フィルムセンターのアジア映画特集、順番がショエーブ・マンスールと逆になったけど、
インドの巨匠マニラトナムの映画を取り上げる。インドととパキスタンと言えば、今はもう別の国というイメージが強くなってしまったが、もちろん
1947年の分離独立までは同じ国である。それまでは大英帝国統治下のインド帝国(英国王を皇帝とする)だった。しかし、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒を完全に分離できるわけもなく、分離独立したパキスタンとバングラディシュ(1971年までは東パキスタン)だけでなく、インド国内にも1億6千万人ほどのイスラム教徒がいる。ムスリム人口の多さでは、インドネシア、パキスタンに続いて世界第3位である。(ちなみに4位はバングラディシュ。)分離独立時には、相互に住民移動が行われた。ショエーブ・マンスール「BOL」の父親はデリーから、パキスタンのカラチ、さらにラホールに逃れた。一方、最近公開の「ミルカ」の主人公は、シーク教徒の少年だが、パキスタンからインドに難民として逃れてきた。その後も印パの対立、宗教紛争が常に起こってきた。
マニラトナム(1956~)はインド南部、チェンナイ(旧マドラス)を中心とする
タミル映画の巨匠である。「ムトゥ 踊るマハラジャ」「ロボット」などで知られる
ラジニカーントもタミル語映画の大スター。彼らの映画はタミル語で作られ、他の地域ではヒンドゥー語など他の言語に吹きかえられて公開される。「大地のうた」三部作などで有名な巨匠
サタジット・レイはベンガル語映画。インドは巨大な世界で、映画もいくつもの言語で作られている。マニラトナムはヒンドゥー語やマラヤラム語などでも作っているが、ほとんどはタミル語映画。しかし、描くテーマはインド全体に及んでいる。今回上映された「ロージャー」(1992)から、音楽を
A.R.ラフマーン(1966)が担当している。「スラムドッグ$ミリオネア」で米国アカデミー賞の作曲賞、歌曲賞を受賞した人である。
マニラトナムの映画は何本か公開されているが、どれも長いし、
歌と踊り入りである。昨年公開された「めぐり逢わせのお弁当」など最近は踊りなしのインド映画もあるが、マニラトナム映画はA・R・ラフマーンの華麗なる音楽に乗せた素晴らしいダンスシーンが忘れがたい。大自然の中で踊るシーンも多い。
水と光の映像美に歌とダンスがあいまって、躍動感あふれる映像に心を奪われ、時間を忘れる。しかし、それだけではない。テーマは「
愛と平和」をストレートに歌い上げ、
戦争を憎み、憎しみをあおる狂信的指導者やテロに怒りをぶつける。そのストレートさは日本だったらウソに見えかねないが、彼はインドという矛盾の塊のような世界で自分の命をかけて作っている。世界の映画界で一番、
戦争やテロで罪なき子供が苦しむ現実に怒り、愛の素晴らしさを訴える映画を作ってきた監督だと思う。
僕は昔「
ボンベイ」に深い感銘を受け、
自分のインド映画ベストワンと思ってきた。まあ、サタジット・レイ「大地のうた」やグル・ダッド「渇き」より本当に上かと突っ込まれると困ってしまうが。今回見た中では、改めて見た「
ボンベイ」がやはり素晴らしいと思う。「
ザ・デュオ」も見ごたえがあった。「
ロージャー」と「
頬にキス」も悪いわけではなく、見ごたえがある作品には違いないが、作中に出てくる時事的な側面が前面に出て、テーマ主義的というか「国策的」「愛国的」という面が映画を弱めている感じがする。また、女優の「美形度」という観点でも「ザ・デュオ」や「ボンベイ」が圧倒的に素晴らしい。
「
ロージャー」(1992)は、マドラスで軍に頼まれ暗号解読を仕事にしている技師リシ(チラシにインド軍兵士とあるのは誤りで、民間人)の物語。妻には田舎の娘がいいと思い、ロージャーの姉と見合いするが、姉は実はいとこが好きで見合いを断ってくれと頼まれ、妹のロージャーと結婚したいと言ってしまう。この姉妹との結婚ドタバタの後で、誤解も解けたころ、
内戦の続くカシミールに出張することになる。ロージャーも是非連れて行ってほしいというので夫婦でカシミールに行くが、厳しい現地の情勢の中、リシは反体制派に誘拐され首領との人質交換を要求される。政府はいったん交換を拒絶し、ロージャーの孤軍奮闘が続く。その間、誘拐された夫はテロ集団の中で苦しみながら希望を捨てず脱出の機会をうかがっている。インド国旗が燃やされると全身で焼けるのを阻止するシーンが典型だが、全体的に愛国主義的な側面が強く、反パキスタン感情が支配している。そのような「国策」的な作りには違和感を覚えるが、美しい自然の中で愛をうたいあげるダンスシーンは素晴らしい。また「
テロリストに夫を誘拐された妻の苦悩」というテーマが、今の情勢から非常に共感して見てしまうことになる。
「
ボンベイ」(1995)は、1992年末と1993年初めに実際にインド各地で荒れ狂ったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で発生した暴動を背景にした作品である。暴動はボンベイ(現ムンバイ)で一番激しく、映画もそこで住んでいる夫婦の物語とされている。大学を出てジャーナリストとして働くシェーカルは実家に帰った時に、風がヴェールを一瞬まくり上げた時にシャイラの顔を見て一目ぼれしてしまう。彼の家は村の名家で、彼女の家はムスリムのレンガ屋。宗教的に絶対に相容れない間柄で、双方の親は頑強に反対するが、彼は思いを募らせ彼女も心を寄せる。彼はボンベイに帰るが、その後もひそかに文通を続け、父にばれた後で彼女は家を出てボンベイに向かう。二人はボンベイで結婚し、双子も生まれて幸福に暮らしていた。この妻を演じるのが、実際はヒンドゥー教徒の
マニーシャ・コイララでネパールのコイララ元首相の姪という名家の育ち。この映画でスカウトされデビューしたが、素晴らしい魅力。
後半はその彼らを襲う
ボンベイの宗教暴動のシーンの連続。カンボジアのポル・ポト政権を描く「キリング・フィールド」やルワンダ紛争を描く「ホテル・ルワンダ」を思い出させる圧倒的な恐怖感である。火をつけられ街は燃え上がり、人々は殺し合い、宗教指導者は扇動を続ける。シェーカルは子どもを探しながら、この愚行を止めようと全力を尽くすのだが。この暴動を聞き、両家の親は勘当したはずの子どもたちの安否を尋ねにボンベイにやってくる。このシーンは双方の張り合いが笑いを呼びながらも、親が子を思う心は万国共通、宗教の違いで引き裂かれるものではないと力強く観客に訴える。
暴動シーンのあまりの迫力に言葉を失う思いがするが、このような悲劇を二度と繰り返してはいけないと見る者すべての心に沁み通る。
宗教の名のもとに怒りを扇動する者への怒りが映画にみなぎっている。と同時に、最初の方の海辺の城塞での愛をうたいあげるシーンなど、歌と踊りの素晴らしさも忘れがたい。この映画は日本語字幕のDVDやビデオが出ているので、探せば見ることができる。
「
ザ・デュオ」(1997)は166分と一番長いが、政治そのものをテーマに二人の男の盛衰を長年月にわたって描く大河ドラマ。1970年代に実際に州知事を務めた大スターがいたというが、その話にインスパイアされた映画。脇役俳優のアーナンダンは母が危篤の電報で急いで帰ると真っ赤なウソ。結婚式が準備されていて、見たこともない嫁を貰えと言われ反発するが、実際に見たら一目ぼれ。愛妻プシュケとともに大スターを目指すが、妻は急死してしまう。そのころ脚本家で詩人のセルヴァムはアーナンダンを主役に映画を作り、大ヒットしてアーナンダンは一躍大スターになる。セルヴァムは腐敗した政界に怒りを持ち、親しく従ってきた師を代表に新しい政党を起ち上げ政治の刷新を訴えるようになる。大スターのアーナンダンも党員となり協力し党勢は上り調子。ついに州議会選で過半数を獲得し、セルヴァムが州首相となる。その後数年、スターの妻を持つアーナンダンは、次の相手役を探していて、一瞬目を疑う。まさに死んだ前妻にそっくりの美女がいたのである。(一人二役だから当たり前だが。)初めは警戒しながら、どうしても惹かれてしまう。その一方、自分も権力を欲しくなり大臣の地位を望むが俳優を辞めないとだめだと拒絶される。そしてセルヴァムを批判して党を除名。新党を起ち上げて彼も政界入りをめざす。そして選挙に勝って、今やアーナンダンが州首相となるのだが…。
彼の「ファム・ファタール」(運命の女)を演じるのが、
アイシュワリヤー・ラーイ(1973~)である。1994年のミス・ワールドで、たくさんの出演依頼の中から、「ゼ・デュオ」をデビュー作に選んだ。出てくると目を奪われてしまう圧倒的な超絶美人で、近年日本公開された「ロボット」でも今も衰えない美貌を披露していた。単なる美貌だけではなく、とにかくセクシーなダンスシーンも素晴らしいし、知性も感じさせる演技力もある。(大学で建築学を学んだという。)母語が南部のドラヴィダ系トゥル語という少数派出身だが、英語、ヒンドゥー語、タミル語など話せるという。(上の写真は最近のもの。)映画としては、とかく唐突感のあるミュージカルシーンが、この映画の場合ミュージカル映画を作っている大スターと美人スターという設定だから、違和感なく見られる。肝心の政界シーンは、成り上がって堕ちていくという定型だが、かつての友情が政敵に代わっていく迫力は出ている。彼の映画によく出てくる「
360度パン」(多分円形レールにカメラを乗せてグルグル撮るんだと思う)が、非常に生かされていると思う。長い話で何だという終わり方でもあるし、せっかくのアイシュワリヤー・ラーイももっと使い道があるのではと思う。不満も多い映画だが、ポピュリズムと腐敗批判、映画界を舞台にした映画の魅力、歌の素晴らしさなど魅力も多い。
「
頬にキス」(2002)は、作家の父の娘アムダは9歳の女の子。実はスリランカ難民の子としてインドに生まれ、幼女として育てられてきた。いつか言うべきと思い打ち明けるが、アムダは実の母に会いたいとかつての難民キャンプを訪ねるなど、心が揺れてしまう。父と母はスリランカに行って実母を探そうと、内戦下のスリランカを訪れて、タミル人ゲリラが激しく闘う地域に向かうのだが…。最後の母子再会シーンなど、この映画が一番泣かせる映画ではないかと思う。親が子を思う心、子が親を思う心、そして戦争が親子を引き裂く悲劇への怒り。非常にストレートに伝わるが、どうも納得できない面もある。内戦下スリランカを舞台にするという、これも勇気ある企画だが、9歳の娘に真実を伝え、一緒に戦時下の村まで行くのは無茶である。普通はそうしないと思うが、現実の時間的制約から、9年前という設定になるんだと思う。その結果、どうしても無理やりテーマに当てはめた物語という感じがしてくる。またスリランカでロケしてる以上政府側で描く感じがしてしまう。しかし、タミル映画界のマニラトナムがタミル人独立運動をどう思っているかがよく判らない。彼は一貫して、自分の所属する民族であれ、過激な暴力的テロ集団を否定するのかもしれないが。親子の絆だけで泣かせる感じがしてしまう。(スリランカ北部には、インドから移住したタミル人が多く、タミル人地域独立運動が激しかった。インドにも支援する動きがあった。インドの介入に反対するテロリストによって、ラジブ・ガンジー元首相が暗殺された。)