豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

風立ちぬ--新聞に現われた軽井沢・2

2009年09月08日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 今年の夏、新聞に現われたもう1つの軽井沢は、松田聖子の「風立ちぬ」。

 朝日新聞9月5日付、“be on Saturday”e1面の記事。

 “うた(song)の旅--長野・軽井沢”というコーナー。
「普通のアイドルに決別--松田聖子《風立ちぬ》」と題された今週の記事は、松田聖子「風立ちぬ」の裏話から始まる。

 1981年8月、信濃町のスタジオで松本隆作詞、大滝詠一作曲のこの曲を渡された松田聖子は、最初この曲を歌うことに難色を示したという。
 CBSソニーの担当ディレクターは、アイドルから脱皮させるために、意図的にこの曲を与えたのだという。
 
 「信濃町のスタジオ」。懐かしい…。
 1981年当時、ぼくはまだ信濃町(正確には須賀町)にある出版社で編集者をしていた。
 毎朝通勤で降り立つ信濃町駅のホームから北側を見上げると、カルピスの創業者の豪邸や、赤レンガ色のソニーのスタジオが聳えていた。
 松田聖子も四谷四丁目にあったサン・ミュージックの所属だったから、ずいぶん地理的にはぼくの近くにいたのだ。

 桜田淳子ほどではないが、松田聖子も嫌いではなかった。
 映画『野菊の墓』も中学生の姪と一緒に見に行った。
 「風立ちぬ」も好きな曲だったが、こんな歴史があったとは知らなかった。朝日新聞の記者はどこからこんなエピソードを見つけてくるのだろうか?

 この記事で一番驚いたのは、作詞した松本隆の語るこの曲誕生のいきさつである。
 なんと、彼は、中学校の修学旅行で(!)、万平ホテルから離山通りを星野温泉に向かったのだそうだが、その万平ホテルのカフェテラスをイメージして作ったのだという。
 そんな修学旅行をするのは、いったいどこの中学校なんだろうか。

 いずれにせよ、この記事にも、あの万平ホテル(旧館?)の食堂のテラスの写真が飾られている。制服姿の清楚な女の子が椅子を片づけている姿が見える。
 一昨年の暮れに母を連れて、当時はまだ東急ハーベストクラブで使うことができた万平ホテルに泊まったときも、朝食に行くと、あのテラス席のテーブルに、独り座って物思いにふけっている女性がいた。

 あのあたりは、今頃は、まさしく「いまは~秋 ♪」だろう。

 * 写真は、「普通のアイドルに決別--松田聖子《風立ちぬ》」(朝日新聞2009年9月5日付 e1面)。
 ちなみに、ネットで調べたら、松本隆の出た中学は慶応中等部だった。なるほど…。

 2009/9/8

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする