「復活」が終わってしまったので、このところ唯一ご贔屓にしている韓国ドラマ「ソウル1945」(KBS World スカパー791ch.毎週土・日の午後8:00~9:00)を観た。日本の敗戦が迫ったソウル(当時の京城)に始まって、現在は国連軍(米軍)と中国人民軍が参戦した朝鮮戦争の時代を背景にドラマは進行している。
中条かな子を思い出させるような悲しげな顔立ちをしたヒロイン、ゲヒをめぐって、彼女の初恋相手だったが京城帝国大学教授の地位を打ち捨てて人民軍(北側)に参加してしまったウンヒョクと、中田宏横浜市長を若くしていい男にしたようなアメリカ帰りの国軍(韓国軍)中領イ・ドンウとの韓国風“三角関係”(といってしまうと身も蓋もないのだが、“冬ソナ”のチェ・ジウとパク・ヨンハとぺ・ヨンジュンと思ってほしい)の物語である。日本は戦争には負けたのにマッカーサーの支配の下でさっさと復興してしまった時代に、朝鮮半島でどんな悲惨なことが起こっていたのかを見せつけてくれる重いドラマである。
北の攻撃から逃れて自分たちだけさっさと南の大田に避難してしておきながら、北の進撃を阻止するという名目で漢江にかかった橋(漢江大橋か?)を爆破して避難民が南に逃れる道を絶ってしまう李承晩ら南の指導者、そして、人民軍を名乗りながら人民の命を守らない金日成ら北の指導者たちに対する、庶民の批判的な眼差しがきちんと描かれている。
3年前に研究旅行で韓国へ行き、2週間鐘路のソウル観光ホテルに滞在したことがある。漢江も何度か渡って漢南へ行ったけれど、漢江大橋にあのような歴史があったことすら知らない不勉強のまま出かけたことを今になって恥じている。
日本占領中は日本に媚び、戦争が終わればアメリカや李承晩らに迎合する資本家たち、その一方で、最下層の鉱山労働者から身を起こし、戦後は特殊警察の幹部となって主人公たちを苦しめる悪役すら、温かいとまではいえないまでも同情的に描かれている。韓国の人たちの日本や共産主義ないし北に対する感情の底流にあるものを考えさせられながら観ている。
きょうの放映では、自分を助けることでドンウに迷惑がかかってはいけないと思ったゲヒが、「ドンウのことを愛したことはない、死ぬのならば自分はウンヒョクのもとで死ぬ」と偽りの告白をしてドンウから去っていくシーンで、何と!!「イムジン河」が流れたのである。ゲヒが渡った川がイムジン河なのだろうか。
もちろん歌詞はハングルである。何年か前の紅白でキム・ヨンジャが歌った、あの「イムジン河」だと思う(歌手は違う人だった)。意味は分からないが、「カゴパッド モォカーニ イムジンガン フールマ ウォナン シッコ フールニャ」という部分が聴き取れた。別れの場面にふさわしく哀切きわまる歌い方であった。
前にもこのコラムで書いたが、「イムジン河」は、「風」や「悲しくてやりきれない」、「花嫁」などとともに、ぼくのカラオケの十八番の1つである。フォーク・クルセーダーズの「イムジン河」だけでなく、キム・ヨンジャの「イムジン河」のハングル版のほうもカタカナで覚えた。
(ついでに書いておけば、“猟奇的な彼女”の主題歌「I Believe」が好きだと授業中の雑談でしゃべったら、ひとりの学生が歌詞全文をカタカナで書き取って持ってきてくれた。これもカラオケで試してみたが、どうも字余りになってしまって上手く歌えないので諦めた。“I believe クデギョプテ オプチマーン イーテルゥ イビュリュデ ニィゲルチュ・・”と延々とやるのだから、無理な話である。)
きょう、あの場面で流れる「イムジン河」を聴いて、カラオケなどで軽い気持ちであの歌を歌うことは韓国、朝鮮の人たちに失礼ではないかという気がしてきた。
(写真は、キム・ヨンジャ「イムジン河」のジャケット)
(2006年11月 5日)
中条かな子を思い出させるような悲しげな顔立ちをしたヒロイン、ゲヒをめぐって、彼女の初恋相手だったが京城帝国大学教授の地位を打ち捨てて人民軍(北側)に参加してしまったウンヒョクと、中田宏横浜市長を若くしていい男にしたようなアメリカ帰りの国軍(韓国軍)中領イ・ドンウとの韓国風“三角関係”(といってしまうと身も蓋もないのだが、“冬ソナ”のチェ・ジウとパク・ヨンハとぺ・ヨンジュンと思ってほしい)の物語である。日本は戦争には負けたのにマッカーサーの支配の下でさっさと復興してしまった時代に、朝鮮半島でどんな悲惨なことが起こっていたのかを見せつけてくれる重いドラマである。
北の攻撃から逃れて自分たちだけさっさと南の大田に避難してしておきながら、北の進撃を阻止するという名目で漢江にかかった橋(漢江大橋か?)を爆破して避難民が南に逃れる道を絶ってしまう李承晩ら南の指導者、そして、人民軍を名乗りながら人民の命を守らない金日成ら北の指導者たちに対する、庶民の批判的な眼差しがきちんと描かれている。
3年前に研究旅行で韓国へ行き、2週間鐘路のソウル観光ホテルに滞在したことがある。漢江も何度か渡って漢南へ行ったけれど、漢江大橋にあのような歴史があったことすら知らない不勉強のまま出かけたことを今になって恥じている。
日本占領中は日本に媚び、戦争が終わればアメリカや李承晩らに迎合する資本家たち、その一方で、最下層の鉱山労働者から身を起こし、戦後は特殊警察の幹部となって主人公たちを苦しめる悪役すら、温かいとまではいえないまでも同情的に描かれている。韓国の人たちの日本や共産主義ないし北に対する感情の底流にあるものを考えさせられながら観ている。
きょうの放映では、自分を助けることでドンウに迷惑がかかってはいけないと思ったゲヒが、「ドンウのことを愛したことはない、死ぬのならば自分はウンヒョクのもとで死ぬ」と偽りの告白をしてドンウから去っていくシーンで、何と!!「イムジン河」が流れたのである。ゲヒが渡った川がイムジン河なのだろうか。
もちろん歌詞はハングルである。何年か前の紅白でキム・ヨンジャが歌った、あの「イムジン河」だと思う(歌手は違う人だった)。意味は分からないが、「カゴパッド モォカーニ イムジンガン フールマ ウォナン シッコ フールニャ」という部分が聴き取れた。別れの場面にふさわしく哀切きわまる歌い方であった。
前にもこのコラムで書いたが、「イムジン河」は、「風」や「悲しくてやりきれない」、「花嫁」などとともに、ぼくのカラオケの十八番の1つである。フォーク・クルセーダーズの「イムジン河」だけでなく、キム・ヨンジャの「イムジン河」のハングル版のほうもカタカナで覚えた。
(ついでに書いておけば、“猟奇的な彼女”の主題歌「I Believe」が好きだと授業中の雑談でしゃべったら、ひとりの学生が歌詞全文をカタカナで書き取って持ってきてくれた。これもカラオケで試してみたが、どうも字余りになってしまって上手く歌えないので諦めた。“I believe クデギョプテ オプチマーン イーテルゥ イビュリュデ ニィゲルチュ・・”と延々とやるのだから、無理な話である。)
きょう、あの場面で流れる「イムジン河」を聴いて、カラオケなどで軽い気持ちであの歌を歌うことは韓国、朝鮮の人たちに失礼ではないかという気がしてきた。
(写真は、キム・ヨンジャ「イムジン河」のジャケット)
(2006年11月 5日)