別の映画を見に行って満員だったので、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督の新作『枯れ葉』を見ることにした。カウリスマキは前作『希望のかなた』(2017)の完成後に突然引退を発表した。もう新作は見られないものと思っていたが、また突然新作『枯れ葉』を作ってカンヌ映画祭審査員賞を受賞したのである。公開に合わせてユーロスペースで特集上映が行われたので、2本ほど見直してみた。ものすごく面白くて「アキ・カウリスマキ節」を満喫したが、構図が似ているので飽きる面はある。
アキ・カウリスマキ初期の『パラダイスの夕暮れ』(1986)の「2.0」版が今作だと監督は言ってるらしいが、実際本当に似ている。底辺を生きる貧しい労働者、理不尽な社会、孤独な男女、酒とタバコ、不器用なラブロマンス、偶然による誤解や別れ、映画だけに許される再会。ヘルシンキの「場末」に生きる人々を暖かく見つめる眼差し。独特な音楽選び(日本の歌も良く出て来る)。ちょっと見れば、すぐにこれはアキ・カウリスマキ監督の映画だなと判る。それは小津安二郎の晩年の作品でも同じだが、変わることなく自分の世界を貫いている。今作も同じような感じなんだけど…。
(主演の二人)
スーパーで働くアンサ(アルマ・ポウスティ)は賞味期限切れの食品を困ってる人にあげて解雇される。一方、工場労働者のホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)は酒浸りで、ウツ状態。仕事中も酒を止められず解雇される。二人はそれぞれ同僚とカラオケに行って(「カラオケ」はやはりフィンランドでもカラオケと言っている)、何となく知り合う。また偶然会って、映画を見て次も会うことを約束する。その時に女は名前を教えないが、電話番号を紙に書いて教える。観客だけが知っているが、その紙はポケットから落ちて風に吹かれて飛んでいく。二人がまた会える日は来るのだろうか。
(アンサと愛犬)
二人の日常にはスマホもなく、テレビさえない。みんなタバコ吸いすぎだし、いつの時代の話だよと思うのも、いつもと同じ。だが今度の映画ははっきり時代が特定可能だ。それは2022年である。アンサが付けるラジオからいつもウクライナ戦争のニュースが流れているのである。恐らく監督はこの戦争で変わってしまったフィンランドを記憶に留めるため、そしてそれでも世界の片隅に小さな愛があることを示すため、この映画を作ろうと思ったんだろう。そして、その映画は世界に届いた。世界で高く評価されているのがその証拠だ。主演のアルマ・ポウスティはなんとゴールデングローブ賞の主演女優賞にノミネートされたぐらいである。
(監督と主演の二人)
また映画ファンには嬉しい「トリビア」がたくさんある。二人が見に行く映画は、監督の友人でもあるジム・ジャームッシュのゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』である。それを見ていた観客がロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』だ、いやゴダールの『はなればなれに』だなどと言い合っている。(あの映画はそこまで面白くないと思うけど。)他にも俳優の背景に映画のポスター(ゴダールの『気狂いピエロ』など)があるし、最後の最後に犬の名前で締めとなる。
(『トーベ』のアルマ・ポウスティ)
隣国ロシアが起こした戦争の現実と、判る人だけ判る映画愛のこだわり。それでいて、いつのものようにアキ・カウリスマキの映画は短い。この映画はなんと81分だが、2時間の映画を見たような余韻が残る。主演のアルマ・ポウスティは「ムーミン」シリーズの作者トーヴェ・ヤンソンを描く『トーベ』でタイトルロールを演じた人である。この映画は見ていて、なかなか面白かったがここでは紹介していない。『枯れ葉』によって世界でブレイクしそうである。ユッシ・ヴァタネンはソ連との戦争を描く『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』(未見)に出ていた人だという。
(映画で歌うマウステテュトット)
アキ・カウリスマキ監督の映画は、短くてもいつも時間以上に豊穣な世界に浸ることが出来る。その理由に音楽の使い方のうまさもある。登場人物は沈黙し、感情は音楽で伝える。この映画ではカラオケで同僚が歌う「秋のナナカマドの木の下で」、あるいは解雇されたホラッパが働き始めるシーンで流れるカナダのシンガーソングライター、ゴードン・ライトフットの「夜明け前の雨」(高石ともやが「朝の雨」として歌っている)などが大きな意味を持つ。また若い女性バンド、マウステテュトットが時々出て来てすごく印象的。この名前はフィンランド語で「スパイス・ガールズ」という意味だという。
いくら何でもフィンランドだって、犬を病院の面会に連れて行けるだろうか。また病院の入口にスロープがなくて、階段だけってどういうことだ。(多分、そういうビルしかロケ地を見つけられなかっただけだと思うが。)外国映画を見てると、そういう不思議な描写に戸惑うことが多いが、ヘルシンキがこんなに寂れた町のはずがない。アキ・カウリスマキ監督の映画に出て来る町は、監督の世界ということなんだろう。なお、題名はもちろんシャンソン「枯葉」からである。
