尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

再審制度の全面的見直し-再審法の改正を②

2018年01月12日 22時42分44秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「高裁で再審開始決定が出た場合、検察側による最高裁への特別抗告を禁止するべきだ。」これが一回目に書いた「最低限の改正」だけど、では本格的に全面見直しをするとすれば、再審制度はどうあるべきか。それを2回目に書きたい。でも、これから書くことは抜本的すぎて、すぐには実現しないだろう。そういう視点もあるという意味で書いておくのである。なお、タイトルに「再審法」と書いたけど、もちろんそんな名前の法律はない。刑事訴訟法の第四編「再審」の部分のことである。再審の法的制度を示す意味で、冤罪救援運動では「再審法」と呼ぶことが多い。

 まず、「再審の要件」が現行法でどのようになっているかを見てみたい。7つ挙げられているが、そのうち大部分は「証拠が偽造だったことが確定判決で証明されたとき」などで、普通は使えない。(なお、証拠の偽造などは、相続や離婚問題などでもあるわけで、民事裁判でも再審請求できる。)

 「六 有罪の言渡を受けた者に対して無罪若しくは免訴を言い渡し、刑の言渡を受けた者に対して刑の免除を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき。」 最後の方に「明らかな」と「あらたに」とある。これを新証拠の「明白性」と「新規性」と呼んでいる。新規性の方は問題ない。元の裁判で使用したのと同じ証拠で再審請求してもダメ。これは「再審」なんだから当然だろう。それを認めたら延々といつまでも決着しない。

 一方、「明白性」の方はどうだろうか。これを厳密に考えすぎると、刑事事件では真犯人が現れでもしない限り、再審が認められなくなってしまう。真犯人がいないケース、つまり「犯罪」じゃなくて「事故」だったようなケース(東住吉事件など、そういうことはかなり多い)などでは、事故だったらからこそ苦労することになってしまう。再審事件でもめるのは、要するに「新証拠」の「明白性」の評価をめぐってであることが多い。検察側は再審公判でも有罪主張をすることができるんだから、この「明白性」の条件は緩めてもいいのではないか。

 逆に再審公判での検察側立証を禁止してもいいが、「裁判」である以上、それも難しい。それに明らかに証拠が破たんした場合は、今でも有罪立証を放棄しているんだから、それでいい。とにかく頭の固い裁判官が、捜査段階の「自白」に頼り過ぎて、新証拠の「明白性」をタテにして「明らかとまでは言えない」とか言って再審を却下することが多いのだ。そっちを何とかした方がいい。「明らかに」を「原判決に疑いを容れる可能性の高い」程度に緩和して、再審裁判を開きやすくしてはどうか。

 もう一つ、先に引用した法文の中に、「原判決において認めた罪より軽い罪」とある部分である。その前にある、有罪判決に対して、無罪や免訴になるべき場合というのは、再審の場合当然だ。だけど、その後にある「より軽い罪」とは何だろうか。これが案外理解されていない。再審というのは、まったくの青天白日、無実の人のためばかりの制度ではない。「強盗殺人罪」や「放火殺人罪」に問われた場合(法文上は強盗殺人や放火殺人という言い方ではないが)、強盗や放火だけを否定しているケースが案外多い。そういうケースも再審請求の対象になるわけだ。

 一方、「より軽い刑」では再審にならない。心神耗弱など責任能力に問題がある場合に量刑を軽減するわけだが、新しい精神鑑定が出ても再審開始にはならない。殺人罪は殺人罪で、「より軽い罪」ではないから。つまり、再審とはあくまでも「事実認定をやり直す」ものなのである。しかし、死刑と無期懲役の差は大きい。死刑判決を受けた人には、事実認定だけでなく、量刑判断で自分が不当な裁判を受けたと思っているケースが多い。原審では見つからなかった新しい情状証人が見つかり、裁判をやり直せば刑が軽くなった可能性が高い場合、それでも再審を開いてはいけないのだろうか

 そんなことをしていたら、いつまでも決着しないからダメという人が多いだろう。死刑囚が執行を逃れるために再審請求を繰り返すのではないかという人もいるだろう。(どんな凶悪犯であっても死刑判決を受け入れられる人は少ないので、なんとか死刑を逃れたいと思うのはやむを得ない。)それに刑の執行は行政権に属しているから、重すぎる事情が見つかった人には恩赦や仮釈放で対応すればいいとも言える。でも現実には恩赦はほとんど機能していない。裁判に納得できない人には、いろいろな救済方法がある方が社会にとっていいのではないか。

 最後にもう一つ重大な問題。「第四百四十五条 再審の請求を受けた裁判所は、必要があるときは、合議体の構成員に再審の請求の理由について、事実の取調をさせ、又は地方裁判所、家庭裁判所若しくは簡易裁判所の裁判官にこれを嘱託することができる。」という項目がある。新しい証拠をもとに再審請求をした場合、裁判所は「事実の取り調べ」が「できる」。当たり前である。新証拠の事実を調べない限り、「明白性」が判断できない。

 だけど、これを反対に読めば、「必要がないとき」は「事実調べ」を「しなくてよい」という規定に読める。新証拠を提出しても、明らかに明白性がないなどと決めつけられて、事実調べもせずに請求を却下されたケースが山のようにある。「けんもほろろ」の裁判所に何度も門前払いされながら、請求人・弁護団や救援運動の力でなんとか事実調べを勝ち取るというのが、今までの再審だった。でも、本当はおかしい。新しい鑑定を提出したのに、その鑑定人を呼んできて証言を聞いたりしないで、書類調べだけで「明らかとまでは言えない」などと請求を却下する。そんなことが許されていいのか。

 ここは明らかに「新証拠に関して、事実調べを行わなければならない」と変えないといけない。いつまでも冤罪が絶えないのは、再審に臆病な裁判所、検察官、そして法制度にあり方にも大きな責任がある。冤罪で長い時間を苦しんだ人を救済すること、これは国家、社会にとっても最重要な問題ではないか。かつて足利事件で、最初の再審請求は却下された。DNA鑑定をやり直してほしいと主張したのに裁判官に無視された。「事実調べ」をしなくてもいいという先の規定による。即時抗告審で高裁が新しいDNA鑑定もやったところ、犯人のDNAとは違うという結果が出たのだった。
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検察の特別抗告は禁止せよ-再審法の改正を①

2018年01月11日 22時20分56秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「部活動論」も書きたいんだけど、その前に数回「冤罪・死刑問題」を書いておきたい。関心はずっとあるけど、自分が直接かかわっている個別支援事件が今はない。だから、何か動きがあった時もつい書かなくなる。でも今回は制度の改正を強く訴えたいと思ったのである。

 2017年夏に長く無実を訴えてきた東住吉事件で再審無罪判決が出た。12月18日に放送されたNHKのドキュメンタリ-番組「時間が止まった私 えん罪が奪った7352日」は、この事件の青木恵子さんの日々を描いている。番組を見て改めて「権力犯罪の恐ろしさ」を痛感した。東住吉事件は2012年3月7日に大阪地裁が再審を決定し、請求人二人の刑の執行停止を命じた。ところが執行停止は上級審で覆り、その後も拘束が続いた。検察側は大阪高裁に即時抗告し、再び再審開始の決定が出たのは2015年10月23日。この間、約3年半、1200日以上が経っている。「えん罪が奪った7352日」のうち、1200日以上が地裁の再審開始決定以後ではないか。執行停止を覆した責任は大きい。
 (無罪判決時の青木さん)
 無罪が決定した事件に関しては、不当に拘束した期間に対して「刑事補償金」が支払われる。(刑事補償法)無実の人間を逮捕・起訴するのは、もちろんそれ自体が不当極まりない国家犯罪だが、そのような不当な行為を行った警察官、検察官や間違った判決を下した裁判官の個人責任は問われない。それにしても、この東住吉事件などを見ると、地裁の再審開始決定以後の拘束分の刑事補償金ぐらいは、抗告して再審を引き延ばした検察の責任者に請求したくならないか。なんで税金で全国民が支払わなくてはいけないのだろうかと思ってしまうのである。

