神奈川県の黒岩知事の発言を2回目に紹介したけど、この発言については次の9月3日の会見で「釈明・補足」をしている。(9月4日東京新聞朝刊。)それによると「検閲をして、自分の気に入らないものを全部、表現させないという思いは全くない。言葉が足りなかった。率直におわびしたい。」とある。ただし続けて「慰安婦像展示のために公金を出すのは県民が絶対に許してくれないと思う。」「私が論じたのは慰安婦問題。表現の自由の問題ではない。」と語ったと出ている。
つまり、ここで判るのは「表現の不自由展・その後」の中止問題は「慰安婦問題」をどう考えるかの問題と密接に関連しているということだ。そういう見方が正しいというのではなく、反対派はそのように認識しているということだ。それはこの「少女像」が日本大使館前に設置されたり、その後あちこちに設置されてきた経過を知っていて、「反日運動のための政治的メッセージ」と認識しているからだろう。しかし、そのような「設置運動」を別にすれば、この像を「政治的メッセージ」のみの作品と見るのは難しいと考える。僕は写真でしか見ていないけど、どうしてそこまで熱く反応するのだろうか。

ここで僕は「もう一つの少女像」の写真を載せておきたい。この少女像はなんだか判るだろうか。これは有名なもので、広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」である。1958年5月5日に完成し、作者は菊池一雄という人。どういう人かは判らない。1955年11月8日に白血病で亡くなった佐々木禎子(ささき・さだこ)がモデルになっている。12歳9ヶ月で亡くなった少女を悼んで、広島の中学生から碑建設の声が上がり、広島の小中高を初め全国の学校から寄付金を集めて作られた。
(「原爆の子の像」全体像)
この像はシアトルの平和公園にもあるとウィキペディアに出ている。しかし他のどこにもない。佐々木禎子は千羽鶴を折る運動のきっかけになった少女で、平和公園の像の前に千羽鶴を納めた人もいるだろう。広島に行くまでもなく各都道府県にあったらいい気がするが、何しろ50年代のことだ。さらに全世界、特に核保有国の首都に設置しようなんて発想は誰にも浮かばなかっただろう。海外旅行を普通の人が出来る時代じゃなかった。今からでも世界中で設置運動を起こしたい気もするが、アメリカじゃあ「反米運動」と言われてしまうかもしれない。しかし、そう思われたら多くの日本人が傷つくだろう。
いま「慰安婦問題」を全体的に論じる準備がない。この問題もずいぶん研究が進化していて、新しい本がたくさん出ている。僕も全部ではないがいくつかは持っている。もちろん読む気で買ったわけだが、年齢とともに面倒感が増してきた。昔は「授業に役立てる」(誤解されないように勉強する意味も含めて)という意識で読んでたわけだろう。今は自分の知的好奇心だけだから、どうしても後回しになってしまう。しかし、慰安婦問題の全体構造を理解しないと何も言えないわけでもないと思う。
「慰安婦問題」に関するいわゆる「吉田証言」の記事を朝日新聞が取り消して以来、そのことを鬼の首を取ったように得々と語る人がけっこういる。いかに「不勉強」かを示すものだが、デマゴギーをまき散らす人はいつもいる。「吉田証言」というのは、済州島から少女を慰安婦にするために強制連行したという吉田清治氏のかつての発言である。朝日だけでなく各紙が報じている。しかし、吉田氏は軍人でも警官でもなかった。公務員でさえない。下関の労務報国会としてということだった。僕も吉田氏の記事を切り抜いて、探せば多分今も持っていると思うが、授業で使ったことはない。慰安婦問題を取り上げる時でも、特に使う必要はないのである。
なんだか「世界は吉田氏の証言で慰安婦問題を知った」かのように語る人がいる。多分当時全然関心がなかったんだろう。あれだけ大問題だっただから、それなりの地位にいる人はちゃんと理解しているかと思えば、そんなことはないのである。当時も「吉田証言」などは「そういう人もいる」程度の記事だったと思う。(ただし「良心的な奇特な日本人がいる」というニュアンスではあっただろう。)「強制連行」だったら、インドネシアなどではっきりした証拠があるケースがあるのである。
