豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

モーム慣用句辞典

2009年05月03日 | サマセット・モーム
 
 《サマセット・モーム》などというカテゴリー(項目)を立てておきながら、モームについての書き込みがあまりにも少ないので、連休の間に少し補強をしておこう。

 まずは、僕が持っているモーム関係の“お宝”グッズをいくつか自慢してみる。

 その1は、荒牧鉄雄編『モーム慣用句辞典--付:固有名詞辞典・作品解説』(大学書林、昭和41年)。
 
 箱の表題は上のようになっているが、扉には『モーム慣用句辞典--付:固有名詞註解/作品に見られる「日本のこと」など/聖書からの引用事項/短編全集ストーリーの梗概と解説/主要書目年表/A Maugham Handbook』という、きわめて長いサブタイトルがついている。

 荒牧鉄雄という名前は受験時代の記憶にわずかに残っているが、荒牧編といいつつ、「はしがき」を読むと、実際には藤本熊雄さん(下関市早鞆高校女子部長)という人が書いたらしい。
 大変なモーム愛好家だったのだろう。

 ちなみに、早鞆(はやとも)高校というのも懐かしい名前である。確か、僕が子供の頃に甲子園に出場したはずである。僕は学校の地理の時間よりも、高校野球の中継からはるかに多くの日本の地名を覚えたように思う。
 早鞆もそうだし、宇部、日田、倉吉、三田、中村、池田、多度津、志度、金足、五所川原、黒沢尻、などなど、甲子園がなかったら、僕にはまったく縁のない地名である。

 閑話休題。

 モームのファンだった時代に買ったのだが、パラパラとめくっただけで、実際に使ったことはほとんどない。
 《お宝グッズ》といいながら、文字通り「宝の持ち腐れ」である。
 僕のような英語力の貧困な者にとっては、モーム特有の言い回し以前に、登場人物の外形の描写などに使われる(しかし法律の論文などには決して出てこない)形容詞などが分からないのである。

 例えば、昨日読んだ“A Marriage of Convenience”でも、最初に登場するアメリカ人のサーカス興行師の描写のかなりの部分を僕は読み飛ばした。
 背が低く、太った赤ら顔の男で、カリフォルニアの二流都市の三流ホテルから出てくるような男というだけで、造形は十分である。
 どうでもいいような単語を引くことで、読み進める気持ちが萎えたのでは本末転倒である。

 そんなわけで、《モーム慣用句辞典》のご厄介になることはなかったのだが、申し訳ないので、今回“A Marriage of Convenience”に出てきた“Port Side”をこの《モーム慣用句辞典》でひいてみると、ちゃんと固有名詞の註解のところに、「Suez運河の地中海側の港。-Marriage of Convenience」と出典まで明記して出ていた。

 この小説にはBangkokも出てくるが、Bangkok はモーム作品に頻出する地名だろうからあえて収録されていないだろうと思ったが、意外にもBangkok も出てくる。
 Bangkokは「タイ国の首都で、メナム河に臨む主要港。」とあり、出典として、「Mabel;Marriage of Convenience」が挙がっている。Bangkokが2作品にしか出てこなかったのかと、これまた意外な発見をした。

 “Mabel”というのも、この辞典の《作品の梗概》を読むと、婚約者が嫌になって男が逃げ回るという話らしい。モームの定番もののひとつである。

 『モーム慣用句辞典』にはこの“Mabel”の出典は書いてなかった。《aga-search.com》という推理小説などに詳しいサイトのモームの項目にも“Mabel”はなかった。翻訳はないのだろう。
 “A Marriage of Convenience”を収めた“W. Somerset Maugham Collected Short stories Volume 4”の中に収録されているので、読んでみよう。

 “Marriage of Convenience”のようなかなりマイナーな作品に出てくる地名まで拾ってあるのだから、他の作品の地名もこの辞典には収録してあるだろう。

 * 写真は、《モーム慣用句辞典》の函(Amazonなら「初版、帯付き、経年劣化あるものの綺麗です」とでもいうあたりか…)。 

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モーム「便宜的な結婚」 2

2009年05月03日 | サマセット・モーム

 “The fact is that in a marriage of convenience you expect less and so you are less likely to be disappointed. As you do not make senseless claims on one another there is no reason for exasperation. You do not look for perfection and so you are tolerant to one another's faults. Passion is all very well, but it is not a proper foundation for marriage.”

