さだまさしの歌に関白宣言というのがある。その中にこんな歌詞がある。
俺より先に死んではいけない
例えわずか一日でもいい
俺より早く逝ってはいけない
昔は葬式というのは家でやった。準備などは集落の人が手伝った。山梨の大月、親が住んでるところでもまだ家でやっている。誰かが亡くなるとたった20数件の集落にある全ての家が手伝うので大騒ぎだ。こちらに来てから近所で葬儀が幾つかあったけど、まるで楽なもんだった。それは葬祭場でやるからだ。だから長野の佐久は田舎だと思ってたけど案外近代化してるもんだと思ってた。
しかし実態は全然違った。楽になったのは弔問に来る人だけ。身内に関してはあまり変わってないんじゃないかと感じた。さだまさしは例えわずか一日でもいいなんて歌っていたけど、いやぁ、こんな葬式は10年に1回でたくさんだ。ヨメよ、俺が死んだら10年以上長生きしてくれ。そうじゃないと周りの人は大変だ。もっとも俺は巷にあるような葬儀なんてして欲しくないけどね。
俺より先に死んではいけない
例えわずか一日でもいい
俺より早く逝ってはいけない
昔は葬式というのは家でやった。準備などは集落の人が手伝った。山梨の大月、親が住んでるところでもまだ家でやっている。誰かが亡くなるとたった20数件の集落にある全ての家が手伝うので大騒ぎだ。こちらに来てから近所で葬儀が幾つかあったけど、まるで楽なもんだった。それは葬祭場でやるからだ。だから長野の佐久は田舎だと思ってたけど案外近代化してるもんだと思ってた。
しかし実態は全然違った。楽になったのは弔問に来る人だけ。身内に関してはあまり変わってないんじゃないかと感じた。さだまさしは例えわずか一日でもいいなんて歌っていたけど、いやぁ、こんな葬式は10年に1回でたくさんだ。ヨメよ、俺が死んだら10年以上長生きしてくれ。そうじゃないと周りの人は大変だ。もっとも俺は巷にあるような葬儀なんてして欲しくないけどね。
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