葬式っていうのは場所や宗派によって異なる。この長野に来て初めて身内の葬儀を経験したけど、目が点になるようなことも幾つかあった。そう思うのはお互い様で、長野の人が他県の葬儀を見てもそう感じるだろう。
その中の一つに位牌のことがあった。位牌というは一つだけだと思っていたが、必ずしもそうではないようだ。この辺りでは例えば死んだ親の位牌を子供の数だけ作るのは当たり前のようだ。何でそんな慣習があるんだろうと思ってたらこんな話を聞いた。葬式ってのは臨時民俗学講座の場でもあるので珍しい話を聞くことが出来る。
佐久の真中を千曲川が流れている。昔はこの川は水害をよく起こしていた。戌の満水で書いたような大水害が起きた時、何もかも全て流され、位牌も勿論流された。先祖の位牌を失うってのは具合が悪いってことで、それ以来位牌を幾つも作ったんだそうだ。位牌のバックアップである。
しかしその後そんな大水害も起きなくなった。絶対起きないとは言えないけど、「もうそういうのは要らないんじゃないか」という話は無いようだ。兎に角こうやって儀式というのは膨らんでいくのかなぁ、と。
その中の一つに位牌のことがあった。位牌というは一つだけだと思っていたが、必ずしもそうではないようだ。この辺りでは例えば死んだ親の位牌を子供の数だけ作るのは当たり前のようだ。何でそんな慣習があるんだろうと思ってたらこんな話を聞いた。葬式ってのは臨時民俗学講座の場でもあるので珍しい話を聞くことが出来る。
佐久の真中を千曲川が流れている。昔はこの川は水害をよく起こしていた。戌の満水で書いたような大水害が起きた時、何もかも全て流され、位牌も勿論流された。先祖の位牌を失うってのは具合が悪いってことで、それ以来位牌を幾つも作ったんだそうだ。位牌のバックアップである。
しかしその後そんな大水害も起きなくなった。絶対起きないとは言えないけど、「もうそういうのは要らないんじゃないか」という話は無いようだ。兎に角こうやって儀式というのは膨らんでいくのかなぁ、と。
ただでさえ、実家を離れた子どもたちは「家」をかえりみなくなりますから、位牌を分けて、親のおかげで今がある、ということを意識するためにわたしはよい方法だと思います。確かに多様な時代ですから、「そんなものいらん」なんていう言葉が多いでしょうが。
石川県では仏壇をやたら金ぴかにする傾向がありますが、廃れる傾向にあるかもしれません。
まさにそうなんだなぁと興味深いお話でした。
私は幸いなことにしばらく近い人間の不幸がなかったのですが、数年前九州に戻って親類の通夜に赴いた際は久々に会う親類が多く、仏様の前で焼酎飲みながらあれこれ突っ込まれたりしてエライ目に遭いました。(汗)
誕生、結婚、葬儀というのは三大節目でしょうか。
大叔父や大叔母が長野市の北の三才、祖父母が小布施の近くに住んでいたため、台風による集中豪雨でかなりのものが流されたそうでw
幸い誰も怪我しなかったけど。仏壇に乗ってた位牌や木魚何かがほとんど流された~って言ってました。
ちなみに、りんご畑は全滅だった、とか。
> わたしの地域には位牌わけの風習はありません。
> 長野県内でも佐久地方が顕著です。
ここのところ大きな災害が全国で幾つもあったのでこれは良いと思う所も現れるかもしれないですね。
中央道 kawahara さん
> 中央道のなんとかサービスエリアでは仏壇や位牌、
> 遺骨が捨てられていることがあり、困っているというスゴイニュースを見たことがあります。
そういうのを棄てても気にならないんですかねぇ。
写真や人形を棄てるってのも気味が悪いと思う時がありますからねぇ。
JRの落し物の中で変った物の中に位牌とかお骨がありますが、
これは電車で失ったのも分らなかったんで届け出しないのかな。
初めて知りました! tsubamerailstar さん
> 誕生、結婚、葬儀というのは三大節目でしょうか。
もう一つ、退職ってのもあると思います。
誕生から始まって、結婚、退職、葬儀ってそれぞれ1万日目くらいが区切りかなぁ、と。
人生、1万日区切り説(^-^;
わが親族は 愛煙家 さん
> 幸い誰も怪我しなかったけど。仏壇に乗ってた位牌や木魚何かがほとんど流された~って言ってました。
他に写真とか想い出の物などもあったんでしょうね。