今朝の東京新聞スポーツ面の下段に、スポーツ関係者の死亡記事が 2件ならんでいた(上の写真)。
亡くなられたお二人とも面識のある方だった。
お一人は金子明友さん。1952年のヘルシンキ五輪の体操日本代表と紹介されているが、ぼくの高校の体育の先生だった。本業は東京教育大学体育学部の(当時は)助教授だったが、当時上級生にメキシコ五輪の体操代表候補がいて、彼の指導のために非常勤講師としてぼくたちの高校に教えに来ていて、ついでに一般生徒の体育の授業も担当されたのだと思う。元体操選手らしく小柄だが精悍そうな先生だった。体操が苦手なぼくなどはまったくの「縁なき衆生」だった。97歳とあるから大変なご長寿である。
もうお一人は鈴木恵一さん。82歳。スピードスケート 500mの世界記録保持者(1970年38秒71)だったが、オリンピックでは1964年インスブルック五輪の5位が最高だったと紹介されている。あの「白い恋人たち」が流れた記録映画が作られたのがインスブルック五輪だったか(※1968年のグルノーブル五輪だった)。鈴木さんは直接お話しなどしたことはないのだが、1969年夏に軽井沢スケートセンターでアイスホッケー部の夏合宿をした際に、国土計画所属だった鈴木さんの練習風景をしばしばお見かけした。軽井沢スケートセンターのスピードスケート用リンク(1周333メートルだったか、インドアリンクの南側にあった)は夏の間は氷を張ってなかったので、もっぱら陸上練習をしていた。後にボーリング場になったあたりのコンクリ(アスファルト?)の地面でローラーブレードをやっていたような記憶があるが。鈴木さんの世界記録は1969年と1970年に樹立したというから、まさに絶頂期の彼の練習を眺めたのだった。
ご冥福をお祈りしたい。
2025年1月25日 記