(昨日の続きです。)
利己的遺伝子である、義経遺伝子は西暦1190年にモンゴルに侵入し(義経がジンギスカンになった)、そこで、義経遺伝子は自分の子孫を増やします。実子でなくても、側室の子でも、愛人の子(笑)でも構いません。利己的遺伝子にとっては、人はただの乗り物にすぎないのですから。そして、今回、義経遺伝子ははじめて念願の、”日本の王者”になるという積年の夢を果たすため、白鵬という「乗り物」を使って日本に侵入したというわけです。
義経遺伝子は、自分の乗り物(白鵬)に自己の存在を示す何らかの意味を組み入れているはずです。たとえば、名前とか生年月日とかにです。その秘密を探し出したい、それさえ見つかれば、ボクの仮説が証明されるのです。
義経遺伝子がもっとも誇りに思っていることは、おそらく、源平合戦の中でも最高の名場面といわれる、一ノ谷の戦いで義経に演じさせた鵯(ひよどり)越えの逆落としだと思います。思いもよらぬ急坂の裏山からの義経の奇襲攻撃により、平家は大敗北し、その後の合戦に大きな影響を与えた歴史的な戦いでした。
この戦いに関わるなんらかのメッセージが、「白鵬翔」の中に隠されているのではないか、ボクは昨日、鎌倉中央図書館に1日こもって、この3文字を穴のあくほど見つめ、思案橋ブルースを口づさみながら、思案に思案を重ねたのであります。そして、とうとう発見しました。以下に述べさせていただきます。
・・・
白:源氏の白旗を意味する
鵬:朋と鳥に分ける
;朋は同朋、すなわち仲間たち
;鳥はもちろんヒヨドリ
翔:とぶ、かけめぐる、とびめぐる(漢和辞典)
まとめてみましょう。
「源氏の白旗を掲げ、仲間たちと共に、馬に乗り、とぶがごとく、ひよどり越えの逆落としをやった。」
「白鵬翔」の3文字に、こんな重要なメッセージが隠されていたのです。
これだけではありませんよ。余りの急坂に、立ちすくんだ武将たちの中で、義経についていった、ひよどり越えの仲間たちの名前を挙げてみましょう。弁慶、畠山重忠そして熊谷直実、等です。勘のいい方はすぐ分りますね。熊谷直実です。白鵬を横綱まで育てた親方の名前はなんでしたっけ?そうです、熊ヶ谷親方ですね。
まだ、ありますよ。このヒヨドリ越えの崖上まで山中を案内し、こんな急坂でも鹿の降りるのをみた(馬でも可能ということを示唆した)ことを教えた、地元のきこりの息子がいます。名を鷲尾三郎義久といいます(この功績が認められ、のちに家来となりこの名前をもらったのです)。さて、白鵬は入門前は65キロしかなく(今のボクと変らない)、どの部屋からも門前払いをくって、もう帰国するしかない状態でした。そのとき、声をかけ、熊ヶ谷親方に紹介してくれた人がいます。その人の名は”旭鷲山”です。そうです、どちらの仲介者も”鷲”です。
それに後述しますが、朝青龍には弁慶遺伝子が入っています。すなわち、この鵯越の逆落としに絡む人物は、白鵬の現在の恩人ばかりなのです。こんな偶然の一致はあるでしょうか。鵯越の意味を含ませた「白鵬翔」という四股名を、義経遺伝子がうらに回って、巧妙に仕組んでつくらせたと考える方が自然だと思います。ボクがそれを見破ったというわけです(エヘン)。
・・・
さて、さきほど、朝青龍には弁慶遺伝子が入っていますと言ってしまいましたので、その件を先にかたづけましょう。「朝青龍」の三文字にメッセージが入っていました。やはり、ヒヨドリ越えの逆落としに絡んでいました。
朝:文字通り朝です。ヒヨドリ越えは朝、午前6時に実行されています。
青龍:青龍刀というのは、柄の上端に青い龍の装飾を施した、なぎなた形の刀のことです。弁慶といえば、なぎなたですね。
朝青龍には弁慶遺伝子が入っていたというわけです。
弁慶遺伝子は、義経遺伝子を迎えるため、前もって、地ならしをしていたと考えるといろいろな点でつじつまがあいます。日頃のふるまいも、弁慶と思えば、納得いくでしょ。稽古場で若手に怪我をさせたり、稀勢の里にけたぐりしたり、勝負がついてから技をかけたり、弁慶ならやるでしょう。でもそれも計算ずくなんですよ。義経遺伝子のためにわざと悪役になっているのです。そして、義経遺伝子が横綱を決める重要な今場所は、ちゃんと負けてるでしょ。これからも、義経遺伝子をたて、優勝回数も年1度くらいと控えめになるでしょう。むしろ、義経遺伝子の援護射撃をすることに情熱をかたむけるようになるでしょうね。
・・・
そして、まだボクの仮説を支持するデータがあるんですよ。白鵬はなんと静御前遺伝子をもつ女性と結婚したのです。彼女の名前(和田紗代子さん)に、静御前のメッセージが組み込まれていることを確認しました。静御前といえば、あの八幡さまの舞殿でのしずかの舞ですね。頼朝の前で、堂々と義経を慕う想いを歌に託して舞ったのです。
・・
和: 和はしずかに通じます (しずやしず)
田: 田圃の前はしずかな野(の)でした (しずの)
紗: うす衣のこと、衣糸を巻く糸車、苧環です (おだまき繰り返し)
代: このままでいいですね (昔を今に)
子: なすすべ(術)もないです(笑) (なすよしもがな)
しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔をいまに なすよしもがな
・・・
今日、白鵬関は明治神宮で不知火型の横綱土俵入りを披露するそうですね。ボクは、必ずや、(たぶん来年の藤沢場所の前に)八幡さまの舞殿の前でも土俵入りすると思います。義経遺伝子の、そして静か遺伝子の一番の思い出の地ですものね。そのとき、ボクの仮説は完全に証明されることになります。
・・・・・
写真は流鏑馬神事が行われた日の八幡さまです。手前が、静の舞が行われた舞殿です。
利己的遺伝子である、義経遺伝子は西暦1190年にモンゴルに侵入し(義経がジンギスカンになった)、そこで、義経遺伝子は自分の子孫を増やします。実子でなくても、側室の子でも、愛人の子(笑)でも構いません。利己的遺伝子にとっては、人はただの乗り物にすぎないのですから。そして、今回、義経遺伝子ははじめて念願の、”日本の王者”になるという積年の夢を果たすため、白鵬という「乗り物」を使って日本に侵入したというわけです。
義経遺伝子は、自分の乗り物(白鵬)に自己の存在を示す何らかの意味を組み入れているはずです。たとえば、名前とか生年月日とかにです。その秘密を探し出したい、それさえ見つかれば、ボクの仮説が証明されるのです。
義経遺伝子がもっとも誇りに思っていることは、おそらく、源平合戦の中でも最高の名場面といわれる、一ノ谷の戦いで義経に演じさせた鵯(ひよどり)越えの逆落としだと思います。思いもよらぬ急坂の裏山からの義経の奇襲攻撃により、平家は大敗北し、その後の合戦に大きな影響を与えた歴史的な戦いでした。
この戦いに関わるなんらかのメッセージが、「白鵬翔」の中に隠されているのではないか、ボクは昨日、鎌倉中央図書館に1日こもって、この3文字を穴のあくほど見つめ、思案橋ブルースを口づさみながら、思案に思案を重ねたのであります。そして、とうとう発見しました。以下に述べさせていただきます。
・・・
白:源氏の白旗を意味する
鵬:朋と鳥に分ける
;朋は同朋、すなわち仲間たち
;鳥はもちろんヒヨドリ
翔:とぶ、かけめぐる、とびめぐる(漢和辞典)
まとめてみましょう。
「源氏の白旗を掲げ、仲間たちと共に、馬に乗り、とぶがごとく、ひよどり越えの逆落としをやった。」
「白鵬翔」の3文字に、こんな重要なメッセージが隠されていたのです。
これだけではありませんよ。余りの急坂に、立ちすくんだ武将たちの中で、義経についていった、ひよどり越えの仲間たちの名前を挙げてみましょう。弁慶、畠山重忠そして熊谷直実、等です。勘のいい方はすぐ分りますね。熊谷直実です。白鵬を横綱まで育てた親方の名前はなんでしたっけ?そうです、熊ヶ谷親方ですね。
