豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

モーム「人間の絆」

2009年05月04日 | サマセット・モーム
 
 Norah ; Of course, I knew you never loved me as much as I loved you.
 Philip ; Yes, I'm afraid that's usually the case. There's usually one who loves and one who is loved.

 
 モームもの、今回は“映画で英会話--人間の絆 Of Human Bondage”(朝日出版社、2000年)。
 今でも、アマゾンに中古本が500円くらいで出ているから、《お宝》度はあまり高くはないかもしれない。

 レスリー・ハワードとベティ・デイビスのビデオ(CD-ROM)2枚に、英文と日本語の対訳シナリオが載った本がついたもの。

 この本、実はキム・ノヴァクが出演していた“人間の絆”だとばかり思って注文したのだが、届いてみると何と、1934年製作の古いものだった。
 
 若い頃のモームと思しき医学生が思いを寄せる女ミルドレッドを演じているのが、キム・ノヴァクでなくて、ベティ・デイビス。
 あの“何がジェーンに起ったか?”の、薄気味悪いお婆さんである。
 しかし、このベティ・デイビス演じるミルドレッドがちっとも魅力的に見えない。こんな女に一途に思いを寄せる若きモームがただのお人好しの馬鹿に見えてしまうのである。

 先日BSでヒチコックの“めまい”をやっていたが、あの映画でジェームス・スチュアートをだます女を演じたキム・ノヴァクこそ、「魔性の女」である。
 ベティ・デイビスはただの“ヤな女”にしか見えなかった。
 やっぱり、キム・ノヴァクでなければ。

 ということで、途中で放っぽり出したままになっていたが、今年のゴールデン・ウィークは“サマセット・モーム週間”(?)ということで、義務的に見てしまうことにした。

 そして予想通り、つまらなかった。
 ミルドレッドより、後から出てくる未亡人ノラや、結局フィリップが結婚を申し込むことになるサリーのほうが100倍好ましい女に描かれている。

 途中のどこかで、「何かに捕われている」というニュアンスで“bondage”という台詞が使われていたような気がするが、原作の“bondage”はそんな意味ではないだろうか。
 (後でシナリオを探してみると、ノラがフィリップにむかって、「あなたはミルドレッドに縛られている」という台詞があった。おそらく、ここの“you were bound to her”を“bondage”と聞き間違えたのだろう。)

 ずっと放っておいたのが気になっていたので、とにかく見終わってホッとした。

 * 写真は、“映画で英会話--人間の絆 Of Human Bondage”(朝日出版社、2000年)の表紙。向かって左がベティ・デイビス、右がサリー役のFrances Deeという女優さん(らしい)。勝負は明らかだと思うのだが…。
 冒頭の台詞は、本書の76頁にある。 
 ※ この言葉はモームの恋愛観を示すもので、「赤毛」におけるニールソンのサリーに対する思いも、「人間の絆」と同様に、実現することのなかったモーム自身の相思相愛への憧憬が描かれていると、行方行夫「英文精読術 Red」の解説に書いてあった(25頁以下。どこかに「人間の絆」のこの文章への言及もあったが見つからない)。
 行方によれば、モームが理想とした女性は「お菓子と麦酒」のロージーと、「人間の絆」のサリーだったとある(「モームの謎」岩波現代文庫77、85頁)。ぼくはロージーも忘れがたいが(ハーディーの「テス」を読んで乳搾り娘に恋したというモームの前書きが印象的だった)、上にも書いたように「人間の絆」のノラが今でも印象に残っている。
 ※2024年5月16日 追記

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モーム研究

2009年05月04日 | サマセット・モーム
 
 「僕は批評家達から、二十代には残忍だと言われ、三十代には軽薄だと言われ、四十代には皮肉だと言われ、五十代にはちょっとやると言われ、現在六十代では皮相だと言われた。」

