木喰(もくじき)さんといえば、微笑仏(みしょうぶつ)です。口元に微笑みを浮かべた仏像さんが約130体、横浜に大集合しました。そごう美術館で開催されている”生誕290年・木喰展/庶民の信仰・微笑仏”を観てきました。
木喰さんは一般庶民の要望に応じて、膨大な数の仏像をつくりましたが、驚いたことに仏像造りを始めたのは60才になってからだそうです(勇気が湧きます;笑)。80歳代に1000体、90歳代には2000体もの像を遺したといわれています。80歳頃の作品から、特有の微笑みがみられるようになり、90歳を過ぎた頃には心の底からにじみ出るような微笑みを表すようになります。
この展覧会で、ボクが最初に目を奪われた”仏像さん”は、下左写真の”自身像”(民芸館蔵)です。これをみて、ああそうか、微笑仏は自分自身の投影なんだなと、すぐ合点しました。太い眉、柔和な目、ふくらんだ頬、微笑を浮かべるお顔は、もうほとんど仏像さんです。とくに長いあご髭はつけているところは、もう大黒天様そっくりです。写真を並べてみますね。そして、ボクがとくに気に入ったのは、大きな瓢箪を抱えていたことです。きっとお酒がお好きだったのでしょう(汗)。


弘法大師像、白衣観音菩薩像、多くの仏像さんは、なんとも言えない微笑みをたたえています。つい、こちらも、キャンディーズの歌じゃないですが、”微笑み返し”をしてしまいます。♪おかしくっておかしくってなみだがでそう♪


会場の入り口に展示してあった、生木に彫られた”子安観音像”も印象に残りました。この他にもずいぶん子安観音像がありましたので、子供が丈夫に育つようにとお願いした人々が多かったことを伺わせます。

仏像さんによっては微笑んでは具合の悪いものもあり、憤怒の表情にしてあります。十二神将像(西光寺蔵)もそうですが、2体だけにこにこしていました(笑)。その内、ひとつは長髭までたらし、木喰さんそっくりで自身像のようでした。
会場の中程に、柳宗悦著”木喰上人作 木彫仏”の分厚い写真本が飾られていました。柳宗悦さんが、当時無名の木喰上人を”再発見”したのです。龍馬を大スターにした司馬遼太郎さんの役回りですね。今世間に認められてない方、元気を出してくださいね、後世の目利きが発見してくれますよ(笑)。
そうそう、木喰上人は仏像彫りだけではなく、書や詩もかかれていました。それらの展示も楽しいものでした。
この5月、東博の薬師寺展の帰りに散歩した谷中のお寺の門前で、木喰上人の言葉をみつけたことを思い出しました。

木喰さんは一般庶民の要望に応じて、膨大な数の仏像をつくりましたが、驚いたことに仏像造りを始めたのは60才になってからだそうです(勇気が湧きます;笑)。80歳代に1000体、90歳代には2000体もの像を遺したといわれています。80歳頃の作品から、特有の微笑みがみられるようになり、90歳を過ぎた頃には心の底からにじみ出るような微笑みを表すようになります。
この展覧会で、ボクが最初に目を奪われた”仏像さん”は、下左写真の”自身像”(民芸館蔵)です。これをみて、ああそうか、微笑仏は自分自身の投影なんだなと、すぐ合点しました。太い眉、柔和な目、ふくらんだ頬、微笑を浮かべるお顔は、もうほとんど仏像さんです。とくに長いあご髭はつけているところは、もう大黒天様そっくりです。写真を並べてみますね。そして、ボクがとくに気に入ったのは、大きな瓢箪を抱えていたことです。きっとお酒がお好きだったのでしょう(汗)。


弘法大師像、白衣観音菩薩像、多くの仏像さんは、なんとも言えない微笑みをたたえています。つい、こちらも、キャンディーズの歌じゃないですが、”微笑み返し”をしてしまいます。♪おかしくっておかしくってなみだがでそう♪


会場の入り口に展示してあった、生木に彫られた”子安観音像”も印象に残りました。この他にもずいぶん子安観音像がありましたので、子供が丈夫に育つようにとお願いした人々が多かったことを伺わせます。

仏像さんによっては微笑んでは具合の悪いものもあり、憤怒の表情にしてあります。十二神将像(西光寺蔵)もそうですが、2体だけにこにこしていました(笑)。その内、ひとつは長髭までたらし、木喰さんそっくりで自身像のようでした。
会場の中程に、柳宗悦著”木喰上人作 木彫仏”の分厚い写真本が飾られていました。柳宗悦さんが、当時無名の木喰上人を”再発見”したのです。龍馬を大スターにした司馬遼太郎さんの役回りですね。今世間に認められてない方、元気を出してくださいね、後世の目利きが発見してくれますよ(笑)。
そうそう、木喰上人は仏像彫りだけではなく、書や詩もかかれていました。それらの展示も楽しいものでした。
この5月、東博の薬師寺展の帰りに散歩した谷中のお寺の門前で、木喰上人の言葉をみつけたことを思い出しました。
