エドマンド・バーク/半澤孝麿訳『フランス革命の省察』(みすず書房、新装版 1989年)が届いた。
Amazonで見つけて、「可」、「小口に汚れがあります。カバーに汚れがあります。」で、本体500円、配送手数料250円だった。
届いた本の中身をぱらぱらとめくってみて驚いた。数十ページに及んで鉛筆による線引きがあり、数ページには書き込みもあった。いくら500円で(新品価格は税別3500円)、しかも状態が「可」といっても、書き込みがある場合にはその旨を明記するのがルールではないか。
ひいきにしていた古書店だっただけにがっかりした。
届いた昨日は1時間かけて、目ざわりな傍線を消しゴムで消す作業をした。そうしないと、半澤先生の訳業と対話できない。イライラしながら消したので、消しゴムで消す勢い余って2、3ページを傷めてしまった。苛立ちがいや増した。
そして今朝(1月12日)から読み始めた。水田洋訳の<中公バックス版・世界の名著>で154頁まで読んだのだが、最初から半澤訳で再チャレンジすることにした。
霧で目の前がかすんでいるような印象だったのが、一気に霧が晴れた感じである。もっと早く半澤訳に切り替えればよかった。水田氏には申し訳ないが、まったくレベルが違う分かりやすい訳文である。バークの論理が理解できない個所はあるのだが、訳文の日本語が理解できないということはまったくない。訳注も基礎知識のない読者に有用なものばかりである。
半澤先生の解説を先に読んだ。
ぼくは大学入学直後の懇親会で、半澤先生と「対話」--ぼくの発言に対して半澤先生が穏やかに諭されたのだが、あれをしも「対話」と言えるかどうか--したことがあるので「先生」とさせて下さい。
半澤先生は、解説のなかで「時と所と読者の個性とによって多様な読み方をされるのが古典というものの性格」であるから、訳者と異なった読み方をされてよいと言っておられるが、原典(もちろん半澤先生の邦訳)を読んだところで、先生の解説以上のことを理解できたとは思えない。
とくに宗教問題に疎いぼくには、バークの「本質的な世俗主義」は、世俗化という点で過渡期にあった当時のイギリス社会を反映したものであるという先生の解説(で示された読み方)は十分に理解できなかった。
たしかにバークは、一方では、社会は一種の組合契約(partnership)であると言っており(123頁)、また契約によって人は「自らの統治者足る権利をすべて放棄します」、「彼は第一の自然法たる自己防衛の権利を、包括的に・・・捨て去るのです」という(ホッブズ的な)記述もある(76頁)。
しかし他方で、イギリス国教会は国家と不可分であり、憲法体系の基礎であり、教育とも不可分であるとも述べている(126頁)。後者のような記述があっても、バークは「世俗国家」論に立っているというのはどう理解すればよいのだろうか。
バークは「自然」を持ち出すことによって論証を省略するという指摘も、あらかじめ解説を読んでいたので随所で納得できた。とくに、フランス革命に対する評価を決するうえで最も重要と思われる(フランス革命を支持する)プライスに対する批判の個所で、なぜプライスと違った感じ方をするのかといえば、「そう感ずるのが私にとって自然だからです」といった調子である(102頁)。
マグナ・カルタに始まるイギリス古来の「法と自由」の尊重などのイギリスの憲法史を称揚するのは理解できるが、ルイ16世や王妃(マリー・アントワネット)は高貴な人格者であり、旧体制の貴族たちには何の落ち度もないという。その一方で、(フランスの)旧体制下で苦しむ農民たちに対してはわずかの憐憫の情さえも示さず、(革命フランスの)国民議会を、「法律実務屋」「田舎司祭」など無学で補助的立場の人間ども(54頁~)による「茶番」(88頁)として唾棄するのである。
イギリス議会がそれほど立派な統治団体でなかった(むしろ腐敗した存在だった)ことは、トマス・ペイン『人間の権利』(1790年)など、バークの本書を批判する多くの論者が指摘するところである(解説407頁)。以前に見た映画『わが命つきるとも』や『クロムウェル』でもイギリス議会の腐敗は明らかに見てとれた(ただし、チャールズ1世がルイ16世ほどの暴君だった印象はない)。
「騎士道」こそがヨーロッパの社会生活のあらゆる段階、階層を通ずる原理の起源であるといった主張(97頁)にも、とてもついて行けなかった。
「完全な民主政治とはこの世における破廉恥の極みにほかなりません」とまで言われると(119頁)、ぼくにとっては無縁の人、対極の極みと言わざるを得ない。
もし若い時にバークを読んだとしても、ぼくがバークから影響を受けることはなかっただろう。それどころか、現在以上に反発したと思う。もしこのような意見を述べたら、半澤先生は何とお答えになったのだろうか。近くにおられたのに、不勉強で親しく教えを受けることができなかったのが残念である。
しかし、やはりぼくはペイン『人間の権利』の側の一人でありたい。
2022年1月24日 記