豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

塩名田 “竹廼家”

2010年08月25日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 美ヶ原(うつくしがはら)からの帰り道は、来た時と同じでは能がないので、和田峠方面を通って帰ることにした。

 ビーナス・ラインを扉峠か和田峠で左折する予定だったが、カーナビがもっと手前で左折を指示したので、それに従って道なき道(と言うほどではないけれど、センターラインはなかった)を下る。幸い登りの車とは2台しかすれ違わなかった。

 そんな山道を下ると、やがて集落が見えてきた。和田村か? 中山道(国道142号)に出る。
 立科、望月、佐久などを経て、小諸まで道なり。反対車線は結構トラックなどが走っていたが、こちらはガラガラでほとんど独り旅の状態。

 景色はのどかな田園風景、やがて彼方に浅間山が見えてくる。道沿いの名所らしきところは“笠取峠の松並木”くらい。むかし軽井沢に行くときに通った安中の松並木を思い出す。

 途中、千曲川にかかる橋を渡ったところで、塩名田の地名が目に飛び込んできた。そして“竹廼家”の看板も見えた。
 ここにも、何十年か前に佐久の鯉料理を食べに来たことがある。何から何まで鯉料理で、ぼくはあまり得意ではなかった。

 塩名田はもう1つ、遠藤周作の『さらば、夏の光よ』の舞台としても有名(それほど知られていないかも?)である。
 妊娠中絶するかどうかで悩む主人公の女が、確かこの塩名田の出身だったはずである。
 軽井沢に滞在中の遠藤周作もここに鯉料理を食べに来て、膳を出しに来た地元の女の子を見てモデルにしたのではないだろうか。

 この夜、帰宅後、小津安二郎の『父ありき』をDVDで観たのだが、偶然その舞台も上田の郊外であった。
 父子(笠智衆と佐野周二ただし子役)が渓流で川魚を釣るシーンがあったが、あの辺で撮影したのだろうか。

 * 塩名田の千曲川を渡ったあたり。2010/8/24撮影。

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美ヶ原

2010年08月25日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 美ケ原の山頂は残念ながら曇っていて、展望は絶景とは言いかねた。

 それでも、雲の切れ間からは山々に囲まれた小さな集落が何カ所かのぞいていた。

 美ケ原高原美術館(フジ・サンケイグループ)はパス。
 限定ランチのかき揚そばを食べて帰途につく。

 * 美ヶ原山頂から見下ろした下界の眺め。2010/8/24撮影。

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白樺平

2010年08月25日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 美ヶ原の頂上、美ヶ原美術館に至る少し手前に、白樺の林がある。

 40年前の記憶にも、美ヶ原には白樺の林のあったことが刻まれている。

 あの頃は軽井沢にもきれいな白樺の木立がそこかしこにあったが、今では軽井沢できれいな白い白樺の幹を見ることはほとんどなくなってしまった。

 わが家の庭にも白樺が5、6本植えられていたが、当時は子どもの手でも周囲を握れるくらいの細い幹だったのが、今では二階の屋根をこえる背丈に成長し、残念ながら幹は褐色になってしまった。
 ただし、頭上高いところで風に揺れている白樺の葉は、独特の緑色をしていて、夏の青空に映えている。

 * 美ヶ原、白樺平の白樺林。

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浅間サンライン

2010年08月25日 | 軽井沢・千ヶ滝

 きのう8月24日、美ヶ原までドライブに出かけた。

 昭和30~40年頃には、しばしば軽井沢から志賀高原や蓼科高原などにドライブに出かけたのだが、ひととおり走破しつくしてからは、足が遠ざかってしまった。

 美ヶ原も40年ぶりくらいである。

 カーナビの指示するままに、1000メートル林道から浅間サンラインに入り、上田の手前で左折して、丸子、武石などを通って、ビーナス・ラインの65だかのカーブを登って行った。

 昨日は少し靄がかっていたが、浅間山はきれいに裾野を見せていた。

 2010/8/24 撮影。
 

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“少年探偵手帳”

2010年08月25日 | 本と雑誌

 その“追分コロニー”で買った、串間努『完全復刻版・少年探偵手帳』(光文社知恵の森文庫、1999年)の表紙。

 本物の“少年探偵手帳”が出回っていた頃、夏の軽井沢で、ぼくは年下の従弟を従えて千ケ滝の裏山(獅子岩のある丘)を歩きまわった。
 北へ登るとグリーンホテルの下に出たし、南へ進むと星野温泉の従業員長屋に出た。

 いま考えると、子どもの背丈より高い草むらや、流れの急な用水路など結構危険な場所もあったが、BDバッジを撒いて歩かなくても生還し、今日まで生き永らえてることができた。
 それも『少年探偵手帳』から得たサバイバル術のおかげということにしておこう。

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古書 追分コロニー

2010年08月25日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 ようやく夏休みの諸行事が一段落したので、20日から軽井沢に行ってきた。

 いつもだと、軽井沢の夏は旧軽、諏訪神社のお祭りで打ち上げられる花火とともに終わるのだが、今年は例年になく暑い日が続いているため、8月の20日を過ぎたというのに、季節外れといった感じはしない。
 軽井沢でさえも、朝から25℃近くあり、昼間は30℃を超える。

 古本屋と画廊をやっている知人から、追分の旧中山道沿いに、喫茶店をかねた古本屋ができたという話を聞いていたので、今回出かけてみた。

 旧中山道の追分宿、油や旅館の東隣り、堀辰雄記念館の向かいに、入口に簾を立て掛けたその店はあった。
 “古書 追分コロニー”という名前である。
 神保町あたりの古本屋と違って、玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えて上がる店だった。

 普通の家の8畳か10畳くらいの部屋、2部屋にゆったりと本箱が並べられていた。
 「これは!」という本には出会えなったが、せっかくなので串間努『完全復刻版・少年探偵手帳』(光文社知恵の森文庫、1999年)を買った。400円。文庫本は原則300円なので、ちょっと価値ありの本なのか?

 この本の巻末の当事者の懐古談によると、『少年探偵手帳』は、最初は雑誌「少年」に載った江戸川乱歩のクイズの景品として考案され、やがて「少年」の別冊付録として何種類か出たらしい。この本は付録版を再構成したもののようである。 
 子どものころぼくが持っていた『少年探偵手帳』は、クイズの景品でも付録でもなくて、切手を何十円分だか何百円分だか送って購入する、今でいえば通信販売のものだった。
 大人が持っているような革表紙風の手帳だったはずである。

 残念ながら、今回買った『完全復刻版』にその雰囲気はない。

 * 写真は、2010年8月24日の夕方に撮影した、追分の古書店兼喫茶店“追分コロニー”の正面。

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