<台湾について>
なぜ台湾に関心があるか? 一つはわが家族の “ Family History ” である。
ぼくの祖父は台湾総督府の下級役人の子どもとして、1890年代に台北で生まれた。祖父が亡くなった折に相続手続のために除籍簿を取り寄せた。しかし、祖父(というより曾祖父)は台湾に赴任する際に本籍を従来の内地から移さなかったため、戸籍からは、台湾における祖父ら家族の状況、いつ台湾に着任し、どこに住所を定め、いつ内地に引揚げたのかなどは一切わからない。
植民地に対する後ろめたさからか、幼少だったために記憶がないからか、生前の祖父は台湾について多くは語らなかった。ただ、一つだけ忘れられないエピソードを聞いたことがある。4、5歳の頃に台風で増水した近所の川(淡水河か)を見に行った祖父は川に落ち、流されたのを、台湾人の大工が飛び込んで助けてくれたというのである。
その台湾人がいなければ、現在のぼくは存在しない。祖父は生涯「回家」することはなかったが、「湾生」であることは間違いない。
冒頭の写真は、台湾総統府の土産物屋で売っていた、旧台湾総督府庁舎の絵葉書。裏面は7銭の切手が着いた日本統治期の郵便はがきになっている。ちなみに総督府の建物1919年落成とある。
★ 若林正丈・家永真幸編『台湾研究入門--魅惑的な社会を俯瞰する』(東大出版会、2020年)
さて、この本の恵贈を受けた知人から読後感が送られてきたので、私も書いておくことにした。知人は「宝島」が了解できなかったと言っていたが、研究者にとっての「宝庫」といった意味のようだ。
「台湾への新たなる誘い」、「『宝島』といわれる島・台湾という来歴を知るために」など様々な惹句が表紙に書いてあり、さらに上記副題のほかに、“ Invitation to Taiwan Studies ” というサブタイトルらしきものもついている。グラフィック・デザイナーの意匠なのだろうが、どれがこの本の特徴を示しているのか。どれもがこの本の特徴ということだろう。
とくに強い関心を持って観察を続けてきたというわけではない「台湾」の来歴を何とか理解することはできた。鄭成功前後から、日本統治期、中華民国期、国民党支配期(蒋介石から蒋経国までの時期、その後の李登輝まで)、二大政党(政権交代)期(現在の蔡英文まで)の経過が理解でき、統一と独立と現状維持の拮抗も理解できた(と思う)。
中でも、蒋経国末期から李登輝、陳水扁、馬英九、蔡英文に至る民主化の流れがよく分かった。しかもその法的な表現が(戒厳令の解除、刑法の言論処罰規定の廃止、特別立法を除けば)「中華民国憲法」の改正(増修)によって行われ、現在でも台湾統治の基本法が「中華民国憲法」であるというのもはじめて知った。「台湾大」の台湾化という流れからは意外である。
そもそも台湾では「中国語」が通じないということも、この本ではじめて知った。日本語の映画はもちろん、「中国語」(普通語というやつか)の中国大陸映画も台湾の観客にはほとんど通じないことを知った。「台湾語」に多少似ている厦門(アモイ)語の映画なら何とか意味が通じるということを、この本で知った。北京も台北も旅行したことはあるが、現地の人たちがしゃべっている言葉は同じ中国語、せいぜい方言の違いくらいだと思っていた。『60章』によれば、ピンインも本土と台湾では異なるらしい。
正直言うと、『入門』は、全くの門外漢には「入門」書としてはやや難しかった。とくに、「国府」、「台湾大」、「本土化」、「国語」、「可視化」などといったこの領域特有の用語法が、素人読者にはすんなりと頭に入ってこない。
1950年生まれの「戦後民主主義世代」のぼくにとって、台湾は微妙な対象である。
文化大革命の虚実が明らかになるまでは、少なくともぼくは人民中国に幻想を抱いていた。アメリカの支援を受けて人民中国に敵対する台湾(中華民国、国府)は反共、蒋介石の恐怖政治が行われる非民主主義国家である、しかし、かつて台湾を植民地として支配した者の末裔として、戦後の台湾政治を批判することは倫理的に遠慮がある。
そんな世代から見ると、日本側と台湾側とを問わず、これらの本の著者である若い台湾研究者たちはのびのびと意見を述べていると感じられる。
蒋介石、蒋経国の統治もぼくの抱いていたイメージよりは穏やかに描かれている。ぼくたちの時代の台湾に関するマスコミ報道は国民党の統治を黒く描きすぎていたのか。同じく、日本統治時代もぼくのイメージよりも穏やかに描かれている。かと言って、「『報怨以徳』の蒋介石に感謝」、「八田與一は偉かった」式の俗論とは無縁の、まさに等身大の台湾(著者らの言葉では「台湾大」の台湾か)が描かれている。
ぼくにとって、この本を読んだ最大の収穫は、日本統治時代に台湾の旧慣調査を行った岡松参太郎の事績を知ったことである。偶然同じ時期に届いた「比較家族史研究」の最新号に岡松の業績を検討する論考が載っていて、これも併せ読むことで改めて家族法学者としての岡松参太郎のユニークさを知ることになった。「比較家族史」論文によると蕃族の旧慣を援用して、わが国の(明治)民法の届出婚主義を(当時の日本の実情に合わせて、婚礼の儀式が行われれば届出がなくとも婚姻の成立を認める)儀式婚主義に改めるべきであると、大正初期に主張するのだから、その発想に驚嘆する。これについては改めて書きたいと思う。