アキ・カウリスマキ初期の『パラダイスの夕暮れ』(1986)の「2.0」版が今作だと監督は言ってるらしいが、実際本当に似ている。底辺を生きる貧しい労働者、理不尽な社会、孤独な男女、酒とタバコ、不器用なラブロマンス、偶然による誤解や別れ、映画だけに許される再会。ヘルシンキの「場末」に生きる人々を暖かく見つめる眼差し。独特な音楽選び(日本の歌も良く出て来る)。ちょっと見れば、すぐにこれはアキ・カウリスマキ監督の映画だなと判る。それは小津安二郎の晩年の作品でも同じだが、変わることなく自分の世界を貫いている。今作も同じような感じなんだけど…。
(主演の二人)
スーパーで働くアンサ(アルマ・ポウスティ)は賞味期限切れの食品を困ってる人にあげて解雇される。一方、工場労働者のホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)は酒浸りで、ウツ状態。仕事中も酒を止められず解雇される。二人はそれぞれ同僚とカラオケに行って(「カラオケ」はやはりフィンランドでもカラオケと言っている)、何となく知り合う。また偶然会って、映画を見て次も会うことを約束する。その時に女は名前を教えないが、電話番号を紙に書いて教える。観客だけが知っているが、その紙はポケットから落ちて風に吹かれて飛んでいく。二人がまた会える日は来るのだろうか。
(アンサと愛犬)
二人の日常にはスマホもなく、テレビさえない。みんなタバコ吸いすぎだし、いつの時代の話だよと思うのも、いつもと同じ。だが今度の映画ははっきり時代が特定可能だ。それは2022年である。アンサが付けるラジオからいつもウクライナ戦争のニュースが流れているのである。恐らく監督はこの戦争で変わってしまったフィンランドを記憶に留めるため、そしてそれでも世界の片隅に小さな愛があることを示すため、この映画を作ろうと思ったんだろう。そして、その映画は世界に届いた。世界で高く評価されているのがその証拠だ。主演のアルマ・ポウスティはなんとゴールデングローブ賞の主演女優賞にノミネートされたぐらいである。
(監督と主演の二人)
また映画ファンには嬉しい「トリビア」がたくさんある。二人が見に行く映画は、監督の友人でもあるジム・ジャームッシュのゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』である。それを見ていた観客がロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』だ、いやゴダールの『はなればなれに』だなどと言い合っている。(あの映画はそこまで面白くないと思うけど。)他にも俳優の背景に映画のポスター(ゴダールの『気狂いピエロ』など)があるし、最後の最後に犬の名前で締めとなる。
(『トーベ』のアルマ・ポウスティ)
隣国ロシアが起こした戦争の現実と、判る人だけ判る映画愛のこだわり。それでいて、いつのものようにアキ・カウリスマキの映画は短い。この映画はなんと81分だが、2時間の映画を見たような余韻が残る。主演のアルマ・ポウスティは「ムーミン」シリーズの作者トーヴェ・ヤンソンを描く『トーベ』でタイトルロールを演じた人である。この映画は見ていて、なかなか面白かったがここでは紹介していない。『枯れ葉』によって世界でブレイクしそうである。ユッシ・ヴァタネンはソ連との戦争を描く『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』(未見)に出ていた人だという。
(映画で歌うマウステテュトット)
アキ・カウリスマキ監督の映画は、短くてもいつも時間以上に豊穣な世界に浸ることが出来る。その理由に音楽の使い方のうまさもある。登場人物は沈黙し、感情は音楽で伝える。この映画ではカラオケで同僚が歌う「秋のナナカマドの木の下で」、あるいは解雇されたホラッパが働き始めるシーンで流れるカナダのシンガーソングライター、ゴードン・ライトフットの「夜明け前の雨」(高石ともやが「朝の雨」として歌っている)などが大きな意味を持つ。また若い女性バンド、マウステテュトットが時々出て来てすごく印象的。この名前はフィンランド語で「スパイス・ガールズ」という意味だという。
いくら何でもフィンランドだって、犬を病院の面会に連れて行けるだろうか。また病院の入口にスロープがなくて、階段だけってどういうことだ。(多分、そういうビルしかロケ地を見つけられなかっただけだと思うが。)外国映画を見てると、そういう不思議な描写に戸惑うことが多いが、ヘルシンキがこんなに寂れた町のはずがない。アキ・カウリスマキ監督の映画に出て来る町は、監督の世界ということなんだろう。なお、題名はもちろんシャンソン「枯葉」からである。
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