人は批判に弱いものです。
いろんな方法で防衛しようとします。
私がよくやるのは、批判してきた相手の責任にすること。
「言い方がまずい」「あの人は人を傷つけるひとだ。」「私を傷つける、なんて怖くてひどい人!」「あの人の方が変なのだ」「あの人は言葉を知らない。」「礼儀しらず。」「攻撃してくるなんて絶対赦せない!」
それから、もっとよくやるのは自分を罰すること、「私はなんてだめなんだろう。」「私ってひどい、価値がない」「消えてしまいたい。」「情けない。」
どちらも、情報をくれる相手を敵だとし加害者とし、自分はかわいそうな被害者の役割にはまり、実は、私のやり方を絶対視し、私のやり方を変える気がないのです。
先生を持つと言うことはこの批判者を持つ。ということです。先生とは実力と経験の差が歴然とあるので、批判は比較的楽に受け入れることができます。それでも、私は、先生は「私のことが嫌いだからこんなことをいうのだ。」とか、「先生は私に対して失礼な言い方をした。」とか思って勝手に傷ついたりしてしまいます。
さすがにもう、理性が働いて、それは自分の考え方、感じ方の問題であって、先生の責任ではないと思い直すことができるのですが。
先生にさえ、これなのですから、友達、同僚、アンサンブル仲間のいう事など、なかなか素直には聞けません。波風を起したくないので、「はい、そうします。」とか、「わかりました。」と、口は動いていますが、心の中では「こいつ!攻撃したな」なんて思っていたり「今に、仕返ししてやるぞ」なんてつぶやいてしまうことはよくあります。なんて恐ろしい!でも、これは私に限ったことでなく、ほとんどの職場や、サークルでおきていることだと思います。
人って本当に悲しいです。
もう一つ仕事の内容を充実させたり、演奏や、人付き合いを深いものにしたり、質を上げる感じ、考え方に、人はみんな完璧ではない、誰もがそれぞれに自分の感じ考え方を持っても良い、と言う事を認めると言う方法があります。
そういう考え方で、批判を聞くと、すべては、自分の出したものが人にどのように受け取られのるか?という情報として受け入れることができるはずです。
それがプラスのものであっても、マイナスのものであっても、自分を映す鏡。
自分に気づくきっかけとなります。だから、そういう情報はどれも素晴らしい。感謝して受け取れるはず。
そしてそれができる人は自学自習できます。なぜなら誰からでも学ぶことができるから。
仕事のできる人は批判を受けた後、みんなこういう言葉を言います。
「本当にありがとう。また、私のことで、気がついたことがあれば、どうぞ、なんでも教えてください。」
音楽もこういった人との関係性の中で磨かれていきます。私も見習いたいと思います。