 昨年は「針の穴より小さい」と言われる再審請求がようやく認められるケースが何件か続いた。でも、それらの事件も東住吉事件と同じように、検察側が上級審に持ち込んで決着しないのである。これはおかしいだろう。鹿児島の大崎事件は、6月17日に鹿児島地裁が再審開始を決定し、それに対し検察側が福岡高裁に即時抗告。熊本で起こった松橋(まつばせ)事件は、11月29日に福岡高裁が再審を認める決定を行い、12月4日に検察側が最高裁に特別抗告。滋賀県で起こった湖東病院事件は、12月20日に大阪高裁が再審開始を決定、検察側は12月25日に最高裁に特別抗告。(ここでは事件内容は書かないが、いろいろなサイトですぐに調べられる。)
  (前=松橋事件、後=湖東病院事件)
 今挙げた大崎事件や松橋事件は、請求人が高齢のため一刻も早い再審開始が望まれる。松橋事件では捜査側の不正が明らかで、これ以上争うのはおかしい。本来「憲法違反」と「判例違反」の場合しか最高裁に訴えることはできない。それを検察側が最高裁に訴えてまで再審を妨害する。それは明らかにおかしいと思う。請求人の側からは、人権の問題だから最高裁に訴えることを否定できない。(最高裁は幅広い職権を持っていて、請求人の事実認定を見直す権限を持っている。)

 諸外国の中には、刑事裁判で無罪判決が出ても、検察側は上訴できないという国もあるという。刑事事件というのは、国家が税金を使って捜査し、起訴し、裁判を行うものである。それに対して、被告・弁護側は(場合によっては国選弁護人制度もあるが)、大方は当初は私費で弁護活動を行うしかない。裁判は検察側と弁護側の主張を聞いて、どちらがより妥当かを判断するものだと言っても、両者の力関係には大きな違いがある。お金の問題もあるが、一番大きいのは弁護士には「強制捜査権」がないことである。そんな中で無罪判決が出たのに、さらに国家の側が争い続けるというのはアンフェアだという考え方から検察側の上訴を禁止しているんだろう。

 そのように普通の刑事裁判であっても、検察側の上訴は一定の制限が必要だと思う。そして、その制限の必要性が再審の場合、もっと大きいと思う。いや、いったん確定した裁判の判決を揺るがしてはならない。そんなことをしては国家の危機を招くという人もいるかもしれない。しかし、無実の人間が罰せられるということの方が、もっと大きな「国家の危機」ではないか。確定するまでは一応「推定無罪」の考え方があるが、有罪判決が確定してしまったら、もう国家から犯罪者と決めつけられたことになる。すでに人権が簡単に回復しがたいぐらい侵害されている。だから、もし再審が必要だと判断された場合、国家の側がそれ以上争って再審を引き延ばしてはならない。
 
 再審とは、つまり裁判のやり直しだが、そのやり方には大きな問題がいくつかある。まずは再審請求の二重性である。いったん決着した裁判がそう簡単にやり直しになるのはおかしいと言えば、それはその通りだろう。だから、まず「再審請求」がある。やり直しをするべきか否か。それを厳しく問うわけである。そこで「明らかに前の裁判はおかしい」となった後で、ようやくやり直し裁判が始まる。つまり、再審請求が認められただけでは無罪にならない。再審開始が正式に決まってから、あらためてやり直し裁判が始まる。ところが、その再審裁判で検察側は再び有罪の論告をおこなったりする。

 検察側が最高裁まで争って、その結果「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」があると最高裁で判断された事件でも、もう一回再審裁判で検察が立証活動をできるのである。それも本来おかしい。再審を開くべきだと裁判所が判断して、その結果の再審なんだから。もう検察は有罪論告をしてはならないだろう。(検察側の鑑定でも、今までの有罪判決が維持できないとなった事件、足利事件、東電社員殺害事件、東住吉事件などでは、さすがに検察側も立証活動は放棄した。)

 このように、検察側は再審開始に徹底抵抗するのが普通である。それは「確定判決の権威を守る」ということかもしれないけど、「もし無実だったら」と考えた時、その一刻も早い人権の回復が必要だ。大崎、松橋、湖東病院事件などは、再審請求人は刑期を終えて出所していた。だが足利事件、東電社員殺害事件、東住吉事件などは無期懲役が確定して服役中だった。無実の罪で服役しているんだから、一刻も早い解決が必要だった。その意味でも、最低限、検察側が高裁の再審開始決定に対して最高裁に特別抗告することは禁止されるべきだ。ホントはもっと変えたいところだけど、とにかく最低限「事実誤認」を検察が最高裁に上訴するのはおかしい。
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韓国の新感覚ゾンビ映画、ヨン・サンホ監督2本立て

2018年01月10日 21時08分34秒 |  〃  (新作外国映画)
 早稲田松竹でヨン・サンホ監督の「新感染 ファイナル・エクスプレス」と「ソウル・ステーション/パンデミック」の2本立て。(12日まで。)去年後半にヨン・サンホ監督の作品が3本連続して公開されて注目を集めた。ロードショーではうっかり見逃してしまったけれど、ゾンビ映画のアニメ、実写映画を2本。こういう番組をすぐやってくれるのが名画座のありがたいところ。どっちも威勢のいいこと、この上ない。「B級」と「社会派」のテイストを併せ持つ異能の誕生だ。

 「新感染」が評判を呼んでスマッシュヒットになったとき、僕はまだヨン・サンホを知らなくて、韓国の新しい娯楽映画の一本だろうと思ってしまった。続いて「前日譚」の触れ込みでアニメの「ソウル・ステーション」が公開され、さらに「我は神なり」というちょっと変わってるらしいアニメも公開された。ここに至って、ヨン・サンホ(1978~)はもともとはアニメ監督で、初めての実写映画が「新感染」なんだと知ったわけ。最初の長編が「豚の王」(2011)で一部で上映され注目を集めた。
 (ヨン・サンホ監督)
 「新感染」は原題「プサン行き」に付けも付けたりのB級テイストの邦題を付けたものだ。ソウルからプサン行きの高速新幹線(KTX)に「ゾンビ感染女性」が乗り合わせ、人から人へとどんどん増殖していく恐怖を描く。それに対抗して、いろいろな人がいろいろな行動を起こす。「密室」のホラーとして、上出来の映画。一度も退屈せずに一気見できることは確実だ。ゾンビというのは、それそのものが不可思議なものだから、映画ごとにいろんなローカル・ルールを作って楽しめる。この映画ではトンネルに入ると襲ってこれないことになってる。光に反応せずに、音に反応する。

 仕事人間の父親と女児がプサンの母に会いに行く。その親子を中心に、妊娠中の女性とその夫、高校の野球部員と応援の女生徒などなど、さまざまな人間が乗り合わせて、それぞれが人間の醜さと人間の気高さを示す。とにかく一度噛みつかれたらゾンビ化してしまうのがお約束だから、あっという間に車内がゾンビだらけになってしまう。もう逃げるのに必死で、家族・友人もばらけていく。「津波てんでんこ」という言葉を大津波の時に知ったけど、「ゾンビてんでんこ」とも言えるようだ。

 僕は韓国には20世紀を超えてから行ってない。だからフランスのTGVを導入したという韓国高速鉄道(KTX)は一度も乗ってない。前の「セマウル号」しか知らない。(もう「セマウル」という響きも古い感じだなあ。新しい村という意味だけど、パク・チョンヒ時代の言葉だからなあ。)それでも韓国の地理を知ってれば、チョナン(天安)、テジョン(大田)、トンテグ(東大邱)と映画に出てくる駅名を聞くと、プサンに行き着くのかとそれぞれの町を思い出しながら、見ている方も緊迫してくる。

 映画の最後になって、どうもウェルメイドなエンタメ映画ではないなと判ってくる。ゾンビも怖いけど、ゾンビじゃない人間の「排外主義」がゾンビと同じぐらい恐ろしい。そうすると、社会批判や風刺が映画の目的か。この面白さと疾走感は社会批判だけではできないだろうが、前作の「ソウル・ステーション/パンデミック」を見ると、社会風刺の鋭さは深いものがある。アニメでソウルの夜の恐怖を描いたこの映画は、僕はむしろ「新感染」より好きだ。ソウルの下層社会に生きるホームレスや風俗女性がゾンビから逃げ回る。ソウル駅や地下鉄線路などの描写も興味深い。

 ここでは鎮圧にやってくる警察や軍隊が恐ろしい。当初はホームレスの暴動を報じられ、ゾンビじゃない人間も容赦なく敵とみなされる。その怖さは、これが光州事件かと思わせるものがある。自衛隊の協力を得てゴジラと戦う国とは、もう感覚が違うんだと判る。そしてラスト近くの苦い現実、ここまでビターなアニメも珍しい。しかし、実写の「新感染」もアニメ的、アニメの「ソウル・ステーション」も実写的な映像でもある。CGが当たり前の現代では、どちらも似たような映像感覚で処理されていくということだろう。日本のアニメやコミックの影響も強いというヨン監督。注目の才能がまた現れたけど、社会への見方に日韓の差があるのも間違いない。それも興味深い点だと思う。
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葉室麟、はしだのりひこ、早坂暁、萩原遼等-2017年12月の訃報

2018年01月08日 22時44分46秒 | 追悼
 時間が経ってしまったけど、昨年12月の訃報をまとめて。作家の葉室麟(はむろ・りん)が66歳で亡くなった。12月23日没。映画化もされた「蜩ノ記」で直木賞を取ったのが2012年。九州で新聞記者をしていて、2005年になって作家デビューした。だから、作家として葉室麟という人の名を知ったのは、ここ10年ほどである。毎年のように新作を出していて、今が盛りという感じの書きぶりだったから、この訃報には驚いた。僕は「蜩ノ記」と「柚子の花咲く」しか読んでないけど、虐げられたもの、弱きものへ温かい目を注ぎながら誠実な作品世界を送り出してきた。もっと読みたい時代作家である。
 
 歌手のはしだのりひこ(端田宜彦)が2日に72歳で没。葉室と逆に、はしだのりひこは70年代以後はほとんど知らない。訃報では「ザ・フォーク・クルセイダーズ」で語られているけど、同時代を知ってる人はむしろその後の「はしだのりひことシューベルツ」「はしだのりひことクライマックス」という彼の名前を冠したグループの方が記憶にある。前者は「風」や「さすらい人の子守唄」、後者は「花嫁」というヒット曲がある。その後は「主夫」としてエッセイを書いたりした時期もあった。

 脚本家・作家の早坂暁(あきら)が、16日に死去、88歳。「夢千代日記」が代表作と言われるけど、僕はその頃全然テレビを見てないので判らない。「天下御免」「七人の刑事」などはすごく面白かった。大竹しのぶのデビュー作である映画「青春の門」、続く「青春の門・自立篇」の脚本を監督の浦山桐郎とともに担当していた。これは訃報で知って、そうだったのかと思う。小説では「ダウンタウン・ヒーローズ」が山田洋次監督で映画化されている。僕はあまり知らなかった人。
 (早坂暁)
 拉致被害者の曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンズが、11日に77歳で没。この人はベトナム戦争激化の年である1965年に在韓米軍から脱走して越北した。2004年に娘と来日した後で、米軍の軍法会議で禁固刑を受けた。その後は一家で佐渡に住んだわけだが、数奇なる人生を歩んだ人だ。12日に拉致被害者増元るみ子さんの母親、増元信子(90歳)の訃報も伝えられた。一方、元慰安婦として裁判を起こした宋神道(ソン・シンド)が95歳で亡くなった。朝鮮・忠清南道から中国戦線へ連れていかれ、7年間「慰安婦」にされた。戦後は日本兵に連れられて宮城県に住んだ。(女川の自宅は東日本大震災の津波で流された。)93年に日本政府を相手に賠償請求裁判を起こしたことで知られた。「オレの心は負けてない」というドキュメント映画にもなった。
  (前=ジェンキンズ、後=宋神道)
 公明党元書記長の市川雄一が、14日に82歳で死去。書記長だったのは89年から94年いっぱいだとあるけれど、そこで新進党に合流したわけである。この時期はPKO法成立から細川政権成立という重大な出来事があった。「社公民」路線から「自公民」路線(この「民」は民社党である)に舵を切り、そこで培った小沢一郎との関係を生かして非自民政権で重きをなした。当時は小沢一郎と「一・一ライン」と呼ばれていた。(細川連立政権で、小沢は新政党代表幹事、市川が公明党書記長で、このコンビで政権を牛耳っていると思われていた。)2003年に政界引退。
 (市川雄一)
 ジャーナリストで、「北朝鮮に消えた友と私の物語」で大宅壮一ノンフィクション賞を受けた萩原遼が22日に死去、80歳。この人は赤旗のピョンヤン特派員だった人である。だから当然、日本共産党員である。(2005年に除籍。)特派員だったのは72年から73年だが、帰国した友人を探し回って追放されたらしい。その後、70年代半ばに韓国の詩人金芝河が政治的な弾圧を受けていた時に、彼の詩や文筆活動を紹介した。渋谷仙太郎、井出愚樹と言ったペンネームを使っていたから、僕も長いこと気が付かなかったけど、その名で出た詩集を僕も読んでいる。1993年に「朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀」を出版したが、これは非常に重要な研究書。米軍が朝鮮戦争時に押収した北側の文書を丹念に調べて、朝鮮戦争が北側から起こされたことを証明した。(今はソ連崩壊後の史料で裏付けられている。)晩年は反朝鮮総連活動一本だったようだが、90年代の本は貴重なものだと思う。
 (萩原遼)
 ジャーナリストで元共同通信編集主幹、原寿雄(としお)が11月30日、92歳で死去。小和田次郎名の「デスク日記」など。「乙女の密告」で2010年に芥川賞を受けた赤染晶子が、9月18日に亡くなっていたことが12月に報じられた。42歳という若さだった。翻訳家の上田真而子(まにこ)が17日に死去、87歳。エンデの「はてしない物語」やH・P・リヒター「あのころはフリードリヒがいた」などの翻訳者だった人。アメリカの女性ミステリー作家のスー・グラフトンが28日に死去、77歳。「アリバイのA」から始まって、アルファベット順に書き続けたけど、Yで終わりになった。

 俳優の真屋順子が12月28日に亡くなっていたことが新年に報道された。75歳。多くのドラマに出たけれど、やっぱり「欽ちゃんのどこまでやるの?」の印象が圧倒的。「欽どこ」の写真を見ると、欽ちゃんが若いのにビックリする。俳優の深水三章(しんすい・さんしょう)が30日に死去、70歳。映画やドラマで活躍と出てるけど、もとは70年代初めの東京キッドブラザーズである。そこを脱退して、75年にミスタースリムカンパニーを立ち上げた。これが面白いとラジオの深夜放送で何度も聞いて、僕も何回か見に行った。太神楽芸人の海老一染之助が6日に死去、83歳。兄の染太郎とコンビで活躍した。
 (真屋順子)
 東芝元社長でウェスチングハウスを買収した時の社長、西田厚聡(あつとし)が8日に死去、73歳。ロータリーエンジン開発で知られるマツダの元社長、会長の山本健一が20日死去、95歳。ロータリーエンジンなんて、もうずいぶん昔という感じだ。人生山あり、谷あり。それは野村沙知代に言えるか。8日死去、82歳。野村監督夫人という以外にどういう活動をしたというべきかよく判らないけど、まあ名前と顔は誰もが知っていた。

 朝日新聞で野村沙知代の訃報の下に、丸浜江里子さんの訃報が載っていた。7日死去、66歳。「元公立中学教諭」ということになるけど、杉並をベースに歴史教育運動に尽力した。杉並で始まった原水爆禁止運動を研究して「原水禁署名運動の誕生」という大著を著した。
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ユーフォリアの時代に正気を保つために

2018年01月06日 23時51分55秒 | 社会(世の中の出来事)
 大晦日の夜に、見るともなく紅白歌合戦を見ていた。テレビは大体BGMとしてつけてることが多いが、この時も映画「希望のかなた」の感想を書いていた。終わりの方になって、安室奈美恵が特別出演で「HERO」を歌ってた。これはNHKのリオ五輪テーマ曲だった。そして、トリでゆずが「栄光の架橋」を歌った。こっちはアテネ五輪のテーマ曲だった。NHKはもう完全に「ロード・トゥ・ピョンチャン」なんだなあと思った。多分それは「TOKYO」まで続くんだろう。

 そして、それだけではない。スポーツの祭典としては、2018年はロシアでサッカーのワールドカップがある。2019年には日本でラグビーのワールドカップがある。そして今年は「明治150年」という官製祭典があるらしい。(100年ならともかく、150年をやるというのは「長州藩閥政権」だからだろう。)そして2019年には天皇の交代があることに決まった。まあ「象徴」が変わったとしても時代構造に関わりないはずだが、それでも「祝賀ムード」を高める人々がいっぱい出てくることは予想できる。

 このように国家的な祭典が連続することはかつてあっただろうか。国家的なお祭りムードの中、日本はスゴイ、いい国だと自画自賛するようなテレビ番組がますます増えるだろう。日本選手がオリンピックでメダルを取る。それで大騒ぎする。五輪は世界最高レベルのスポーツ大会だから、そこで高い成績を残すのは立派なことだ。でも選手がすごいのであって、五輪メダルで国力を測れるわけじゃない。メダル数で考えるなら、中国やアメリカが一番素晴らしい国だということになっちゃう。

 それでもやっぱり、「ニッポンはスゴイ」というムードが作られる。明治150年、アジアで初めて近代化に「成功」した「幸せな国家」であり、そういう国に住める国民も幸せだ。そういうムードが最高に高められるのは、おそらく天皇の代替わりの時ではないか。この人工的なユーフォリア(多幸感)の社会をどうやって正気で生き延びていけばいいんだろうか。

 これらの祭りの連続の中に、順番がどこに入るかはまだ判らないけれど、安倍首相は「2020年を新しい憲法で迎えよう」という「憲法改正祭り」を入れようとしている。「ていねいに」とか言ってるけど、今までそういう時は必ず「途中で打ち切る」ことを意味していた。自民党内や公明党との協議を延々とやってたら、いつまでかかっても終わらない。ましてや、改憲反対野党は無視して進むに決まっている。どこかで押し切って無理押ししてくるのである。憲法改正だけは違うはずだ、無理して国民投票で否決されたらオシマイなんだから、ムチャはしないだろうなんて甘く考えることはできない。

 例えば、憲法9条に自衛隊を明記するという。現にあるものを書き込むだけだなどと言えば、そうだそうだ、問題なんてないと言い始める人が必ず出てくる。現にあるものを書くだけなら、書かなくても同じはずだ。書くことで「現状以上」にできるからやるに決まってるんだけど、今までそんなことは言いそうにないと思ってた思わぬ人までが、いつの間にか「あっち側」に行っちゃってるのを今後たくさん見ることになる。幻滅して口をつぐむ人は、むしろそういう衝撃が大きいんだろうと思う。

 国家的多幸感の影で、他の重要なニュースが隠されてしまう。「見たくないものは見えないメガネ」を掛けてる人が増えてくる。今もNHKのニュースなんか、相当おかしい。年末に死刑執行が伝えられ、その中には再審請求中の死刑囚が含まれていた。(前回の執行もそうだった。)新聞の夕刊は一面で伝えているが、7時のNHKニュースは一言も報じなかった。子どもも見ている食事中には知らせない方がいいニュースだと判断されたのだろうか。

 選挙が終われば、さっそく「生活保護費削減」という方針になった。これは普通に考えて、ちょっとあり得ないほどの大幅削減である。生活保護世帯の状況によってさまざまなケースがあるようだが、当初は10%削減と言い、反発を受けて5%としたらしい。(多分最初に大きな数字を打ち出して、反対にも配慮しましたという数字が当初の1割減なんだと思う。)このニュースもテレビやネットのニュースじゃほとんど取り上げられない。一応新聞にはまだそれなりに出ているんだけど。

 「複眼」で社会を見る。世の中にいいことばかりはない。表があれば裏もある。割りきれないものが多い。それをただ一方向からのみ見ていると気が付かないことが出てくる。そういう努力を皆がしていかないと、お祭りムードの中で気づいてみれば、戦時下だったということになりかねない。そう言えば、こういう国家的祝賀ムードの年として、1940年もあった。「紀元は2600年」で、東京五輪が開かれるはずだった。札幌冬季五輪も。それが1939年の第二次世界大戦勃発で中止になったのである。
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大林宣彦監督の映画「花筐」

2018年01月05日 23時38分07秒 | 映画 (新作日本映画)
 大林宣彦監督の新作「花筐/HANAGATAMI」を見た。寒い一日だったけど、今日を逃すと見れないかもしれないと思った。一日に3回しか上映がなくて、なんと168分もある。近年の「この世の花 長岡花火物語」や「野のなななのか」も同じぐらい長い映画だった。合わせて戦争三部作とも位置付けられる。大林監督は1938年1月9日生まれだから、もうすぐちょうど80歳である。「花筐」は劇場映画第一作の「HOUSE」より前に脚本が出来ていたという。ガンにより余命宣告されながらも、執念で作り上げたような大林映画の集大成である。この映画をどう見るか。

 そもそも「花筐」とは作家檀一雄の1937年の短編小説である。「夕張胡亭塾景観」という小説が芥川賞候補になって、「花筐」も評判を呼んだ。しかし、1937年の日中戦争勃発で召集され、1940年まで軍役を務めた。最近文庫で再刊されたので読んでみたが、これだけじゃ短くて映画にならない。他の短編をいくつか合わせてシナリオにしている。小説では架空の町になってるが、生前に作家本人から佐賀県の唐津と言われていた。今回唐津市民の全面的協力を得て映画になった。

 この映画をどう見るかはけっこう難しいと思う。「尾道三部作」のような青春映画で有名になった大林監督だが、最近の2作品は各地の人々の協力を得ながら、シネマエッセイとも言えるような自由奔放な映像だった。それも戦争で亡くなった人々への鎮魂を目的とするような映像だった。大林監督の映画をずっとロードショーで見ていたのは20世紀のこと。もう最近は「なごり雪」も「22才の別れ」も見なかった。直近の2作品も最初は見なかったけど、評判を呼んでから見たのである。

 今回の「花筐」もその続きと言えるけど、青春映画の趣も戻っている。華麗なる映像美も懐かしい。魔術的な特撮や編集を思いっきり堪能できる。その映像にひたすら浸っていればいいとも言えるが、去りゆく青春への惜別若くして亡くなる人々への愛別離苦の思いが胸を撃つ。宣伝では反戦映画のようにうたっているが、それよりも青春映画であり、青春を圧殺するものへの満身の抗議という意味で時代の悲劇に向き合っている。痛ましいほどに心の傷を見つめている。

 ある大学予備校で三人の少年が知り合う。語り手である榊山俊彦(窪塚俊介)、鵜飼(満島真之介)、病弱の吉良(長塚圭史)である。これに道化役の阿蘇(柄本時生)もいる。映画の最初の出会いなどは原作通り。榊山の近くに親戚がいて、そこには従妹の江馬美那(矢作穂香=やはぎほのか)と義姉の圭子(常盤貴子)が住んでいる。美那は肺病を病み、義姉の圭子は夫が戦死したばかり。美那の友人であるあきね(山崎紘奈)は鵜飼の恋人、千歳(門脇麦)は吉良の親戚だった。彼らは屋外でピクニックをしたり、江間の家でパーティを開いたりして交友を深める。

 と言っても伝わらないだろう。原作にもある複雑な関係が、映画だと実際の俳優が演じて判りやすいとも言えるが、青春の移ろいゆく愛情と友情のもつれでけっこう複雑。結核と戦争による死の影が全編を覆い、愛と性のめざめを彩る。1937年の原作だと戦争体制を描くには不十分だが、映画では日米戦争開始頃までを描くので、時代の危機も深まっている。(ちょっと時間的な処理が判りにくい。)この後も男は戦地で、女は結核や空襲で何人も死んでゆく運命にあるのだろうなと感じさせる。

 そんな死へ向かう戦時下の青春を特撮など映像技術を駆使して描きたいというのが、この映画だろう。映像美や特撮の華麗なるテクニックに魅せられるだけで済まない、この映画の怖さがそこにある。バッハの無伴奏チェロ組曲第一番が流れ続けるのも、運命的な感動をもたらしている。俊彦と鵜飼が裸で馬に乗って海辺をゆくシーン、鵜飼が年上の圭子(赤いドレスが素晴らしい)と踊るシーン。千歳が病身の美那のヌード写真を撮るシーンなど、ずっと忘れられないような鮮烈なシーンが随所にある。唐津おくんち祭りが描かれるシーンも印象的。

 だけど、この映画を見て、これは何だろうとも思う。人はすべて去りゆくが、だからこそ若い人の人生を狂わせる戦争というものへの恐怖。単に平和を訴えるというに止まらない、戦争の足音が近づいているという恐怖の思いを感じるのである。と同時に、この映画はかつて作った福永武彦原作の「廃市」のような滅びゆくものへの憧れのようなものも感じる。「滅びの美」といったようなもの。濃厚な滅びへの指向もまた、映画の中の人々に流れている。その双方があって、複雑な映像世界になっている。
 (大林宣彦監督)
 なお、「花筐」の「」とは「かご」のことで、つまり花籠。だけど、世阿弥の能の題名でもある。ウィキペディアを見ると、皇位を継ぐ皇子が越前から都へ行くときに、最愛の女性に花筐を贈る。女は愛するあまり都まで皇子を追ってきて、紅葉狩りの時に近づこうとするが狂女とされ花筐を打ち落とされるといったストーリイだという。映画では常盤貴子がこの舞いを踊るシーンがあるが、狂女のイメージが背後に隠されていたのかと思い至る。

 ところで東京では現在は有楽町スバル座でのみ上映されている。日本初のロードショー映画館で、僕は1970年に「イージーライダー」が大ヒットして半年ぐらいやっていた時から行っている。今どきロードショー映画館で、全自由席、ネット販売無しという珍しい劇場である。椅子はよくなってるけど、映画館そのものは昔通りなんじゃないか。それはいいんだけど、前の方左右にある避難誘導灯がついたままなのは何とかならないだろうか。天井の照明が少しついてるのは我慢できるけど、避難誘導灯は普通消すと思うけど。
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「冒涜」の映画作家、ルイス・ブニュエル再見

2018年01月05日 21時12分18秒 |  〃 (世界の映画監督)
 渋谷のシアター・イメージフォーラムで、ルイス・ブニュエル監督の作品を特集上映している。数年前に四方田犬彦の大著「ルイス・ブニュエル」が出て(未読)、そういえばブニュエルの映画をしばらく見てないなあと思ったものだ。ベルイマンやブレッソンの映画だっていくつか見られることを思えば、ブニュエルが見られないのは映画史的な抜け落ちというべきだ。
 (ルイス・ブニュエル監督)
 今回は1962年の「皆殺しの天使」(カンヌ映画祭国際映画批評家連盟賞)を中心に、1961年の「ビリディアナ」(カンヌ映画祭パルムドール)、1965年の「砂漠のシモン」(ヴェネツィア映画祭審査員特別賞)と60年代前半の傑作群を上映している。(「砂漠のシモン」は48分の中編なので、ダリと共同監督した伝説の短編「アンダルシアの犬」を併映している。)「ビリディアナ」は珍しく64年に日本公開されているが、「皆殺しの天使」は1981年になって公開された。「砂漠のシモン」はDVDは出てたが、初めての劇場公開だと思う。「砂漠のシモン」は初めてだが、他は前に見ている。
  (皆殺しの天使)
 連続で見るのは疲れそうだが、一番効率的だから頑張ることにした。「皆殺しの天使」はオペラにもなったということだけど、究極の不条理劇である。メキシコで製作されている。あるお屋敷でパーティが開かれるが、夜も更ければ皆帰るはずが何故か誰も帰らない。帰らないで朝まで飲んだりしているのは勝手だが、朝になっても帰らない。気が付いてみれば、帰れなくなっている。何か物理的に閉じ込められたわけでもないのに、誰も部屋を出て行けない。そんなバカなという映画である。

 そんな環境に置かれると、果たして人間はどうなってしまうのか。これは何かの寓意か。皆が自分たちで思い込んだ迷路に迷い込んでいて、脱出できない。「核兵器」とか「原子力発電所」などは、みんなで一緒にエイヤっと止めてしまえば良さそうなもんだけど、抜け出せない部屋に入り込んだような状態と言えるかも。それにしても、ここでブニュエルが描く「人間性への悪意」はどうだろう。こんな設定の映画を作ったこと自体が、いかにブニュエルがトンデモ爺さんだったかを示している。

 ルイス・ブニュエル(1900~1983)は、スペインに生まれて「アンダルシアの犬」「黄金時代」「糧なき土地」など常に物議を呼ぶ映画を作って、独裁下のスペインでは映画を撮れなくなる。のちにメキシコ国籍を取り、多くの映画を監督した。1950年製作で、日本でも高く評価された「忘れられた人々」以外は低予算の不思議映画が多い。初期作品から、ブニュエルはシュールレアリスムと言われるが、リアリズム映画もあれば、B級テイストの娯楽作も多い。80年代にメキシコ時代の映画がたくさん上映されたが「幻影は市電に乗って旅をする」や「昇天峠」などメチャクチャ面白かった。

 「ビリディアナ」はそんなブニュエルがスペインに帰って作ってカンヌで大賞を取った。これは反フランコ側からは非難されたが、結局この映画は反カトリックと言われて教会の圧力でスペインでは上映禁止になった。もうすぐ修道女になるビリディアナは、院長に言われて疎遠な叔父に最後に会いに行く。そこで思いがけぬ叔父の行動、運命の変転に見舞われ、彼女の人生は変わってしまうのだが…。その内容は書かないことにするが、この背徳、この悪意は今も色あせない。
 (ビリディアナ)
 もっとも現在のスペインには、ペドロ・アルモドバルという超ド級の冒涜監督がいるから、冒涜度は多少失せた気がする。でも、完成度の高さは並ではない。聖女が堕ちていく様を見つめるブニュエルの目は冷徹である。その後、彼はフランスでジャンヌ・モロー主演の「小間使いの日記」、カトリーヌ・ドヌーヴの「昼顔」「哀しみのトリスターナ」など冒涜映画の名作を作っていく。カトリーヌ・ドヌーヴのような美女を相手に、よくもここまで悪意ある映画を作れたものだ。でも、それが面白い。

 「砂漠のシモン」は製作が中途で中断したともいうが、聖人とあがめられ荒野で修行を続けるシモンに悪魔が試練を仕掛ける。このように、ブニュエルにはキリスト教(の教会組織)に対する反感や批判がよく描かれる。それもスペインの特徴かもしれないが、僕にはこの映画はあまり判らなかった。70年代に作って評価も高い「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」や「自由の幻想」などが素晴らしかった。映画は何でも描けるということを知った気がする。今回見直してみると、映画手法そのものは案外普通で、細かいカット割りなど昔風のきちんとした映画に見えてくる。テーマは飛んでいたけど、方法は案外異端と言えないのかもしれない。僕は昔から「ビリディアナ」が最大傑作レベルだと思っている。
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もう一度行きたい日本の宿

2018年01月04日 20時41分43秒 |  〃 (温泉)
 映画編に続いて、もう一度行きたい日本の宿。といっても、外国旅行はほとんどしてないので、日本編だけ。外国旅行は教育委員会に一月前に届け出て許可を得るのが面倒くさかった。それに日本史教員なのに、日本でも行ってないところがいっぱいあるから、国内旅行でいいやと思ってしまう。ヒマとお金が許すなら、国内外を問わずあちこちずっと彷徨っていたい方だけど、なかなかねえ。

 もう一度行ってみたい場所という取り上げ方もあるんだけど、旅館やホテルにしぼった方が書きやすい。僕が行ってみたいのは、まずは四万温泉積善館。ここは高い部屋もあるが、湯治で利用できる安い「本館」も残っている。だから行く気になればすぐ行けるんだけど、四万温泉はお湯が素晴らしいから、他の宿も泊ってみたいと思って他へ行ってるわけ。積善館は料理もおいしく、全体の雰囲気もとてもいいけど、なんといっても元禄風呂が素晴らしい。積善館には他にもいっぱい風呂があるが、ここが一番いい。全国的にもベストレベルのお風呂だと思う。
 (積善館の元禄風呂)
 次が赤倉観光ホテル。かけ流し温泉のあるクラシックホテルである。由緒あるホテルが大好きだが、温泉があるのは箱根の富士屋ホテルや日光の中禅寺金谷ホテル、九州の雲仙観光ホテルなど。明治からあるホテルもあるが、1930年代の国際観光振興策として作られたのが、赤倉、雲仙、中禅寺の他、蒲郡クラシックホテルや琵琶湖ホテルなどだ。赤倉観光ホテルは温泉街から少し離れた山腹に瀟洒な建物が立っている。一度行ってあまりに素晴らしくてもう一回行った。改装され、前以上に高くなってしまったけど、是非もう一度行ってみたい宿。料理もおいしく、またフルーツケーキが絶品。これだけでも食べに行く価値がある。個々の温泉も素晴らしい。ぜいたくな旅を味わえるホテル。
 (赤倉観光ホテル)
 秘湯系ではいくつもあるから選びにくい。もう一度行ってみたいという観点からは、長野県の中房温泉。ここも2度行ってるけど、まだまだ何度も行きたいところ。車がないと行きにくい。安曇野から延々と登って行って、突き当りにある。北アルプスの燕(つばくろ)岳の登山口にあるが、登山客以外の人の方が多い。暑い夏でも、ここまで来て素晴らしい泉質の風呂で汗を流した後で、冷水で冷やされた胡瓜が置いてあるのを味噌つけて頂く。至福だなあ。裏山では卵などを埋めれば茹で卵を作れる。夜になれば、晴れていれば星空がすごい。驚くような星空が見られる。
 (中房温泉)
 関東周辺で泉質がいいところはいくらもあるが、僕が何度も行った東北や北海道ではどこになるだろう。北海道では支笏湖畔の丸駒温泉や道南の銀婚湯温泉。場所であげれば、利尻島礼文島の美しさは筆舌に尽くしがたいけど、宿という意味ではなあ。東北では有名な鶴の湯や、宮城蔵王の峩々温泉、藤沢周平ゆかりの宿である山形県湯田川温泉の九兵衛旅館、もう無数に思い出すんだけど、ここでは八甲田の蔦温泉を挙げておく。ここは登山や秘湯めぐりの初期に行ったので、もう30年以上行ってない。ドライブで通り過ぎたことはあるけど。八甲田周辺は酸ヶ湯など名湯が多いが、蔦温泉の風呂は下からブクブク湧いている素晴らしさ。周辺のブナ林も素晴らしい。沼めぐりのハイキングも楽しい。檀一雄「火宅の人」で火宅状態になっちゃった因縁の宿でもある。
 (蔦温泉の風呂)
 西日本の方でもいくつか。車では遠くなるので、あまり行ってないし、行くときはつい普通の旅館に泊まることも多い。九州では大分や佐賀、長崎を知らないのは痛い。四国では徳島の祖谷(いや)温泉。中国地方もあまり知らない。となると、南紀で選ぶことになる。ここなら何度か行ってる。熊野本宮に近い湯の峰温泉あづまや。龍神温泉もいいけど、お湯が共同管理。あづまやは泉質も客対応も素晴らしい。実は10年ぐらい前に行ったときは、台風にあたってしまった。前日に奈良の上湯温泉神湯荘に泊った夜は怖いぐらいだった。翌日は新宮へ行く国道が熊野川の氾濫で通行不可。湯の峰泊にしていて良かった。でも名物の壷湯が川水に浸かっていた。是非もう一回湯の峰温泉に行ってあづまやをゆっくり味わいたい。世界遺産の熊野古道もちゃんと歩いてみたい。
 (湯の峰温泉あづまや)
 さて、他に「泊りたくても廃業してしまった宿」というものもある。いくつか挙げてみると、鹿児島の桜島にあった「古里観光ホテル」。龍神露天風呂という素晴らしいお風呂があったんだけど、残念ながら営業終了。温泉じゃないけど、彦根城の敷地内にある庭園、楽々園で泊ったことがある。昔風の行火(あんか)が出てきてビックリした。料理も素晴らしかった。何しろ歴史的な所縁がある場所というのが素晴らしい思い出。秘湯系の宿もどんどんなくなっているけれど、群馬県湯の小屋温泉、葉留日野山荘はお湯も良かったけど、布川事件の桜井昌司さんのブログによく出てきた。「9条守れ」の署名用紙が置いてあった宿。秘湯を守る会に入ってたが、いつの間にか止めてしまった。