問題の「少女像」が「強制連行される少女像」だったら、それは確かに「朝鮮半島ではそのようなケースはなかったんじゃないか」という疑問を呼ぶだろう。僕も恐らく「直接的な強制連行」は朝鮮ではなかったんだろうと思っている。当時の朝鮮は植民地であって、「内地」ではないとしても軍政下にある占領地ではない。しかし、「欺瞞」「詐欺」に当たるようなケースは、証言を見ても、あるいは常識で考えても多かっただろう。何度も書いているが、日本政府は自分の意思で「北朝鮮」に渡った後で帰国できない状態が続いている人も「拉致被害者」と認定している。ダブルスタンダードになってはいけない。
(少女像)
今回の少女像は、僕には「イノセンス」(無垢)に過ぎる感じがする。現実に証言を聞いた元慰安婦の人々は、様々な苦難を超えてきたサバイバーだから、もっと「ヴァイタリティ」を感じたものだ。どんな人間も生まれたときにさかのぼれば皆がイノセントなんだから、まあ、それを本質として描く意味もあるかもしれない。この少女像は以前書いた「同化」「異化」という概念で言えば、「同化」である。見た者に鋭く突き刺さる純粋芸術(ファインアート)ではなく、韓国ナショナリズムに受容されやすい「大衆芸術」である。ハチ公初め街頭の彫像も大方同じである。
そのような理解の下では、この少女像を単なる「政治的メッセージ」だととらえる人は、表層の政治運動に引きずられすぎだと思う。この少女像は現実の苦難を象徴的に表したもので、「反日」ではなく、「戦時性暴力」の象徴だという作者のとらえ方でいいと考える。もちろん作家が込めた意味が、現実世界で変容していくことはよくあることだ。だからこそ、議論が大切なのである。この少女像で「おとしめられた」などと平然と語る「ヤワな自我」にも困ったもんだと思う。
アメリカ人が「原爆」を、中国人が「文化大革命」や「天安門事件」を直視できないように、日本人の中に自国の暗部を直視出来ない人がいる。それは世界中で「よくあること」だろうが。(なお、一応書いておくけど、少女像が「反日運動のメッセージ」だとしても、だから排除するべきだとはならない。)
つまり、ここで判るのは「表現の不自由展・その後」の中止問題は「慰安婦問題」をどう考えるかの問題と密接に関連しているということだ。そういう見方が正しいというのではなく、反対派はそのように認識しているということだ。それはこの「少女像」が日本大使館前に設置されたり、その後あちこちに設置されてきた経過を知っていて、「反日運動のための政治的メッセージ」と認識しているからだろう。しかし、そのような「設置運動」を別にすれば、この像を「政治的メッセージ」のみの作品と見るのは難しいと考える。僕は写真でしか見ていないけど、どうしてそこまで熱く反応するのだろうか。

ここで僕は「もう一つの少女像」の写真を載せておきたい。この少女像はなんだか判るだろうか。これは有名なもので、広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」である。1958年5月5日に完成し、作者は菊池一雄という人。どういう人かは判らない。1955年11月8日に白血病で亡くなった佐々木禎子(ささき・さだこ)がモデルになっている。12歳9ヶ月で亡くなった少女を悼んで、広島の中学生から碑建設の声が上がり、広島の小中高を初め全国の学校から寄付金を集めて作られた。

この像はシアトルの平和公園にもあるとウィキペディアに出ている。しかし他のどこにもない。佐々木禎子は千羽鶴を折る運動のきっかけになった少女で、平和公園の像の前に千羽鶴を納めた人もいるだろう。広島に行くまでもなく各都道府県にあったらいい気がするが、何しろ50年代のことだ。さらに全世界、特に核保有国の首都に設置しようなんて発想は誰にも浮かばなかっただろう。海外旅行を普通の人が出来る時代じゃなかった。今からでも世界中で設置運動を起こしたい気もするが、アメリカじゃあ「反米運動」と言われてしまうかもしれない。しかし、そう思われたら多くの日本人が傷つくだろう。
