サラリーマン時代、道で知り合いにばったり会うと必ずと言ってよいほど「今度飲みましょう」となる。でも実現するのは稀。連絡先を確認することも無いし知ってても実現するのは稀だった。というより無かったかも。
俺が年賀状出さなくなって何年も経つけどまだ年賀状をくれる人がいる。そのたびにメールで礼を言うんだけど、「今度会いましょう」と書いてあった友人には何の返事もしなかった。「今年は会いたいね」なんて書くと実現しないと思ったからだ。というより嘘つき感満載。今までにも何度もそう書いて実現したのは1度だけ。
そして今回会うことが出来た。年賀状の返事を書かなかったのはカクカクシカジカと言い訳した。後はただのお喋り宴会。ちと食べ過ぎたかなと後悔。毎年正月に体重が増える。今年はそれを回避出来たのに1ヶ月遅れでリバウンド中。その日の晩は泊まり、翌朝、その人の出勤と共に家を出た。
今回は欲張って更にもう1人と会う事にしてた。今まで会えなかった理由の1つがその人が忙しかったため。久々に連絡したら健康のことで仕事を辞めちゃったと言うから会うことが出来た。その人とは家ではなく立川駅で合流。立川駅によく行ったのは子供の頃。JR、当時は国鉄なんだけど、その初乗り運賃が5円の頃だ。その後何度か行ったはずではあるけど立川に用事は無いので記憶は殆ど無い。なので60年ぶりと言っても大袈裟ではない。
当然駅周辺は変わった。当時立川駅に行く時は伊勢丹に買い物に行くためだった。今はデパートで買い物なんてしない。せいぜいデパ地下で惣菜か酒を買うくらいで地上階とは無縁。その伊勢丹はまだ存在した。辺りでは一番高かったと思われる地上5階だった建物はすっかり変わって大きくなったけど今は周囲に比べて高いということはなかった。
北口の赤いアーチ
少し早目に先に着いてた俺はグルッと一回りし、その後赤いアーチがある南口で待ち合わせようと電話。ところが直ぐに来るはずなのに中々来ない。そのうち北口どうたらという営業音声が聞こえてようやく間違ったことを言ったのに気がついて電話。ケータイ電話が無ければ昨日は会えなくて残念だったねになったかもしれない。
待ち合わせする時、こういう植え込みが困る。待ち人が反対側で待ってるんじゃないかと気になった。
立川駅の北口
俺が年賀状出さなくなって何年も経つけどまだ年賀状をくれる人がいる。そのたびにメールで礼を言うんだけど、「今度会いましょう」と書いてあった友人には何の返事もしなかった。「今年は会いたいね」なんて書くと実現しないと思ったからだ。というより嘘つき感満載。今までにも何度もそう書いて実現したのは1度だけ。
そして今回会うことが出来た。年賀状の返事を書かなかったのはカクカクシカジカと言い訳した。後はただのお喋り宴会。ちと食べ過ぎたかなと後悔。毎年正月に体重が増える。今年はそれを回避出来たのに1ヶ月遅れでリバウンド中。その日の晩は泊まり、翌朝、その人の出勤と共に家を出た。
今回は欲張って更にもう1人と会う事にしてた。今まで会えなかった理由の1つがその人が忙しかったため。久々に連絡したら健康のことで仕事を辞めちゃったと言うから会うことが出来た。その人とは家ではなく立川駅で合流。立川駅によく行ったのは子供の頃。JR、当時は国鉄なんだけど、その初乗り運賃が5円の頃だ。その後何度か行ったはずではあるけど立川に用事は無いので記憶は殆ど無い。なので60年ぶりと言っても大袈裟ではない。
当然駅周辺は変わった。当時立川駅に行く時は伊勢丹に買い物に行くためだった。今はデパートで買い物なんてしない。せいぜいデパ地下で惣菜か酒を買うくらいで地上階とは無縁。その伊勢丹はまだ存在した。辺りでは一番高かったと思われる地上5階だった建物はすっかり変わって大きくなったけど今は周囲に比べて高いということはなかった。
少し早目に先に着いてた俺はグルッと一回りし、その後赤いアーチがある南口で待ち合わせようと電話。ところが直ぐに来るはずなのに中々来ない。そのうち北口どうたらという営業音声が聞こえてようやく間違ったことを言ったのに気がついて電話。ケータイ電話が無ければ昨日は会えなくて残念だったねになったかもしれない。
待ち合わせする時、こういう植え込みが困る。待ち人が反対側で待ってるんじゃないかと気になった。
ここに泊まったのは2度目。引っ越しは免れた模様。ここのアパートは壁が薄いと噂だけど隣の音などは今のところ聞こえたことが無い。静かである。でも珍しい事を体験した。台所とトイレが隣接してるんだけど、トイレに座ってる時、主が台所付近を歩いてたらその振動が足に伝わってきた。そういうのは初めて。ここのは床材が薄いのかな?
「お」をつけると丁寧になるけどお入り口ってのは何か変。長野県内の仏壇のCMではお仏壇と言ってるんだど初めて聞いた時は汚物?と思った。「お」をつければ良いってもんでもないけどねぇ。