寒さに負けず、心身を鍛える修行場でした。修行僧のごとき二人の老人が、ゲートボール1試合、真剣に勝負しました。試合中は寒いと思いませんでしたが、道具を片付け終わって一息入れたら、寒さで指先に痛みを感じ、今日はお休みが正解と思いました。
試合の前の休憩時間、二人は、どうして日本は文字の発達が遅かったかと、寒空に下で「高尚な」議論をしました。紀元前後まで日本の集落は血縁的共同体、紀元前後に近づくにしたがって、地縁的共同体に変化してきたが、各集落、水稲栽培など自然の恵みを生かして食料生産などに励んだので生活不安が少なく、争いが少なく、会話でことがすみ、証文を書く必要がなかったのではないかということで意見の一致をみました。古代、日本は平和だったという結論です。
紀元前後になると朝鮮半島(楽浪郡)と交流するような国社会が登場し、漢字に触れる人が増えて行ったのでしょう。大陸と交流した人は漢文を書くことができたのではないでしょうか。
日本語を漢字(かな)で表記するようになったのはいつか興味深い研究課題ですね。このかなからひらがな、かたかなが誕生しました。あは安から、アは阿からというようにです。
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