのまま学年を移行する」案はなくなった。当然だろう。それでは義務教育開始年齢が7歳5ヶ月になり、他国に比べて異常に遅れてしまう。世界ではむしろ「義務教育開始を早める」国が多い。
はっきりしたのは、「9月段階で6歳を迎えた児童」(翌年8月末までに全員が7歳となる)を小学生にするということである。ただし、一度に受け入れる第1案では小学1年生が「1.4倍」ぐらいに膨らむ。教員も教室も不足するし、その学年は年齢差が大きくなる。後々受験も大変になる。だから、一年ごとに「4月生まれ」「5月生まれ」…と受け入れ対象を広げていき、5年掛けて移行するのが第2案である。その場合、一年ごとの財政負担は少ないけれど、結局同じ額を5年間に分割するだけだ。その間、待たされる子どもたちはどうなるのか。そこで小学校に「仮入学」させて「ゼロ年生」を作る案も出てきた。
(ゼロ年生案)
しかし、ゼロ年生を作ったら、教室や教員(必ずしも「教員」じゃなくてもいいだろうけど)を増やす必要があることに変わりない。要するに、どのような方策を取ろうが、「9月入学」実現には莫大な財政支出が必要になるのである。それは一体、どのぐらいだろうか。日本教育学会が22日に示した提言によると、財政・家計の新たな負担額は6・5兆円にも上るという。以下で触れるように、他にも社会の負担は大きいと思われる。今はまず、新型コロナウイルスで巨額の財政支出が必要である。来年度は法人税の落ち込みも予想される。どこからこの巨額の支出をひねり出してくるんだろうか。
6.5兆円と言っても、家計負担分が2.5兆円になるらしい。そうすると財政の新負担は4兆円になる。そのうち私立学校への補助金増が2兆円になる。私学は出願料・入学金・授業料の入金が5ヶ月遅れるが、それは国策による負担だから国が補助する必要がある。他に教員増員分、教室整備分などがあるが、他に予想以上に待機児童が増える試算がある。また後で書く税収減を埋め合わせないといけない。大まかに言って「5兆円」を何とかしないといけない。それを消費税でまかなうとすれば、消費税1%がおよそ1兆円になるので、消費税を15%に上げないと捻出できない金額だ。
もっともこの言い方は「レトリック」である。政府も消費増税はしないだろう。消費税の目的(と政府が言ってきたこと)から言ってもそれはない。そもそも義務教育段階の支出は、地方自治体の負担が大きい。それでは住民税をアップするのか。地方交付税を大幅にアップするのか。それにしても児童数が多い都市部の財政が破綻の危機に陥るのは間違いない。小泉内閣で「義務教育費国庫負担金」の2分の1から3分の1へ減額を強行されたが、それを再び2分の1に戻すとか、「ふるさと納税」を廃止するとか、抜本的な対策を取っても「焼け石に水」ではないか。
教育であれ何であれ、「ただのもの」はない。しかし、「4月入学」なら教育費の財政負担は例年と同じである。ここで言っている膨大な負担というのは、いつもの年に上乗せして必要になる金額なのである。各マスコミの世論調査でも、9月入学の是非を聞いているが、この巨額の財政負担に触れずに、ただ一般国民の意見を聞いても仕方ない。「4月入学なら新しい負担は生じない」「9月入学にすると、消費税5%分程度の増税が必要になる」と説明をしてから、「どちらに賛成ですか?」と聞かないと正しい世論を測ることが出来ない。
2018年には全国で高校生が322万人いた。一年間に生まれる子どもの数はだんだん減っているが、まあこの何十年の間、100万人前後になっている。定時制、通信制など高校もいろいろあるが、全部で300万超、一学年は100万前後と考えればいい。そのうち、2019年の大学進学率は55%ほどだった。「留学に便利」と言っても、45%の高校生には関係ない。むしろ、4月から就職していれば得られた給料分が、家計から失われる。大学生でも同様のことがある。その間の家計負担が2兆円に上る。それだけでなく、その給料から所得税や社会保険料が支払われているわけで、その減収分が相当額に上ることが予想される。それは僕は当初は気付かなかった。
9月入学に伴い、第1案の場合、教員は2万8千人不足するという。(刈谷剛彦氏推計、朝日新聞5月17日)この不足人員を一挙に採用しようとすると、多くの地方で小学校の教員採用試験が1倍を割るという。教員の定年を延長するなどしても、充足は無理だろう。新規採用教員には研修も必要だし、現場が大混乱になるのは必至。では第2案で、一ヶ月ごと受け入れ児童を増やせばいいのか。確かにその場合、一度に教員を採用増する必要はなくなるが、結局5年間かけて、同じように増やすので財政負担総額は変わらない。
さらに、この案の最大の問題は幼稚園などで形成されていた人間関係をバラバラにすることだ。4月生まれだけをピックアップして上級学年に繰り入れてしまうわけである。翌年は5月生まれだけ分断される。第2案は財政面、教員採用面では第1案よりいいけれど、肝心の児童にとっては残酷な案になってしまう。こういう風に、最初に「4つの疑問」と書いた他にも、家計への影響、待機児童増、教員採用の問題、国の税収減など多くの問題があることが判った。もう「9月入学」議論は打ち切った方がいい。今の財政状況で出来るはずがない。それが「大人の責任」だろう。
最後に一応書いておくが、最初から言っているように、大学が「秋入学」を実施するのは、大賛成である。というか、もうそういう仕組みはある。その分を増やしていけば良い。学生も「春入学」「秋入学」「春卒業」「秋卒業」を自分で選べばいい。企業も「通年採用」もしくは、「春秋採用」にすればいい。小中高は、会計年度に合っている方が便利だと思うが、絶対に4月入学じゃないとダメということでもないと思う。しかし、財政上出来ないことは、「今は無理」とはっきり決着を付けることが大事だ。
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