(承前)ぼくが探偵小説や小説一般に飽きた原因の一つははっきりしている。
勉強で家族法の判例を読むうちに、実際に起きた事件を扱った判例を読むほうが、下手な小説などよりはるかに面白いことを発見してしまったのだ。
そもそもぼくは、大学時代の家族法の講義で先生が紹介した、田村五郎「家庭の裁判--親子」(日本評論社)を読んだのがきっかけで家族法に興味を持つようになった。しかも最初に読んだのが「水商売の女の貞操」という認知の訴えに関する章だった。
その後、ぼくは平成5年頃から令和に至るまで、毎年家族法関係の判例のうち、公刊された判例集に登載されたものを全件読んで、判決の要旨を執筆して、関係条文の該当項目に配列し、検索の便宜のためのキーワードを抽出するという仕事をしてきた。毎年20件から60件程度の判例を2人で分担して執筆するのである。中には読み物としてはあまり面白くない事例もあるが、時には事実関係がきわめて興味深い事案に出会うことがある。
事件の当事者には申し訳ないが、第三者として読むと(不謹慎と言われそうだが)やはり「面白い」事案が結構ある。あまり文才があるとは言えない裁判官の手によるものであっても、事実自体が大変に興味深く、下手な小説よりもよほど読ませるのである。
おそらく、ぼくが小説をほとんど読まなくなってしまったのは、これが原因だと思う。
ぼくは教師になって、1コマあたり90分の授業を年に25回するようになった際に、講義の一番役に立ったのは、中川善之助先生の講義や講演を活字化した本だった。中川さんは大正時代に東大を出て、戦後の民法家族法改正にも寄与された家族法の大家だが、座談の名手でもあった。学問のことだけでなく、家族に関する各地の風習・習俗から、日本各地の民謡や民話などについても造詣が深い方で、「民法風土記」(日本評論社、後に講談社学術文庫)という著書もある。
私は一度だけ中川先生と酒席をご一緒させていただいたことがあった。九段坂上の「あや」という料亭だった。先生は仲居さんを捕まえて、「あなたはどこの出身か」「あの辺りでは今でも末っ子が相続しているのかね」などと、話の相手にああわせてご当地の話題を語って、座を和ませるのである。民謡を歌われたこともあったと聞いた。
その中川先生の「家族法判例講義(上・下)」(日本評論社)や、「民法 活きている判例」(同)、「民法講話 夫婦・親子」(同)、「家族法読本」(有信堂)、などは、講義のテーマにまつわる様々な話題を提供してくれる。ある年の授業評価で、受講生が「先生の講義はどこまでが本論で、どこからが余談か分からない」とコメントを書いたことがあった。これはぼくにとって、ある意味で褒め言葉であった。ぼくは「余談」はするけれど、授業とまったく関係のない無駄話は(まったくしないわけではないが)あまりしない。講義のテーマを理解するうえで、学生たちの印象に残るような「サイド・ストーリー」を語ってきたつもりである。中川先生や田村先生の種本が面白かったこともあって、サイド・ストーリーのほうばかりが記憶に残ってしまったかもしれない。
2024年5月25日 記
※ 書くことがないので、ほったらかしてあった古い草稿をそのまま載せた。