日曜日、北鎌倉の山内八雲神社の御神輿の町内渡御を宮入まで最後までみてきました(大汗)。この汗は本当の汗で、梅雨明けし、真夏の暑さでした。追っかけだけでも、こんなに暑いのに、担いでいる人の暑さはもう想像を絶するものだったでしょう。おまけに、御神輿は鎌倉でも一、二を争う重量だと聞いています。子供神輿も2基ついていきましたが、子供たちも元気にかついでいました。
御神輿は、昼零時にお仮屋を出発して、鎌倉街道を進み、円覚寺方面へ渡御するとのことでしたので、ボクは円覚寺夏期講座が終わった零時30分頃、すばやく外に出て、今、神輿はどこか、シャーロックホームズのように聞き耳をたてました。すると、微かな祭囃子が明月院方面から聞こえてきました。もう、明月院か、ボクは脱兎のごとく、そちらに向かったのでした。いたいた、明月院の拝礼を終えて、明月川沿いの通りを帰ってくるところでした。ここから、ボクの、午後5時の宮入までの、追っかけが始まったのです(滝汗)。
明月院通りを帰ってくる御神輿
御神輿のあとにはお囃子の車も
御神輿をみつけて安心したボクはお昼を食べていなかったのに気づきました。それで、先回りして建長寺の前の、お蕎麦屋さんで待つことにしました。時間も十分、余裕があるつもりでしたが、蕎麦ができるのが遅く(いらいら)、そのうち、御神輿が建長寺まで来てしまいました(不機嫌な顔)。そのあとすぐきた蕎麦をほとんど呑み込むように、2,3分で食べ終え、建長寺に。滑り込みセーフでした。このお祭りの見所のひとつ、”神仏混淆”の儀式をつぶさにみることができました(にっこり)。建長寺の住職さんが御神輿に向い拝礼。般若心経を読経されていました。神社の神輿をお寺の住職が読経する、明治以前には普通のことでしたが、明治政府のあほんだら法(神仏分離令)(また言っちゃった)により、壊滅状態になってしまったのです。
そして、御神輿は建長寺を離れ、いったん巨福呂坂を登り、円応寺の拝礼を受け、また鎌倉街道を下ってきます。そして、横須賀線の踏切を越えて、浄智寺の参道に入り、そこでご住職の拝礼をうけます。そして、隣りの東慶寺でも拝礼を。
浄智寺へ
東慶寺で拝礼
そして北鎌倉駅前。ここで御神輿が大暴れします。差し、揉みが入り、御神輿は大きく左右に上下と揺れ、動き回り、駅舎に突っ込むような荒々しい感じで、御神輿見物の醍醐味が味わえます。ここと、最後の宮入のときの揉みが最高です。
そして、鎌倉街道を下り、山崎の八雲神社の女神輿に会いにいきます。そうそう、二基の子供神輿も元気につてゆきましたよ。
。。。。。
そして、第二幕。行合祭の始まりです。男神輿が、とある広場に到着すると、となり町の山崎八雲神社の女神輿が待っていて、二基、仲良く並びます。そして、結婚の儀が(笑)。両神社の神主さんにより、祝詞が述べられ、本格的な結婚式がとり行われます。みんな神妙な顔をしています。ボクも、御神輿の結婚式、生まれてはじめてみました。
結婚式がおわり、二基が仲良く、別の広場に移動します。その間、急に女神輿が走り出し、男神輿を抜かしてゆきました。はやくも主導権争いでしょうか(笑)。むかしは両神輿がもみあったりしたそうです(あとの儀式からみて、たぶん、ここで妊娠したことになるのではと想像します;笑)。
そして、このお祭りのハイライト。ご懐妊の式が行われます。その前に、女神輿に晒しがまかれます。腹帯です(爆)。
腹帯を巻いた女神輿と男神輿が並び、ここで懐妊の儀式が行われます。祝詞が読み上げられます。粛々と、儀式がすすんでゆきます。この式が終わると、行合祭が終わります。
そのあと、赤ちゃんを抱いたお母さんが3組、腹帯をつけた神輿の下をくぐってゆきました。子供が元気に育つようにとの儀式だと思います。
そこを出発して、男神輿と女神輿は分かれ道で別れます。キスをして別れると聞いていたのですが、今回はそれはなかったです。でも、担ぎ手の人たちが、また来年、元気な姿で会いましょうと手を振っていました。毎年、結婚式なんて、新鮮でいいですね(汗)。
そして、八雲神社に戻ってきます。ここでは町の人が大勢、待っていました。北鎌倉駅以上に揉み、荒々しい、でも、うつくしい御神輿のおどりがしばらく続きました。