 北海道の養老牛温泉藤や旅館ももうない。ここは友人の平野夫妻と北海道ドライブをしたときに一緒に泊ったところ。山田洋次監督の「遥かなる山の呼び声」などのロケ地に近く、山田組がよく使っていた。だから倍賞千恵子さんもよく来たところで、僕が泊まった日も倍賞千恵子夫妻の名前が書いてあった。(見てないけど。)その旅行で泊った幌加温泉も今は宿泊不可。ここはワイルドさでは一番かもしれない。すごいと言えば、鳴子温泉近くの「元蛇の湯」はすごい宿だった。普通の宿だと思って泊ったら、女将が整体にこっている宿で、体のリズムから夕食は5時がいいと言って、自然食っぽい料理が5時に出てきた。普通は早くても6時かと思ってたから、お風呂でゆっくりできない。朝は女将の声で6時に起こされ、太極拳をやるという宿。でもお湯はいいし、僕の趣向に会わないわけではない。どうなったかと、その後近くを通った時にわざわざ寄ったら、一般営業はやめてどこかの福祉施設になっていたから宿泊はできない。
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もう一度見たい映画・外国編

2018年01月03日 22時54分44秒 |  〃  (旧作外国映画)
 もう一度見てみたい外国映画編。外国映画に関しては、日本上映権という期限があるので、昔の映画は基本的に上映できないことが多い。最近は「午前10時の映画祭」でずいぶん昔の映画をリバイバルしてくれたが、それでも70年代、80年代の名作の多くは見られない。とは言うものの、1975年のベストテンに入ってるアルトマンの「ナッシュビル」やキューブリックの「バリー・リンドン」など、二度と見られないと思ってた映画をやってくれたりすることがある。待ってるといろいろある。

 昔の映画が突然まとまって上映されることもあるので注意してないといけない。ただ、それは配給会社がちゃんとしてないと出来ない。民間会社がやってるんだからやむを得ないけど、最近は倒産したり廃業する会社もある。日本で絶大な(過大な?)評価を受けるクリント・イーストウッド監督は、時々特集上映が行われるが、アカデミー作品賞の「ミリオンダラー・ベイビー」だけ上映できない。配給会社が倒産したから。僕の好きな「ブロークバック・マウンテン」も同様。世界の名画をいっぱい公開してくれたフランス映画社も数年前に倒産した。そのフィルムはどうなるんだろう?

 僕の若いころは、外国映画と言えばアメリカ、時々フランスイタリアイギリスぐらいで、その他の国々の映画は珍しかった。ドイツやスペインの映画はほとんどなかった。(そもそも、ドイツは東西分裂、スペインはフランコ独裁だったんだから、映画どころではない。)もちろん、中国や韓国の映画が一般公開されることはなかった。(自主上映みたいな形で公開されることは時々あったが。)ということで、もう一度見たいなあと思う映画も、大体はアメリカやヨーロッパの映画が多い。

 僕が最初に挙げたいのはペルー映画の「みどりの壁」。ペルーはラテンアメリカの中でも映画が盛んとは言えない。そんな国の映画がなぜか1970年に公開された。大阪万博時に国際映画祭も行われて、スウェーデンの「私は好奇心の強い女」、フェリーニの「サテリコン」などが人気の中、ひっそり上映された「みどりの壁」。それが感動的だと評判を呼び、正式に公開されたのである。ジャングルの開拓村に住む若い夫婦、子どもが毒蛇にかまれて…という大自然と貧困、家族の結びつきが印象的な映画。監督のアルマンド・ロブレス・ゴドイは、75年に幻想的な「砂のミラージュ」も公開された。見てみたいが、そもそも上映素材がちゃんとあるのか。

 アメリカ映画では、村上春樹訳で翻訳された「卵を産めない郭公」の映画化「くちづけ」みたいに、大傑作でもないけど若いころに見たから思い出深い映画が誰にでもあると思う。僕が好きなロバート・マリガン監督「おもいでの夏」は甘美なテーマ曲とともに忘れられない。原題は「Summer of '42」で、戦時下の避暑地で夫を戦地に送っている人妻に憧れてしまった少年を描く。大西洋に面した海辺の素晴らしさ、年上の美女に憧れてしまう少年…。ミシェル・ルグランの音楽がアカデミー賞を受賞した。口ずさめる人もきっと多いと思う。ヒロインはジェニファー・オニールという人。

 音楽が忘れられないと言えば、マーク・ライデル監督の「ローズ」。紅白で島津亜矢が英語で歌ってたけど、主題歌だけ残ってる。僕はぜひこの映画を大画面でもう一度見てみたい。ジャニス・ジョプリンにインスパイアされた物語で、主人公をベット・ミドラーが演じた。1980年に日本公開されたとき、たしか2回は見ている。ベトナム戦争は終わっていたけど、ジャニスの破滅的な生き方が身近な感じがした時代だった。すごく好きな人が多かったのに、リバイバルされないのが不思議。

 ヨーロッパの映画では、今は忘れられた感がするコスタ=ガヴラスの映画をまず挙げたい。特に70年にアカデミー外国語映画賞を得た「Z」は、日本でも大きな評判となった。大歌手イヴ・モンタンを主人公にした三部作の最初で、ギリシャの独裁政治に抵抗する政治家を描いた。すごく面白いと思うが、背景の政治事情が違ってしまった。次の「告白」は50年代のチェコスロヴァキアの政治裁判を描く。スターリン主義の実態、ソ連の東欧支配の実態を僕はこの映画で教えられた。最後がウルグアイの左翼ゲリラのアメリカ人誘拐事件を描く「戒厳令」。政治的なテーマをスリリングに描いた傑作群だが、だからこそ忘れられたかなと思う。もう一回見るのは難しいかもしれない。

 他にぜひ見たいのは、ユルマズ・ギュネイ監督作品。トルコのクルド人で、拘禁中に指示を出して作った「」がカンヌ映画祭で大賞を受けた。その後、90年前後に「群れ」や「」などの映画が日本でも上映されて高い評価を受けた。非常にみずみずしい感性で抵抗の精神を世界に示したが、1984年に47歳で亡くなり、日本でも最初の公開以来、ほとんど上映の機会がない。

 イタリアでもフェリーニやヴィスコンティは今も上映されるけど、政治的な映画を多く作ったフランチェスコ・ロージは日本でほとんど忘れられている。「黒い砂漠」や「ローマに散る」など、すごいサスペンスが忘れられない。「キリストはエボリで止まった」(岩波文庫)を映画化した「エボリ」は、ファシズム政権下にイタリア南部の貧しい土地に流刑された男を描き、非常に感動的だった。他にはサム・ペキンパーも何故か「わらの犬」「ジュニア・ボナー」が上映されない。ウォーレン・ビーティがロシア革命を描いた「レッズ」もまた見たい。フランコ・ゼッフィレリ監督がアッシジの聖フランチェスコを描いた「ブラザー・サン、シスター・ムーン」にはものすごく感動して何度も見た。十字軍時代を描いて、ベトナム戦争で傷ついた世代の物語になっていた。物質的な豊かさではなく、精神性を大切にしたいという思いに共感した。大スクリーンで若い人にも見て欲しいがm自分でもDVDを持ってる。テイタム・オニールが可愛らしかった「ペーパー・ムーン」も同様。

 1971年にATG系で上映されベストテンに入った「真夜中のパーティー」もものすごい緊迫感に引き込まれれた。舞台劇で今も時々上演されるが、同性愛をテーマにしている。僕が初めて見たセクシャリティをめぐる映画だと思う。ダスティン・ホフマンとミア・ファローが主演した「ジョンとメリー」は、僕が初めて自分で見に行ったロードショー映画だった。日比谷のみゆき座で、今とは違って芸術座(今のシアター・クリエ)の地下にあった。
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もう一度見たい映画・日本編