  中野好夫「モームの歩んだ道」(本書所収)に引用されたモーム自身の言葉。


 モーム関連《お宝》、第3弾は、中野好夫編『モーム研究--現代英米作家研究叢書』(英宝社、昭和29年[持っているのは昭和58年の15刷])。
 
 この本も、ひょっとすると今でも入手可能で、《お宝》というほどではないかもしれない。
 でも、一番スタンダードなモーム研究書のうえ、出版社の名前の中に《宝》が入っているので、許してもらおう。
 《英宝社》の対訳本以外では読めないモームの作品もあることだし…。

 箱と奥付には『モーム研究』となっているが、扉は『サマセット・モーム研究』となっている。
 どっちでもいいことだが、図書館の人などは悩むことだろう。

 「幸福な夫婦」、「凧」、「大佐の奥方」、「母親」などは、行方昭夫の岩波文庫の『モーム短編集(2)』が出るまでは、英宝社の対訳本で読むしかなかったのだが、この本によると英宝社というのは千代田区三崎町にあるらしい。
 
 わが大学のすぐ近くではないか。いつか散歩がてら立ち寄ってみよう。

 * 写真は、中野好夫編『サマセット・モーム研究--現代英米作家研究叢書』(英宝社、昭和29年)の箱。

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モーム「メイベル- “Mabel”」

2009年05月04日 | サマセット・モーム
 
 “Mabel”

 (“W. Somarset Maugham ; Collected Short Stories Volume 4”(Penguin Book)に収録)


 婚約者から逃げ続ける男が主人公というので、どんな話かと思って“Mabel”を読んでみたが、まったくつまらない作品だった。

 これでは、だれも翻訳しようという気にはならないのも当然だろう。

 東南アジアの植民地で働くイギリス人ジョージがイギリス在住の女メイベルと結婚することになった。しかし、現地の状況が白人娘を迎えるのにふさわしくなるのを待っているうちに7年も経過してしまった。

 そのため、いざ彼女が現地に到着する頃には彼の熱はすっかり冷めていた。しかしそのことを言い出すことができず、男は、ビルマからシンガポール、ラングーン、サイゴン、バンコク、香港、と逃げ続ける。
 ついには、横浜、さらに再び中国に渡って、上海から揚子江沿いに、重慶、漢口、成都、最後はチベットにまで逃げるのだが、どこに行っても彼女からの手紙が届き、やがて彼女がやってくる。

 そして、とうとうチベットで追いつかれて結婚する羽目になり、それから8年後に、ビルマのパガンという港町のクラブで、停泊中の船を下りて一杯引っかけに来たモーム氏と出会う。・・・

 それだけの話である。映画では、“パピヨン”や“逃亡者”などといった「逃亡もの」というジャンルがあるが、逃亡ものとしても出来は悪い。
 逃亡の理由に説得力がなく、逃げ方にもサスペンスが感じられないのである。
 最後にチベットで結婚せざるを得なくなるというのも、工夫がない。

 まあ、横浜のGrand Hotelが出てくるのが、ご愛嬌か…。
 “Mabel”の中では“Grand Hotel”となっているが、当時外国人が宿泊する横浜のホテルといったら山下埠頭の“Hotel New Grand”だろう。

 * 写真は、適当なものがなかったので、主人公ジョージが横浜に逃げてきた時に泊まったと思われるHotel New grandの外観。
 ちなみに、この写真に写っている3階の角部屋は、敗戦後の占領初期にマッカーサーが宿泊した、いわゆる「マッカーサー・ルーム」(315号室)である。

 ** などと書いたのだが、気になってGoogleで“横浜グランドホテル”と検索してみたら、ちゃんと“横浜グランドホテル”というのがあった。
 明治22年の創業で、フランス人が経営しており、もっぱら外人を相手としていたが、関東大震災で焼失したという。
 “ホテル ニューグランド”は別会社らしい。というより、ホテル・ニューグランドが設立されたために、グランド・ホテルは再建を断念したとある。
 でも、せっかくだからニューグランドの写真は残しておこう。

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モームの例文中心 英文法詳解

2009年05月04日 | サマセット・モーム
 
 “You'd look rather silly divorcing your wife because she'd committed adultery ten years ago.” 