そして、宮入の式が終わります。また、来年、(かつぎ手のみなさんは)元気にかついだり、(ボクは)みたりしたいですね。とても楽しい1日でした。汗汗汗でした。帰ってからのビールのうまかったこと(汗)。
御神輿は、昼零時にお仮屋を出発して、鎌倉街道を進み、円覚寺方面へ渡御するとのことでしたので、ボクは円覚寺夏期講座が終わった零時30分頃、すばやく外に出て、今、神輿はどこか、シャーロックホームズのように聞き耳をたてました。すると、微かな祭囃子が明月院方面から聞こえてきました。もう、明月院か、ボクは脱兎のごとく、そちらに向かったのでした。いたいた、明月院の拝礼を終えて、明月川沿いの通りを帰ってくるところでした。ここから、ボクの、午後5時の宮入までの、追っかけが始まったのです(滝汗)。
明月院通りを帰ってくる御神輿
御神輿のあとにはお囃子の車も
御神輿をみつけて安心したボクはお昼を食べていなかったのに気づきました。それで、先回りして建長寺の前の、お蕎麦屋さんで待つことにしました。時間も十分、余裕があるつもりでしたが、蕎麦ができるのが遅く(いらいら)、そのうち、御神輿が建長寺まで来てしまいました(不機嫌な顔)。そのあとすぐきた蕎麦をほとんど呑み込むように、2,3分で食べ終え、建長寺に。滑り込みセーフでした。このお祭りの見所のひとつ、”神仏混淆”の儀式をつぶさにみることができました(にっこり)。建長寺の住職さんが御神輿に向い拝礼。般若心経を読経されていました。神社の神輿をお寺の住職が読経する、明治以前には普通のことでしたが、明治政府のあほんだら法(神仏分離令)(また言っちゃった)により、壊滅状態になってしまったのです。
そして、御神輿は建長寺を離れ、いったん巨福呂坂を登り、円応寺の拝礼を受け、また鎌倉街道を下ってきます。そして、横須賀線の踏切を越えて、浄智寺の参道に入り、そこでご住職の拝礼をうけます。そして、隣りの東慶寺でも拝礼を。
浄智寺へ
東慶寺で拝礼
そして北鎌倉駅前。ここで御神輿が大暴れします。差し、揉みが入り、御神輿は大きく左右に上下と揺れ、動き回り、駅舎に突っ込むような荒々しい感じで、御神輿見物の醍醐味が味わえます。ここと、最後の宮入のときの揉みが最高です。
そして、鎌倉街道を下り、山崎の八雲神社の女神輿に会いにいきます。そうそう、二基の子供神輿も元気につてゆきましたよ。
。。。。。
そして、第二幕。行合祭の始まりです。男神輿が、とある広場に到着すると、となり町の山崎八雲神社の女神輿が待っていて、二基、仲良く並びます。そして、結婚の儀が(笑)。両神社の神主さんにより、祝詞が述べられ、本格的な結婚式がとり行われます。みんな神妙な顔をしています。ボクも、御神輿の結婚式、生まれてはじめてみました。
結婚式がおわり、二基が仲良く、別の広場に移動します。その間、急に女神輿が走り出し、男神輿を抜かしてゆきました。はやくも主導権争いでしょうか(笑)。むかしは両神輿がもみあったりしたそうです(あとの儀式からみて、たぶん、ここで妊娠したことになるのではと想像します;笑)。
そして、このお祭りのハイライト。ご懐妊の式が行われます。その前に、女神輿に晒しがまかれます。腹帯です(爆)。
腹帯を巻いた女神輿と男神輿が並び、ここで懐妊の儀式が行われます。祝詞が読み上げられます。粛々と、儀式がすすんでゆきます。この式が終わると、行合祭が終わります。
そのあと、赤ちゃんを抱いたお母さんが3組、腹帯をつけた神輿の下をくぐってゆきました。子供が元気に育つようにとの儀式だと思います。
そこを出発して、男神輿と女神輿は分かれ道で別れます。キスをして別れると聞いていたのですが、今回はそれはなかったです。でも、担ぎ手の人たちが、また来年、元気な姿で会いましょうと手を振っていました。毎年、結婚式なんて、新鮮でいいですね(汗)。
そして、八雲神社に戻ってきます。ここでは町の人が大勢、待っていました。北鎌倉駅以上に揉み、荒々しい、でも、うつくしい御神輿のおどりがしばらく続きました。
そして、宮入の式が終わります。また、来年、(かつぎ手のみなさんは)元気にかついだり、(ボクは)みたりしたいですね。とても楽しい1日でした。汗汗汗でした。帰ってからのビールのうまかったこと(汗)。