2018年01月02日 22時42分11秒 |  〃  (旧作日本映画)
 新年早々から暗い話題も何だから、日本や世界の情勢はおいといて少し思い出話を書いてみたいなと思う。映画の記事はよく書いてるけど、当然ながら最近見た映画について書くことが多い。あるいはそれに連動して、監督について書いたリ。だから、数年前に生誕110年だった小津安二郎のことは書いたけど、溝口健二黒澤明の作品についてちゃんと書いたことはないだろう。

 でも溝口や黒澤の作品も、いつもどこかで上映されている。待ってれば大体どこかでやってくれる。というか、大体有名な作品はほとんどDVDになってる。今じゃ家でDVDを見てるのも、映画鑑賞にしてしまうかもしれない。でも僕は昔の映画に関しては劇場で見たいと思う。ビデオやDVDで細かく調べて、何か隠されたメッセージを見つける人もいるけど、そういうことにはほとんど関心がない。昔は映画館で見たら二度と見られなかった。もちろん2回、3回と同じ映画に通えば別だし、ヒット作は名画座で何度もやっていた。それでも映画館で見る以外には見る手段がなかった。

 ところが昔の日本映画は今はかなり劇場で見ることができる。「もう一度見たい映画」は何本もあるけど、そのかなりのものはこの数年で実際に見てしまった。大手の映画会社で作られた作品は、基本的にはフィルムが残っているから映画館がその気になれば上映できる。(でも上映不能なほど素材不良なフィルムも多いし、会社で廃棄してしまった映画も多い。)かつて銀幕で活躍したスターが相次いで亡くなった時など、いくつかある名画座で特集上映が行われた。高倉健とか原節子などが出ている映画などは、少し待ってれば(東京近辺では)見ることができるんじゃないかと思う。

 実際に過去のベストテンを見てみると、ちょうど50年前の1968年では1位の「神々の深き欲望」、続けて「肉弾」「絞死刑」「黒部の太陽」「首」「初恋地獄篇」「日本の青春」「燃えつきた地図」「人生劇場・飛車角と吉良常」「吹けば飛ぶよな男だが」だけど、まあ5年ぐらいすれば大体見られそうな気がする。メンドーだから、今は細かく説明しないけど、監督特集や俳優特集でやってくれる映画が多い。「黒部の太陽」だけは、前はソフト化も名画座上映も不可だったけど、最近はできるようになった。(もっとも10位以下の「強虫女と弱虫男」「青春」「ドレイ工場」「祇園祭」などはほとんど見られない。)

 1958年の「楢山節考」「隠し砦の三悪人」「彼岸花」「炎上」なんかも同様で、50年代の映画はむしろ10位以下も上映の機会が多い。一方で、80年代、90年代の映画の方があまり上映されない。ベストテンで見ると、文芸・社会派作品が多くなるけど、娯楽作品を見ても同様で、東映時代劇任侠映画日活アクション大映の時代劇(座頭市や眠狂四郎など)なんかも上映機会が多い。僕の大好きな日活の「拳銃(コルト)は俺のパスポート」や東映の「0課の女 赤い手錠(ワッパ)」なんかも、新年早々の新文芸座のアクション映画特集の上映作品に入っている。

 ということで前置きが長くなったけど、しばらく劇場上映の記憶がなくて、僕が好きな映画を探してみたい。まず最初に「青幻記」。1973年のベストテンで3位になってる映画で、当時から僕は非常に好きだった。一色次郎原作、成島東一郎監督で、今じゃどっちも知られていないだろう。成島は昔の日本映画ファンなら誰でも知ってた撮影監督で、「秋津温泉」「古都」「心中天網島」「儀式」など忘れがたい映像を残した。この「青幻記」が初めての監督作品。(もう一本「オイディプスの刃」がある。)沖永良部島を舞台に、母と子の悲しい情愛を美しく描き出して忘れがたい。田村高廣、賀来敦子主演。どこかで阪妻と田村兄弟特集でもやってくれればいいんだけど。
 (青幻記)
 次には「あらかじめ失われた恋人たちよ」で、これはDVDが入手しやすいようだが、しばらく見てないので。1971年のATG映画だが、同年のATG映画にはベストワンの「儀式」の他、「書を捨てよ町へ出よう」「曼陀羅」「告白的女優論」「日本の悪霊」「修羅」など問題作、話題作のオンパレードで、この映画も忘れられてしまう。時々どこかでATG映画特集をやると入っていることもある。この映画は田原総一郎清水邦夫の共同脚本、監督という、今からみると驚く顔ぶれ。主演も石橋蓮司加納典明桃井かおりという驚くべきキャスト。桃井かおりは新人だったし、加納はもちろん写真家である。話は聾唖のカップルと一人のチンピラが北陸の海岸を彷徨いゆくさまをモノクロで描く。つのだひろの「メリー・ジェーン」がテーマ曲になっていて、それも印象深い。忘れられない映画。
 (あらかじめ失われた恋人たちよ)
 次は僕の好きな名作で、村野鐵太郎監督の「月山」。岩波ホールで上映されたと思うが、その後あまり上映機会がない。そもそも森敦の原作(芥川賞)が好きで、月山(がっさん)という山も好き。孤独な精神性が忘れられず、僕はとても好きだった。村野監督は大映で「犬」シリーズや「男一匹ガキ大将」など多くの娯楽映画を作った後で、ATGで「鬼の詩」、岩波ホールで公開された「遠野物語」「国東物語」などを作った。だんだんつまらなくなった感じもあるけど、僕はこの「月山」だけは名作中の名作だと思う。どこかで芥川賞映画特集でもないかな。村野監督も再評価するべき。

 他にどんな映画があるだろうか。昔からもう一度見たいとずっと思っていた芦川いづみ主演の「あいつと私」とか「あじさいの歌」なんか、最近になって何度も見てしまった。藤田敏八の「赤い鳥逃げた?」や神代辰巳の「宵待草」なんかも複数回見た。(どうも同時代に見た時ほどの感激はない感じだったが。)鈴木清順や加藤泰などの作品も何度も見る機会があるから最近はパス。

 そんな中で公開以来大スクリーンで見てないのは、ジブリ映画じゃないか。ソフト化され、テレビでもよくやるけど、なんで映画館でリバイバルしないのか。ジブリ映画専門館があってもおかしくないと思うんだけど。英語だけじゃない各国語字幕版を付ければ外国人観客もいっぱい来るだろう。僕が特に大スクリーンで見直したいなと思うのは、何といっても「もののけ姫」。「紅の豚」や「魔女の宅急便」、それに「千と千尋の神隠し」も見直してみたいけど、なんといってもまずは「もののけ姫」かな。

 それと原田真人監督の初期作品。今みたいに大作を任される前の、1997年の「バウンス ko GALS」とか、1995年の「KAMIKAZE TAXI」。後者は原田監督の最高傑作じゃないかと思う。でも、なんとも変な「バウンス ko GALS」って映画、公開が小規模だったから見てない人が多いと思うし、その後もほとんど上映されない。役所広司がカラオケで「インターナショナル」をギャルに向かって歌う傑作シーンが忘れがたい。もう一本、磯村一路監督「がんばっていきまっしょい」。松山東高校の女子ボート部を描く青春映画。田中麗奈が圧倒的に素晴らしい。1998年のベストテン3位になってるけど、全然上映されない。DVDも中古で高くなっている。これこそ多くの人に見てもらいたい映画。
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