劇団タルオルムの『島のおっちゃん』という劇を見に行ってきた。劇団タルオルムというのは、ホームページを見ると、「2005年に大阪を拠点に、在日コリアンと、日本人の有志達が集まり結成しました。夜道を照らす月の明かりになりたいと、タル(月)、オルム(昇り)と命名、年に1度の自主公演を行いながらも、依頼があればどこへでも行く、バイリンガル劇団です」と出ている。『島のおっちゃん』は岡山県のハンセン病療養所、長島愛生園にいた「秋やん」を描いた物語である。1時間30分ほどの短い劇だが、いろいろと特徴があって見ごたえがある時間だった。
上演場所は「東京朝鮮第四幼初中級学校体育館」だというので、調べてみると自分の家から近いので今日の昼に行くことにした。と言っても歩いて行くと40分ぐらいかかりそうなので、途中のアリオ西新井に車を停めて、少し買い物をして駐車代を無料にしようという作戦。そこからだと迷わず行けば10~15分ぐらい。まあ迷ったんだけど。距離的には近いが、ここに朝鮮学校があるとも知らなかった。そして朝鮮学校の生徒も鑑賞していて、一緒に見るというのも面白い体験だった。
上演形式は「マダン劇」ということで、マダン劇を調べてみると「芝居のための舞台や装置がない、観客が周囲を取り囲んだ直径10メートルほどの円形空間の中で、楽士・演者・観客とが即興も交えてつくり上げる芝居」ということである。今回は体育館の前半分に椅子などを並べて四方を取り囲み、その真ん中で演じるという趣向。渡されたチラシを丸めて玉にして、心動いたシーンに投げるというやり方が面白かった。生徒たちも面白い場面、感動的シーンで投げていた。
「愛生園」に訪れた学生メンバーが「秋やん」と知り合う。お酒が好きで、バイクを乗り回し、鳥を育てて大阪に売りに行くという秋やん。時には温かく、時には厳しく、メンバーたちに接する。島の花を持ってきた女性メンバーには、罪深いと責め立てる。そんなきつさに音を上げて来なくなる人もいるらしい。作・演出の金民樹は赤ちゃんの時から何度となく、島を訪れていたという。最初は母に連れられていたが、小学生高学年になったら一人で行くようになった。母が行かなくなってしまったので。
学生の中には通ううちにカップルも出来る。東京の結婚式に秋やんを招くと、予約した宿で「宿泊拒否」が起きる。岡山県長島は本土から近いのに、船で行くしかない孤島だった。だからこそ「隔離」にふさわしいとして療養所が出来たわけである。長い隔離政策で、偏見を持つ人が多くいた。だからこそ、入園者たちは長く橋を待ち望んでいた。そしてついに、1988に「人間回復の橋」が出来た。皆も駆けつけて「人間回復」を祝う日、秋やんは酔い潰れてしまうのだった。
ハンセン病患者には朝鮮人の比率が高かった。秋やんも朝鮮人だったが、園内では通名を使っていた。ある時、「民」はそのことを追求したこともあった。園内では長く同じ民族でも南北に分かれて会が作られていた。そんな問題にも触れられているが、それ以上に「秋やん」の豪快な、あるいはちょっと傍迷惑な生き方が印象的。島で行き、島で死ぬことを運命づけられていた時代を浮かび上がらせている。1996年に「らい予防法」が廃止され、2001年に国賠訴訟で勝訴するが、そのちょっと前の物語である。
僕がこの公演を知ったのは、FIWC(フレンズ国際労働キャンプ)関西委員会の柳川義雄さんから連絡を貰ったからだ。この「秋やん」の造形には、FIWCの人々の体験と記憶が大きく貢献しているらしい。チラシの「スペシャルサンクス」に名が挙っていることでも判る。1980年に日韓合同ワークキャンプに参加して、翌81年冬に韓国メンバーが初来日した。その時長島愛生園を訪ねて泊まった思い出は今も鮮烈。それしか行ってないから、むろん「秋やん」のことは知らない。(僕が複数回行っているのは東京にある多摩全生園だけ。)柳川さんも来てたから聞いてみると、あんな感じでソックリと言っていた。
7日18時にもう一回公演が予定されている。場所は北区十条台の東京朝鮮中高級学校 東京朝鮮文化会館。詳しくは劇団タルオルムのホームページで確認してください。
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