同時代のぼくの記憶に残っている台湾独立運動家は、林景明さんである。彼が、台湾へ強制送還されるために羽田で飛行機のタラップに連行される姿を望遠カメラで俯瞰した写真が新聞か雑誌に載っていたと記憶する。この本も次の本も林景明さんのことにふれていないが、ぼくの記憶がゆがんでいて、彼の重要性は低いのだろうか。
台湾における共産党ないし社会主義者はいなかったのか(李登輝も京大の学生時代は社会主義的だったので当初は国民党に睨まれていたとは書いてあった)、逆に、戦後大陸側に残った国民党の残党はどうなったのか、そういう人がいたのか?も知りたいところである。
下の写真は国父記念館(台北)の孫文の坐像。衛兵交代式が行われる。
★ 赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための60章』(明石書店、2016年)
『台湾研究入門』は難しすぎたと著者の一人に感想を語ったところ、それではこの本を読んでみるようにと勧められたのが『台湾を知るための60章』である。
『60章』では芸能やスポーツなども含めて、様々な「台湾あるある」式の項目が建てられていて、懐かしい人物や出来事を思い起こすことができた。
政治的コレクトネスでは、以前から居住していた民族を「先住民」と称するようになっているが、台湾では「先住民」のほうが蔑称であり、「原住民」が使われていることを知った。台湾研究者がこともなげに「原住民」と記述することに違和感を抱いていたのだが、こんなこともこの本で知った。
台湾出身のスポーツマンとしては、(王貞治はあまりにも有名すぎるので除くと)楊伝広が一番懐かしい。
彼は1964年の東京オリンピックに台湾代表として(当時は「中国」代表だったか?)、近代10種競技に出場した。その前年に彼は世界新記録を出していたのだが、オリンピックでアジア人に勝たせるわけにはいかないということだろう、10種競技の配点が彼に不利な方向で変更されたため、本番ではメダルを取ることができなかったと報じられたと記憶する。
競技が終わって、夕闇に包まれた今はなき国立競技場のフィールドに膝を抱えて座り込む彼の姿が忘れられない。スポーツに政治が介在することを思い知らされた最初の出来事でもあった。
アサヒグラフの「東京オリンピック」特集号には彼の写真が載っていたはずである(下の写真。台湾選手となっている)。
若い台湾研究者たちには楊伝広は忘れられた(知らない)存在なのだろう。郭源治や陽岱鋼とおなじくアミ族の出身だったようだ。
翁倩玉(ジュディ・オング)はぼくと同じ1950年生まれだった。NHKで放映された「三太物語」でおきゃんな女主人公を演じていた頃からのファンだったぼくは、高校生時代に、彼女が通うアメリカン・スクールからの下校時に、武蔵境駅で会えるのではないかとホームのベンチで待ち伏せしていたこともあった。
当時は芸能雑誌にタレントの住所が書いてあって、確か彼女の住所は三鷹市中原だったので(当時のぼくの生徒手帳には番地まで書いてある)、彼女は是政のアメリカン・スクールに通っているだろう(ぼくの決めつけである)、それなら武蔵境で乗り換えるだろう、だから待っていれば会えるかもしれないと勝手に決めていたのである。武蔵境からはアメリカン・スクールの生徒が中央線に乗りかえてきたが、もちろんジュディ・オングには一度も会うことはできなかった。そもそも電車通学などしていなかっただろう、と今にして思う。
上の写真は、1965年ころの新聞広告に載った彼女の笑顔。1965年の学生日記(旺文社)の1月2日(土)のページに挟んであった。この日のテレビの単発ドラマに出ている彼女を見て、好きになってしまったようだ。
個人的な興味としては、同性婚だけでなく、その他の家族の問題、離婚後の子の監護(日本以上の少子化だから子の奪い合いも少なくなかろう)、婚姻住居の帰属(台北も住宅難であると聞いた)、老親扶養の問題、相続紛争の実態など、簡単にでもふれてほしかった。第3子の男女比が1・3対1という紹介があったが、禁止されているという人工生殖による男女の産み分けによらずにこの結果は不可能だろう。
台湾の国際法上の地位についてはもっと知りたいところである。中国との関係(分断国家なのか?)だけでなく、金門、馬祖、釣魚(尖閣諸島)などの現状を国際法ではどのように説明しているのだろうか。金門、馬祖島が大陸から2kmしか離れていないことも今回初めて知った。あんなところを台湾はよくぞ死守したと思う。アメリカの力だろうか。
このところ、毎朝(または夜中に)CCTV大富で「密査ーー国共合作の裏舞台」というドラマを見ているが、頻繁に出てくる「中統」と「軍統」という組織が何だかわからなかったが、この本で知ることができた(321頁)。
ついでに、7月5日(日)午前7時に、日本映画専門チャンネル(501ch)で「湾生回家」が放映される。ぜひ見なければならない。
2020年6月16日 記
※追記 『学生日記 1965』には付録がついているのを発見した。その中の「スポーツ記録」という欄に、陸上の世界記録<男子>十種競技 9121点 楊伝広 台湾 1963年 とあった。楊伝広は東京五輪ではメダルを取れなかったが、彼の世界記録は1965年時点でも更新されていなかったようだ。ちなみに日本記録は、鈴木章介 大昭和 1963年 6579点である。