まだ、ありますよ。このヒヨドリ越えの崖上まで山中を案内し、こんな急坂でも鹿の降りるのをみた(馬でも可能ということを示唆した)ことを教えた、地元のきこりの息子がいます。名を鷲尾三郎義久といいます(この功績が認められ、のちに家来となりこの名前をもらったのです)。さて、白鵬は入門前は65キロしかなく(今のボクと変らない)、どの部屋からも門前払いをくって、もう帰国するしかない状態でした。そのとき、声をかけ、熊ヶ谷親方に紹介してくれた人がいます。その人の名は”旭鷲山”です。そうです、どちらの仲介者も”鷲”です。
それに後述しますが、朝青龍には弁慶遺伝子が入っています。すなわち、この鵯越の逆落としに絡む人物は、白鵬の現在の恩人ばかりなのです。こんな偶然の一致はあるでしょうか。鵯越の意味を含ませた「白鵬翔」という四股名を、義経遺伝子がうらに回って、巧妙に仕組んでつくらせたと考える方が自然だと思います。ボクがそれを見破ったというわけです(エヘン)。
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さて、さきほど、朝青龍には弁慶遺伝子が入っていますと言ってしまいましたので、その件を先にかたづけましょう。「朝青龍」の三文字にメッセージが入っていました。やはり、ヒヨドリ越えの逆落としに絡んでいました。
朝:文字通り朝です。ヒヨドリ越えは朝、午前6時に実行されています。
青龍:青龍刀というのは、柄の上端に青い龍の装飾を施した、なぎなた形の刀のことです。弁慶といえば、なぎなたですね。
朝青龍には弁慶遺伝子が入っていたというわけです。
弁慶遺伝子は、義経遺伝子を迎えるため、前もって、地ならしをしていたと考えるといろいろな点でつじつまがあいます。日頃のふるまいも、弁慶と思えば、納得いくでしょ。稽古場で若手に怪我をさせたり、稀勢の里にけたぐりしたり、勝負がついてから技をかけたり、弁慶ならやるでしょう。でもそれも計算ずくなんですよ。義経遺伝子のためにわざと悪役になっているのです。そして、義経遺伝子が横綱を決める重要な今場所は、ちゃんと負けてるでしょ。これからも、義経遺伝子をたて、優勝回数も年1度くらいと控えめになるでしょう。むしろ、義経遺伝子の援護射撃をすることに情熱をかたむけるようになるでしょうね。
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そして、まだボクの仮説を支持するデータがあるんですよ。白鵬はなんと静御前遺伝子をもつ女性と結婚したのです。彼女の名前(和田紗代子さん)に、静御前のメッセージが組み込まれていることを確認しました。静御前といえば、あの八幡さまの舞殿でのしずかの舞ですね。頼朝の前で、堂々と義経を慕う想いを歌に託して舞ったのです。
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和: 和はしずかに通じます (しずやしず)
田: 田圃の前はしずかな野(の)でした (しずの)
紗: うす衣のこと、衣糸を巻く糸車、苧環です (おだまき繰り返し)
代: このままでいいですね (昔を今に)
子: なすすべ(術)もないです(笑) (なすよしもがな)
しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔をいまに なすよしもがな
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今日、白鵬関は明治神宮で不知火型の横綱土俵入りを披露するそうですね。ボクは、必ずや、(たぶん来年の藤沢場所の前に)八幡さまの舞殿の前でも土俵入りすると思います。義経遺伝子の、そして静か遺伝子の一番の思い出の地ですものね。そのとき、ボクの仮説は完全に証明されることになります。
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写真は流鏑馬神事が行われた日の八幡さまです。手前が、静の舞が行われた舞殿です。