  W. Somerset Maugham, “A Marriage of Convenience” (Penguin Twentieth-century Classics)


 舞台は、バンコクからどこかへ向かう東洋航路の小さな船の中である。ダイニング・ルームの床をゴキブリが歩き回るような汚い船の中で、モームは退屈している。

 乗り合わせたのは、フランス人の商売人、ベルギー人の入植者、イタリア人のテノール歌手、それにアメリカ人の夫婦、フランス人の夫婦が各1組。

 アメリカ人夫婦の夫はサーカス興行師で、20年以上の間ポートサイドから横浜までの港を動物やメリーゴーランドと一緒に渡り歩いている。

 背が小さくて肥った、「カリフォルニアの二流の町の三流のホテルで見かけるような」このアメリカ人は、モームに話しかけてきては、体良く自分に酒をおごらせたばかりか、妻君にもレモネードをおごらせたりする。
 デッキ・チェアに寝そべったその妻君は、腕にサルを抱いて海を眺めている。女房のほうも夫に似て、小太りで赤ら顔をしている。

 彼らは似た者同士だから結婚したのか、それとも長年の間にかくも似てきたのだろうか、などとモーム氏が独り言ちたりするので、さてはこの夫婦が主人公かと思っていると、実は、モームとアメリカ人夫婦を横目に、デッキを行ったりきたり散歩するフランス人の元海軍将校とその妻が主人公であった。

 このフランス人も、背が低く、醜い小さな痩せた顔をしている。もじゃもじゃの髪と髭をした彼のことを、モームはプードルのようだと思う。
 このフランス人がやがて語り始める、その妻との結婚が「便宜的な結婚」というわけである。 ・・・・
 
 49歳で退役したフランス人の元海軍将校は、政府筋につてのある従兄に再就職の斡旋を依頼したところ、植民地省の高官に呼び出される。
 高官が言うには、南方の植民地に総督のポストが空いている。但し1つだけ条件があり、総督は妻帯者でなければならない。前任者の総督が現地の娘と関係をもったことが発覚し、現地のフランス人の間で顰蹙をかったため、次の総督は必ず妻帯者でなければならない。

 しかも出発は数週間後に迫っている。悪くない話だが、独身だった元海軍将校は困惑する。ところが、高官は「フィガロに広告を打てば花嫁候補などすぐに集まる」とこともなげに言う。
 仕方なく言うとおりに広告を打つと、何と4372通もの応募があった。出発までの数週間でこの中から最適の女性を選ぶことなどとてもできそうもない。

 再び困惑して公園のベンチに座っていると、偶然旧友が通りかかった。事情を聞いた彼は、自分の従姉妹にちょうどよい年頃のがいて、ジュネーブに住んでいる。私からの事伝えだといってチョコレートを届けてほしい。
 もし彼女を気に入ったらプロポーズし、気に入らなかったら黙って帰ってくればいいと言う。

 さて、訪ねていった元海軍将校氏は彼女に一目ぼれする。
 モームの目には、ただの無骨な大女にしか見えないのだが、元将校には、はじめて会った彼女は、「Juno(ローマ神話の結婚の守護神だそうだ)の威厳と、ヴィーナスの優雅さをもち、ミネルヴァの知性を感じさせる、まだ若くて高貴な女性」のように思えた。
 彼は事情をすべて打ち明け、その場で結婚を申し込む。彼女は一瞬躊躇するが、結局は承諾し、晴れて彼は植民地総督の地位を得て、赴任するのだった。

 これが「便宜的な結婚」の一部始終というわけだが、最後に、モームはフランス人の妻君をして、冒頭のような台詞を吐かせるのである。
 
 「こんな便宜的な結婚だったから、あなたは大した期待もしなかったかわりに、大して失望することもなかったというのが本当のところでしょう。つまらないことで相手と言い争うこともしなかったから、怒ったりすることもなかったし、相手に完璧なんて望まなかったから、相手の欠点も許すことができたの。たしかに情熱的であるのは素晴らしいことだけど、結婚のきっかけとしてふさわしいものかしら。」

       ・・・・・・・・    ・・・・・・・・

 おそらく、アメリカ人のサーカス興行師夫婦も情熱による結婚ではあるまい。小さくて薄汚い東洋航路の船に乗り合わせた二組の夫婦は、東南アジアの凪の海の気だるさの中に溶け込んでいくようであった。

 引用した最後の台詞なども、いかにもモームご本人が喋っているようである。フランス人元将校の妻は、このような台詞をはく人物としては造形されていないように思う。
 ストーリーの展開も、もう一ひねり、一波乱あるかと思ったが、割とあっさりと終わってしまった。
 
 モームの1903年の作品というから、習作に近いものだろう。しかし、その後も変わらないモームらしさを伺うことはできる。

 * 写真は、荒牧鉄雄編『モーム慣用句辞典』(大学書林、1966年)の表紙カバー。次のコラムをご参照ください。

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