いま「慰安婦問題」を全体的に論じる準備がない。この問題もずいぶん研究が進化していて、新しい本がたくさん出ている。僕も全部ではないがいくつかは持っている。もちろん読む気で買ったわけだが、年齢とともに面倒感が増してきた。昔は「授業に役立てる」(誤解されないように勉強する意味も含めて)という意識で読んでたわけだろう。今は自分の知的好奇心だけだから、どうしても後回しになってしまう。しかし、慰安婦問題の全体構造を理解しないと何も言えないわけでもないと思う。
「慰安婦問題」に関するいわゆる「吉田証言」の記事を朝日新聞が取り消して以来、そのことを鬼の首を取ったように得々と語る人がけっこういる。いかに「不勉強」かを示すものだが、デマゴギーをまき散らす人はいつもいる。「吉田証言」というのは、済州島から少女を慰安婦にするために強制連行したという吉田清治氏のかつての発言である。朝日だけでなく各紙が報じている。しかし、吉田氏は軍人でも警官でもなかった。公務員でさえない。下関の労務報国会としてということだった。僕も吉田氏の記事を切り抜いて、探せば多分今も持っていると思うが、授業で使ったことはない。慰安婦問題を取り上げる時でも、特に使う必要はないのである。
なんだか「世界は吉田氏の証言で慰安婦問題を知った」かのように語る人がいる。多分当時全然関心がなかったんだろう。あれだけ大問題だっただから、それなりの地位にいる人はちゃんと理解しているかと思えば、そんなことはないのである。当時も「吉田証言」などは「そういう人もいる」程度の記事だったと思う。(ただし「良心的な奇特な日本人がいる」というニュアンスではあっただろう。)「強制連行」だったら、インドネシアなどではっきりした証拠があるケースがあるのである。
問題の「少女像」が「強制連行される少女像」だったら、それは確かに「朝鮮半島ではそのようなケースはなかったんじゃないか」という疑問を呼ぶだろう。僕も恐らく「直接的な強制連行」は朝鮮ではなかったんだろうと思っている。当時の朝鮮は植民地であって、「内地」ではないとしても軍政下にある占領地ではない。しかし、「欺瞞」「詐欺」に当たるようなケースは、証言を見ても、あるいは常識で考えても多かっただろう。何度も書いているが、日本政府は自分の意思で「北朝鮮」に渡った後で帰国できない状態が続いている人も「拉致被害者」と認定している。ダブルスタンダードになってはいけない。

今回の少女像は、僕には「イノセンス」(無垢)に過ぎる感じがする。現実に証言を聞いた元慰安婦の人々は、様々な苦難を超えてきたサバイバーだから、もっと「ヴァイタリティ」を感じたものだ。どんな人間も生まれたときにさかのぼれば皆がイノセントなんだから、まあ、それを本質として描く意味もあるかもしれない。この少女像は以前書いた「同化」「異化」という概念で言えば、「同化」である。見た者に鋭く突き刺さる純粋芸術(ファインアート)ではなく、韓国ナショナリズムに受容されやすい「大衆芸術」である。ハチ公初め街頭の彫像も大方同じである。
そのような理解の下では、この少女像を単なる「政治的メッセージ」だととらえる人は、表層の政治運動に引きずられすぎだと思う。この少女像は現実の苦難を象徴的に表したもので、「反日」ではなく、「戦時性暴力」の象徴だという作者のとらえ方でいいと考える。もちろん作家が込めた意味が、現実世界で変容していくことはよくあることだ。だからこそ、議論が大切なのである。この少女像で「おとしめられた」などと平然と語る「ヤワな自我」にも困ったもんだと思う。
アメリカ人が「原爆」を、中国人が「文化大革命」や「天安門事件」を直視できないように、日本人の中に自国の暗部を直視出来ない人がいる。それは世界中で「よくあること」だろうが。(なお、一応書いておくけど、少女像が「反日運動のメッセージ」だとしても、だから排除するべきだとはならない。)