  W. Somerset Maugham, “The Colonel's Lady”

 
 モーム関連“お宝”の第2弾は、納谷友一・榎本常弥著『モームの例文中心 英文法詳解』(日栄社、昭和45年[ただし僕が持っているものは昭和52年の第18版])。

 日栄社というのは、受験生にとっては、「枕草子」「源氏物語」「徒然草」などの注釈書を発行している出版社として知られているのではないかと思う。
 この英文法の参考書も、それらの古典の注釈書とほぼ同じ色合いの、オレンジ色と赤の装丁である。

 昭和52年の版を持っているということは、受験生の時に買ったものではない。サラリーマンになってから、まだモームに興味があった頃に、目にとまって買ったのだろう。

 実際の大学受験の時は、培風館の青木常雄著『英文法精義』というのを使った記憶がある。

 その本の前書きには、「昭和25年夏、軽井沢の培風館・山本山荘で執筆した」と書いてあったと思う。
 この培風館の山荘は、昭和30年代に毎夏居候していた叔父の軽井沢、千ヶ滝の別荘の裏山の山頂にあった。中腹に獅子岩のある小高い山である。この《豆豆先生の研究室》の第1回目にその写真が添付してある。

 あの山の上で執筆した本だ!という想いが読み進める原動力になって全ページを読み通した。文法書を全ページ読むことに意味があるとは今では思えないが。

 もう1冊、山崎貞の『新新英文解釈』(研究社)というのも使った記憶がある。

 “It's no use of crying over spilt milk.”だの、“It is a long way that has no corner.”といった紋切り型の例文が結構載っていた(ように思う)。
 最近になって復刻版が出たという広告をみた。いかにもわれわれ団塊の世代が狙われているようで癪だけれど、やっぱり懐かしいので、いずれ買うつもりである。

 さて、『モームの例文中心 英文法詳解』は、前書きによると、大学受験用の文法参考書の執筆を依頼された著者が、どれも大同小異の受験参考書にあって、形式にせよ例文にせよ独自のものを開発すべきだということで、納谷氏が10年にわたって集めてきたモームの用例カードから例文を採用することにしたものだとある。
 
 実際には、適当なものがない場合にはモーム以外の作家の文章も少なからず採用されているが、モームの文章が多いことは確かである。

 例えば、この本で一番最初に出てくる例文は、「自動詞と他動詞の区別」の項目登場する。
 “He spoke in a very low, quiet voice.”(“Rain”からの引用)で、spokeは「自動詞」として使われており、“He spoke beautiful English, accenting each word with precision.”(“Letter”からの引用)で、spokeは他動詞として使われていると説明がある。
 確かに、前のは「低い静かな声で話した」だし、後のは「きれいな英語を話した」である。いつもはこんなことを意識したことはないが…。

 中には、“You'd look rather silly divorcing your wife because she'd committed adultery ten years ago.”などという、いかにもモームらしいけれど、大学受験の高校生にふさわしとも思えない例文もある。
 分詞構文の用法のうち《条件》というところの出てきて、出典は“Lady”とある。“Lady”は凡例によると“The Colonel's Lady”(「大佐の奥方」)の省略である。

 前にも書いたように、僕は18歳の予備校生のときに、駿台の奥井潔先生の講義でモームに出会った。
 いずれここに引用したような箴言をちりばめた文章だったのだろうが、それなりに読んでいたのだと思う。

 表紙裏に、納谷友一氏の訃報を伝える新聞記事が貼ってある。
 1979年10月17日付の記事で(新聞名は不明)、東京電機大学教授の同氏が、前日70歳で亡くなったとある。告別式が行われる三鷹の禅林寺は太宰治のお寺だろう。

 * 写真は、納谷友一・榎本常弥著『モームの例文中心 英文法詳解』(日栄社、昭和45年)の表紙。

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