豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

佐賀旅行(その6)佐賀駅~佐賀城公園

2023年04月26日 | あれこれ
 
 4月21日(金曜日)、われわれの佐賀の旅も最終日となった。

 佐賀駅前の佐賀コンフォートホテルを午前9時にチェックアウト。駅前から佐賀市営バス佐賀城址線で佐賀城(城址公園)に向かう。

     
 
 バスを降りると、ほどなく高さ10メートル近い大きな銅像が見えてくる。佐賀藩第10代藩主、鍋島直正の銅像である。藩の財政立直し、弘道館における教育の振興、技術革新による軍事力の増強に努めた藩主と紹介がある。
 鍋島は質素倹約を旨とし、大火によって天守閣、本丸が焼失後は天守閣は再建せず、後に本丸のみ再建されたという。佐賀藩は長崎港の防備を任されていたため、早くに反射炉を建造し(教科書にも書いてあったような気がする)、アームストロング砲なる大砲を製造し(下の写真)、品川お台場に設置された大砲も佐賀藩が造ったものだという。

   

 鯱(しゃち)の飾られた門をくぐると、すぐ左手にそのアームストロング砲のレプリカが置いてある。
   
 
 玉砂利が敷かれた道を進むと、本丸の玄関がある(冒頭の写真)。
 本丸は1838年に鍋島直正が再建したが、1874年の江藤新平による佐賀の乱の際にも焼失を免れ、裁判所や小学校の校舎として利用された時期もあったという。江藤新平は明治最初期の民法草案の起草で有名だが、武士だったのだ。
 拝観料は無料だが、維持のための募金箱が置いてあったので、2人分500円を献金する。下足箱で靴を脱ぎ、玄関を上がるとすぐに広大な座敷と、並行する畳敷きの長い廊下に出る。もらった史料に図面が載っているが、それによると、大広間(外御書院というらしい)は廊下も合わせると320畳もあるという。後継ぎのお披露目などに使われ、総勢1000名以上の家臣を収容したとのこと。見たことのない奥行である。
   
   

 順路に従ってひと廻りして、玄関に戻って退出する。
 本丸の庭に沿って城の外周をまわる。周囲は佐賀大付属小学校や赤松小学校の敷地になっている。お城の周りが学校というのも教育を重視したという鍋島藩らしい。
 堀割がはりめぐらされて水を湛えている。周囲には松が植えられ、つつじが咲いている。
   

 以前テレビで見た「ブラタモリ」によると、佐賀の町は町中に水を供給できるように用水路が設計されているとのことだった。町の中にも随所に小さな疏水がめぐらされていた(下の写真)。松本清張原作の古い映画「張込み」の舞台が佐賀だった。犯人の立ち回り先の愛人(内縁の妻か?)宅に張り込んだ刑事が大木実だったが、柳がゆれる道沿いに疏水が流れていたのが印象的だった。
   

 城内には、旧制佐賀中学校だった県立佐賀西高校の敷地もある。ぼくの祖父はこの旧制佐賀中の出身だが、嬉野(当時は藤津郡)の山間の吉田からはとても通うことはできない。どこかに下宿するか寄宿舎から通ったのだろう。一応写真を撮ったが(下の写真)、昔の面影はまったくない。そもそも旧制佐賀中が現在の佐賀西高校と同じ敷地にあったのかどうかもわからない。もともとが藩校だったのだから、お城の近くではあったはずだ。祖父もこの地の空気を吸って勉強したのだろうと思うことにする。
   

   

 お濠を渡って佐嘉神社(上の写真)、松原神社に参拝してから、呉服元町に向かう。次は歴史的建造物が並ぶ柳町界隈を散策する。 

 2023年4月26日 記