気ままに

大船での気ままな生活日誌

おりょうさんの横須賀

2007-06-25 08:24:44 | Weblog
ボクは京浜急行の京浜大津駅を降り、あるお寺を探していました。なかなか見つからず、また駅の近くに戻ってきてしまいました。ため息をついて、ふと見上げた先に「坂本龍馬」と書かれた白い旗が翻っているのに気づきました。それは、お蕎麦屋さんのでした。ちょうどお腹もすいてきたし、きっと、そのお寺のことも聞けるだろうと思い、入りました。

そこのメニューに「龍馬、おりょう夫婦蕎麦、1000円」というのがありましたので、うふふ、これはいいねと、迷わずそれを頼みました。横の壁に、これを紹介した毎日新聞の記事のコピーが貼ってありました。近くのおりょうさんゆかりのお寺を訪ねにきた龍馬フアンの人に、帰りに食べていってもらおうと考案したメニューだそうです。龍馬が好きだったという鶏肉入りの筑前煮と地魚の唐揚げをのせた暖かい汁蕎麦です。しばらくして、まさにその通りの、大きな丼にいっぱい具をのせたお蕎麦がきました。なかなか、おいしかったですよ。龍馬になったつもりで、げにまっことうまいちや、と言いながら掻き込みました。ここのご主人にお寺の場所や、昨年秋に、おりょうさんの没100年記念行事がその、信楽寺(しんぎょうじ)で行われたこと、龍馬とおりょうさんの実物大の木彫り像が出来上がったこと、など貴重なお話を聞くことができました。

おりょうさんというと、京都伏見の船宿寺田屋で、素っ裸でお風呂から飛び出し、二階の龍馬に刺客の襲撃を知らせ、逃がしてやったことが頭に浮かびますね。そしてそれが縁でふたりの仲が深まり結ばれ、日本で最初の新婚旅行と言われていますが、九州、霧島の温泉に行っています。しかし、このハネムーンも翌年までしかもちませんでした、京都近江屋襲撃事件で龍馬が死亡したからです。

その後のおりょうさんの消息については、ボクは全く知りませんでした。司馬遼太郎さんの”街道をゆく、三浦半島記”を読んでいて、おりょうさんが晩年は今の横須賀市に居住し、お墓もそこにあることを知り、びっくりしました。ボクは司馬さんの描く、龍馬が大好きでしたし、当然、龍馬が愛したおりょうさんも好きでした。是非、一度、お墓参りしたいとかねがね思っていたのです。

しかし、司馬さんの著書の記述だけでは、明確にその場所を決めることができませんでした。その記述とは「横須賀の古い市街地を歩いている。山門がすでに高い。その山門へのぼる石段の下に、つまり狭い道路に沿って寺の石塀を背に、いわば路傍にはみだして墓が一基ある、路傍の墓である」でした。司馬さんは、龍馬の妻の墓としてあまりにみじめだとい感慨をもったようで、お寺の名前も出しませんでした。

最近になって、ひょんなところから、そのお寺の名前を知ることになり、今日、訪ねたということなのです。お蕎麦屋さんのご主人のおかげで、こんどはすぐ見つかりました。住宅街の中にある浄土宗のお寺でした。おりょうさんのお墓は路傍にあるのかと思っていましたが、現在は境内の墓地の奥まったところにありました。きっと司馬さんの本が出版されてから、これはまずいと、移転させたのではないかと推測します(笑)。アップした写真は山門前から撮ったものですが、右側の石塀が新しくなっていますね、以前はそこにお墓があったのだと思います。

ボクは誰もいないおりょうさんのお墓(坂本龍子の墓と案内されています)の前でお参りしました。小さな墓石を想像していたのですが、おりょうさんらしからぬ、ずいぶんと大きな石碑でした。

龍馬が亡くなってからの、おりょうさんの消息は、あまり詳しくは分っていませんが、下関から長崎を経て土佐に行ったようです。龍馬の実家に身を寄せますが、龍馬の姉乙女ともうまくいかず、また流浪の旅が始まります。京都、大阪、東京、神奈川へと移っていったのでした。神奈川宿で仲居をしていたときに、西村松兵衛と知り合い、明治8年(1875)7月、に再婚したのです。

そして横須賀に移り、晩年を横須賀市米が浜で長屋住まいをされていたようです。明治39年1月15日になくなりました。葬儀には近くの海軍士官の方も来られていたそうです。日本海軍の祖ともいうべき海援隊をつくった龍馬の妻だった人の送りですからね。

結婚後西村姓になっても、私は龍馬の妻だったと、いつも言っていたそうです。わずかな期間でしたけれど、日本の夜明けをつくった龍馬と共にすごした頃が、彼女の人生の中で唯一、きらきらまぶしく輝いていた時期だったのでしょう。

ボクは、おりょうさんは土佐の出身だと思っていたのですが、そうではなく、京都府下の町医者、楢崎將作の長女として生まれているのです。ですから、横須賀は縁もゆかりもないところなのです。きっと海が好きで、海援隊までつくって、いつも海外に目を向けていた龍馬がおりょうさんに乗り移って、港町・横須賀に連れてきたのかもしれませんね。

今回、龍馬とおりょうさんの実物大の木彫り像をみることが出来ませんでしたが、毎年秋に、おりょうさんまつりがあるそうですので、是非そのとき訪ね、仲の良いふたりをみてみたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする