豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

中島敦『山月記』

2022年01月23日 | 本と雑誌
 
 今朝の東京新聞日曜版に、「山月記--虎になった男の物語」という特集が載っていた(上の写真)。
 寅年に因んでかと思ったら、寅年に加えて今年は中島敦の没後80年にあたるそうだ。

 そして中島の『山月記』は、1951年の初掲載いらい、高校2年生の国語教科書に長年掲載されてきた、と紹介されている。「高校2年」と明記してあるから、ぼくが筑摩書房版の現代国語の教科書で『山月記』を読んだのは1966年(昭和41年)のことだったのだろう。

 国語は嫌いな科目ではなく、中学校の国語教科書に掲載された芥川の『魔術』をきっかけに(比較的)本が好きな読書家になったことは前にも書いたが、内容面で学校時代に最も影響を受けた小説は、教科書で読んだ中島の『山月記』だった。
 今朝の日曜版でも紹介されているところだが(下の写真)、「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心のせいで」、「己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず」、「己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに」「瓦に伍することもできな」いという一節は(引用は東京新聞から)、まさにぼく自身の心情そのものだった。
 ぼくに向けられた言葉のように思ったが、今朝の記事を読むと、現在に至るまで多くの高校生が影響を受けて来たらしい。

     

 ぼくは「尊大な自尊心」と覚えていたが、少し違っていたようだ。
 いずれにしても、若かったぼくは、自分が「珠にあらざることを惧れ」、「己の珠なるべきを(多少は)信じて」いた。
 結局、刻苦して磨くこともなく、瓦に伍しながら(東京新聞の解説によれば「凡人に立ち交じること」という意味)生きてきた。学校を出てかなり早い時期に「己の珠にあらざること」は自覚したが、それでも「尊大な自尊心」から免れることはできなかった。いまでも免れたとは言えない。
 珠にもなれず、かといって虎になることもできずに、這いつくばってなんとか世間と折り合いをつけて生きてきた。

 『山月記』は、『羅生門』『こころ』『舞姫』とならんで、国語教科書界の「定番教材四天王」!だそうだ。ぼくとしては『山月記』が圧倒的で、『こころ』が続き、あとの2作は選外だとおもう。
 中島は1909年生まれで、同年の作家には太宰治、大岡昇平、埴谷雄高、松本清張らがいるという。この人たちが同じ年とは・・・。
 中島だけは文壇にデビューした1942年に33歳で亡くなっているが、100年経つとみんないなくなってしまった。

 2022年1月23日 記